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色なき風と月の雲 18│香り
香り─麗
【麗 目線のお話です】
まさか自分がアイドルをやるなんて、夢にも思っていなかった。
音楽は好きだったが、どちらかといえばミュージシャンやアーティストのような、自分の世界に人々を引き込むような存在に惹かれた。
愛嬌も愛想も良くない僕が、ステージからファンに向かって笑顔を振りまく姿なんてきっと親や友達も予想していなかったと思う。
音楽の道には興味があったので、独学で勉強し作詞作曲やギターで弾き語りをしていた。誰にも言っていなかったが、当時の僕はぼんやりと曲を提供する作曲家かシンガーソングライターにでもなれたらいいなと考えていた。
ひとり自室に籠もって練習するだけでは、やはり限界があった。
そんな時に僕は、今の事務所にスカウトされた。
昔から自分の顔が他の人より綺麗だということは自覚していた。女の子に間違われたり、可愛い可愛いと言われたり。その頃にはうんざりしていて顔を隠すようにして歩いていた。それなのにやっぱり凄いな、そういうのに敏感な人は。鋭い感性を持っているのだなと感心した。
受ける気がなかったが、一応両親に報告すると
「やってみればいい」
思いがけず、前向きな返答が返ってきた。母は嬉しそうにその隣で笑っている。
「限られた人にしかそんなチャンスは与えられないんだ恵まれていることに感謝し、よく考えてみなさい。音楽だってできるんじゃないのか?レッスンなどがあると思うぞ」
─音楽の道に憧れているとバレてたのか
自室で籠もっていればバレないと思っていたのに、流石僕の親父。気づいていたんだな。
「考えてみる」
音楽ができるならやってみてもいい。親父の言葉に背中を押され、僕は有り難くスカウトをお受けすることにした。
中学、高校とひたすらレッスンに明け暮れた。
受けてみたかった作詞作曲の指導に加え、ボイストレーニングやダンスレッスンまであった。
最初は苦手だったダンスも、練習すればするほど上達するのが面白くてのめり込んでいった。同時期に所属した年下達が自分より遥かに上手くて悔しかったが、それが僕の負けず嫌いに火をつけた。
学校はきちんと通うこと、と約束させられていたので基本的には休まず通った。勉強する時間がもったいないと思い授業中だけで理解するように全神経を尖らせ、放課後はダッシュでレッスン室へ。
休日なんて無いもののように通い、朝7時から夜の8時までぶっ続けで踊り狂った。
事務所の人にはすごく心配されたが、倒れないように水分補給はしっかりし食事の時間がもったいないのでカロリー補給のできるゼリーやチョコバーでしのいだ。
これくらいやらなければ、納得がいかなかった。追いつくよりも、極めて一流になることが目標になっていた。
自分で曲を作りたいという夢はもちろん変わらず持っていたが、いつしか僕はアイドルグループの一員として準備させられるようになっていた。
ダンスは歌うことと同じくらい好きになっていたが、アイドルになるなんて自分がメンバーに選ばれるなんて思っておらずびっくりして声が出なかった。
デビューして間もない頃、事務所の社長に勉強だと舞台に連れて行かれた。
とにかくデビューするためにレッスンを受ける日々送ってきた僕は、正直言って演技に興味はなかった。
舞台の演目は、よくわからないわちゃわちゃしたものだったが、トレンディなネタも取り入れていて時たま笑える作品だった。
小さな劇団だったので、主役でも顔と名前すら売れていない俳優ばかりだった。
しかしその中で、脇役なのに目を引く存在がいた。楽しそうに歌って踊る、同世代の女の人。
彼女の存在に気づいてから内容なんて頭に入ってこず、ただただ彼女を目で追っていた。
終演後、社長が知り合いに挨拶をするために楽屋へ連れて行かれた。
社長は何やら劇団のお偉いさんと話し込んでいて、俺は時間を持て余して周りをじっくり観察していた。
そこへ劇団のTシャツに着替えたキャストたちがやってきたので、とりあえず挨拶をしていく。
さっきの女の人が居ないなとキョロキョロしていると、遠くからこちらへ向かってくる彼女を見つけた。
俺は思わず駆け寄り、
「はじめまして、麗です。Ruby-boyzってグループでアイドルをしています。さっきの舞台、面白かったです」
一気に言い終えて彼女の方を見ると、少し戸惑いながら
「美崎サラです。観ていただけて嬉しいです、ありがとうございます。今急いでいて、ごめんなさい失礼します」
そう言って走っていった。
