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『どうする家康』を10倍楽しく見るために

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これからますます盛り上がる大河ドラマ『どうする家康』をもっともっと楽しく見るために、徳川家康や織田信長に関する記事をまとめました。お城の情報や関連書籍のご紹介が満載です。以後も随…
記事はこれからも随時更新していきます。ある程度、記事の数がまとまったところで値上げする予定でいます…
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#大河ドラマ

【写真館442】関ケ原の足跡を

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■お城をめぐる旅②―姫路城に行ってきました(2)

えりたです。 先日、所用のため立ち寄った姫路で、少し時間ができたので、姫路城へ行ってきました。そのときのお話を、何回かに分けて書こうと思います。今回はその第2回目ですが、前回更新した第1回目の記事はコチラです。 姫路城は1993年に日本初の世界文化遺産に登録されました。「外観の美しさと城としての実用性を兼ね備え、日本の木造城郭建築の代表例」としての登録でした。 そうして、2009年から「平成の修理」として、大天守保存修理工事に着工し、2015年に終了。現在の展示では、そ

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■信長公忌に巡る旅⑤―最後に辿り着いたのは「跡」でした

えりたです。 6月2日は織田信長公の忌日です。この日の未明に、いわゆる「本能寺の変」が起きました。明智光秀の軍に急襲された信長公は、炎のなかへと姿を消されてしまったのです。 そんな6月2日、今年は日曜日にあたりました。そのため、というのでもないのですが、不意に思い立ち、信長公の忌日に、信長公が最期に踏まれた京の地を巡ろうと考えたのです。 1日だけの弾丸な旅でしたが、本能寺―今宮神社―大徳寺―(今宮神社)―建勲神社と、信長公にまつわる場所をいくつもまわることが出来ました。

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■信長公忌に巡る旅④―建勲神社で京を眺める

さて、今年の6月2日、いわゆる「信長公忌」に京を旅してきました。天正10年(1582)6月2日に起きた本能寺の変により、炎のなかに消えた信長公に思いを馳せ、公にまつわる場所を歩きたかったのです。 この日は朝からあちこち歩き回り、本能寺→今宮神社→大徳寺と廻ったのち、私は建勲神社に参拝しました。今回はそのときのお話です。 これまでのお話は、記事の最後にリンクが張ってありますので、よろしければご覧になってみてください。 ■建勲神社について

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■信長公忌に巡る旅③―大徳寺総見院

6月2日は本能寺の変が起きた日であり、信長公忌にあたります。今年は思い立ったら吉日的に、当日に京都へ参りました。信長公にまつわる場所を巡ろうと思ったのです。 まず初めに、6月2日だし♬と思い、「本能寺」へ参りました。 この日限定の御朱印をいただいたり、信長公の墓所に参拝したりしました。 またこの日、本能寺では、さまざまなイベントが予定されていました。ですが、それには参加せず、私が次に伺ったのは、我が推しさまに教えていただいた「今宮神社」でした。 推しさまおすすめの「阿

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【写真館251】ここにいるよ

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【写真館245】花を手向ける

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■知っているはずの「歴史」をアップデートする―『動乱の日本戦国史』

えりたです。 大河ドラマ『どうする家康』、どんどん佳境に入ってきましたね。気が付けばもう10月。始まった当初は「おれの白うさぎ」だった家康公も、いつの間にやら、底知れぬ「たぬき」化していくようで…月日の流れの速さに白目…いや、遠い目をしている今日この頃です。 さて、今日は9月に発売された新書をご紹介します。 ・ ・ ・ 「歴史学」という学問があります。「歴史学」がどういう学問かをググってみると、 とあります。 ここで大切なのは、「歴史学」は学問であるという点です。そ

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【信長公探訪記】信長公廟をめぐる旅/本能寺、阿弥陀寺

前回の記事で、実際に本能寺の変の起きた「本能寺跡」を紹介しました。記事にも書いたように、その後、後継者となった豊臣秀吉公の都市計画により、本能寺は現在の場所への移転を命じられます。 以前、伺ったことはあるのですが、今回せっかく信長公の京都での足跡を辿る旅に出ましたから、現在の本能寺へも訪れることにしました。

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【信長公探訪記】ふたつの本能寺

天正10年(1582年)6月2日未明、京都本能寺において織田信長公は明智光秀による謀反に遭い、その未来を突然に断ち切られます。本能寺の変です。 7月の終わりに、大河ドラマ『どうする家康』でも1話をかけて描写されました。あの有名な台詞「是非もなし」や敦盛といった定番の劇的要素を入れずに描いたことで、かえって、より印象に残るドラマになっていたのではないでしょうか。 さて。 その現場となった「本能寺」は、現在、京都市中京区寺町通にあります。ですが、これは信長公逝去後、豊臣秀吉

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モノが語る説得力―『城から見た信長』

「織田信長」という人物について知りたいとき、まず見るべきは太田牛一著『信長公記』です。信長の傍らで、彼の事績をつぶさに見て書かれた書物ですから、信用できる度合いでいえば相当に高いでしょう。 ただし、たとえば太田自身の手によって清書されたときに、話が盛られたり、時代の権力者に忖度した記述になったりという部分が『信長公記』にも確かにあります。また、幾つも写本の代を重ねるうちに写し間違いや、あるいは、意図的な書き直しがある可能性も否定できません。 つまり、ことばによって書かれた

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■駆け回ったあの頃を―【信長公の城】①那古野城

信長公は生涯で、5つの城に居住しました。その始まりが「那古野城」です。今では徳川時代の面影を色濃く残す場所となりましたが、それでも、信長公のいた時代に思いを馳せるよすがとなるものもあります。 大河ドラマ『どうする家康』では、そろそろ本能寺の変が見えてきています。が、今回はそんな、信長公の始まりの場所の歴史や今を見ていこうと思います。 ・ ・ ・

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■深慮遠謀が跳梁跋扈する―平山優『徳川家康と武田勝頼』

大河ドラマ『どうする家康』、ご覧になってますか? 6月は長篠の合戦があったと思いきや、築山殿の事件にねこまっしぐら! で、まじそれどうする?となっていますね。 そんな殿潤さまに襲い掛かる困難の連打が、実際はどのようなものだったのかについて、みっちり調べ上げ、考え尽くし、分かりやすく書かれた本が出ました! それがコチラです。 ■『徳川家康と武田勝頼』について ■平山優 著 ■幻冬舎新書 ■2023年5月 ■980円+tax 『どうする家康』で時代考証を担当されている、

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■絶景の果てにある孤独を―安土城探訪記③

さて、安土城探訪記の3回目です。 私あるあるで、2回目の記事を書いてから時間が空いたので、もう書かないかと思いましたが(笑)、何とか書く時間を取れました。 今日こそ天主閣跡まで辿り着きます(笑) この記事は、今月4日に安土城址へ旅したときの記録です。 大河ドラマでは、先週長篠の戦いが終わったので、もうすぐ築城が始まると思います。本能寺の変の2週間後に燃え落ちた安土城の現在、あるいは、そこから見える過去の姿をお届けします。 安土城址に行ったときのことを思い出すと、大河ド

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