残された、甘いのにほろ苦い彼女の香りに僕は心を奪われた。
デビューシングルを出してから2年ほど経ち、Ruby-boyzは名の知れたグループへと成長した。それは僕はたちの努力や才能だけでなく、大手事務所に所属していたからだと分かっている。
事務所の知名度のお陰でデビュー前からグループ名も界隈では知られており、ファンもついていた。また、仕事はたくさん取ってきてもらえ余るくらいのお給料は頂けて何不自由なく生きることができ、本当に恵まれた環境にいる。
ただ、あまりにも順調すぎて物足りなさも感じていた。
事務所は俺たちをスキャンダルから守るために厳しく管理をしており、清純派アイドルとして売りたいのかマネージャーやメイクさんまで男でかためてきている。
むさ苦しい男ばかりの現場では、癒やしもなくただストレスが溜まるばかりだ。
ストレス発散として、タバコを吸い始めた事務所に見つかるときっと怒られるので、見つからないようにこっそりと。
ありがたいことに大きめの会場でコンサートを開けるようになった。コンサートに新曲練習、テレビや雑誌のインタビューなどで忙しい日々が続いた。
会場の中にはスタッフが使う喫煙所がある。何度も同じ会場を使っていると、誰もいない時間帯が分かるようになってきた。
小さめの鞄から箱を取り出し、火を付ける。
「ふぅー」
至福の時だ。誰も居ないこの場所でゆっくりと肺を満たす。何も考えず、ぼーっとできるのはここにいる時だけ。
バタバタと誰かが走ってくる音が聞こえ、慌てて影に身を隠した。
バレたらやばい
物陰からその人物の様子を伺うと、─はぁ、と大きなため息をつきながらひとりで愚痴っている。
─びっくりした
ここのスタッフに女の人って居たんだ。いつも周りにいるスタッフは顔馴染みの男性ばかりで、その他大勢のスタッフのことなんて滅多に見ることは無かったので知らなくて当然かもしれない。
あまりにも愚痴をぶちまけているので、思わず笑ってしまった
その人物は驚いたような顔をして、すぐに─すみません、と小さく呟いた。
やってしまった。見られてしまった。
バレたらヤバそうなので、手に持っていた証拠を彼女に押し付け、控室に戻った。
彼女とは、喫煙所で何度か遭遇するようになった。タバコを吸っているときには気づかなかったが、彼女からは甘くてほろ苦い香りがした。
彼女が美崎サラだと気づけたのは、その香りのお陰だった。
あの時とは雰囲気がガラリと変わり、少し疲れているのかキラキラ感は無かった。
首から下げてあるネームプレートの名前は〝長与〟だし、気づかないでしょ。
彼女のことを知っていくと、あっという間に好きになってしまった。
今まで恋愛は二の次。音楽以上に惹かれる人がいなかったため、恋愛なんてした記憶がない。
彼女と家を行き来するうちに、お互いに好意を持っていることは薄々気づいてたと思う。
事務所からは良い曲を作るには恋愛はしておくべきだと言われてはいたが、アイドルが彼女を作るのはなかなか厳しい。恋愛禁止にされているわけではないが、スキャンダルになるとダメ。ファンのことを考えると、僕の思いは伝えられなかった。
いや、それは言い訳かもしれない。告白する勇気がなかった。もし断られたらと考えると、伝えずに今の関係のままでいるほうが何倍もましだと思った。卑怯なんだ僕は。
彼女といるだけで、僕の日常は明るくなった気がする。あんなに吸っていたタバコもいつの間にか吸わなくなり、生きているって実感する。
ただ広くて寂しかった部屋が、彼女のお陰で生活感のある部屋になった。一緒にご飯を食べたり、冷蔵庫を開ければ作り置きのおかずがあったり、平凡な幸せってこういうことなんだろうな。素敵だなと思った。
このまま、彼女が側にいてくれるだけで満足だった。
そう思っていたのに、自分のせいで─
彼女は偶に、他の男の匂いを纏っていることがあった。本人は気づいていないだろうが、彼女の香りの中に微かだが混ざっている。
今までも見て見ぬふりをしてきた。僕の恋人ではないから。付き合っている人もいないようなので、それは彼女の自由だ。
あの日の前日、見てしまった。ちょうど僕が宿泊していたホテルの別の部屋に入っていく彼女の姿を。その時にちらっと見えたのは、音楽番組で何度か一緒になったことのある某アイドルだった。
あの日、どうしても会いたくて彼女の家に向かったが不在。急いで帰ってきたような彼女はお酒の匂いを纏っている。
怒りそのままに彼女へ近づくと、昨日つけられたであろう少し薄くなった赤い印が服の隙間から覗いている。
募った嫉妬心が制御できなくて、やめていたはずのタバコを欲してしまった。
そもそも、あの時のそれを持ってきていなければ─
マネージャーから撮られたと伝えられたのはそれからすぐのことだった。
恋心はどうすることもできないが、自分の軽率な行動と喫煙についてはこっぴどく叱られた。
SNSに情報が出始めると、あっという間に彼女が袋叩きにされていた。自分への誹謗中傷もあったが、それがまだマシなくらいに酷かった。
落ち着くまでは連絡や接触は控えろと言われていたので、大人しくしているといつの間にか彼女は消えていた。電話をかけてみたが、番号はすでに変えられていた。彼女のよく行っていたお店すらどこか詳しくは分からなかったので、彼女と再び繋がれるチャンスは無くなってしまった。僕は彼女のことを何も知らなかったんだ。
生きているのかすら分からない。
僕はそれから、元のように作業室へ籠もるようになったがうまく歌詞が出てこない。事務所からのオーダーに答えられなくなってしまっていた。そもそもアイドルだから恋愛ソングを多めにしないといけないのは分かっているが、それは自分が作りたい曲ではない。
やりたくないと思っている限り、良いものは作れないのだ。
自分の書いた曲に、自分以外の人が歌詞をつけていく。自分の曲のはずなのに、自分のものではないような変な感じがした。
良い機会だと、メンバーが作詞に励んでくれていたのは嬉しかったが、有名な作詞家に頼んで作らせたものはなんだか流行りを狙いすぎたような歌で、あまり好きにはなれなかった。
早く歌詞を書く感覚を取り戻したい。
そう思ってはいたが、ハマったスランプからはなかなか抜け出せない。
夜もまともに眠ることができず、日に日に増えていくタバコの量。事務所からも健康に良くないから控えろと何度も注意されたが、やめられなかった。
彼女が我が家に来たときに着た僕の服を抱きしめて横になると、彼女の香りがして安心した。そして不思議と眠ることができた。
でも、香りなんてすぐ消えてしまう。彼女が返してくれたあと、1度も着ずにおいておいたのに。
どうしても彼女の香りに包まれたくて、僕はひたすらに香りを探し回った。
香水からボディケアアイテムまで、鼻がおかしくなりそうなほど嗅いでみたが彼女の香りは見つからなかった。
自分好みに調合できる香り物のお店で、近い香りを調合してもらった。
ここまでくると変態みたいだ。
完璧ではないけれど、彼女の香りに一番近い。
甘いアーモンドのようなでもほろ苦くて不思議な魅力のある、彼女そのものを表したような香り。
シュッと枕に吹きかけてみると、安心して眠れるようになってきた。
相変わらずタバコは吸うが、減ってきているとは思う。
スランプから少し抜け出し、歌詞も前よりは書けるようになった頃、同じグループの和翔から連絡があった。
〈俺、今度美崎サラさんと共演する〉
最近になってやっと、彼女が復帰したことを知った。街なかや映像で偶に見かけるくらい活躍していたのでホッとしていたが、まさか自分のメンバーと共演するとは。
─しかも何?和翔のやつ、僕に喧嘩売ってんの?
嬉しそうな声に少し腹がたった。
和翔は僕と違い、愛嬌があって明るいので、
テレビやドラマに引っ張りだこ。Ruby-boyzの顔とも言えるだろう。
背も高く、男も惚れるかっこよさを併せ持つ和翔。
悔しいけれど、僕では勝てない気がする。しかも彼女は以前僕らのコンサートに来た際、和翔の団扇を持っていたから─
彼女のことを忘れるなんて選択肢の無かった僕は、凝りもせずまた嫉妬心に支配されそうになった。
ただ我武者羅に過ごす毎日。回された大量の仕事をこなすだけで精一杯だ。
自宅に帰り、エナジードリンクの缶を開けながらテレビを点けると、そこには彼女の姿があった。
もちろん隣には和翔がいる。
─その場所、代わってほしい
そう思いながら一気に飲み干し、僕は作業室へ向かった。
アルバムが余裕で作れるほど曲のストックができた頃、また和翔から電話が来た。
〈スケジュール被っちゃって。今度の撮影代わりに出てくれない?〉
相変わらずメディアなどに引っ張りだこで忙しすぎる和翔。僕はある程度余裕ができていたので、できないことはない。
「いいけど、なんの撮影?」
和翔に来た仕事だけど、僕が出て大丈夫なのだろうか。
〈CMなんだけどさ、相手が…〉
もったいぶらないで言ってほしい
〈美崎サラちゃんなんだけど〉
─っ
え、そんなことある?僕がやっていいの?それ?え?会っていいの?
返答できず、しばらくそのままでいると
〈聞いてる?大丈夫?〉
心配するような和翔の声が聞こえる。
「それって大丈夫なやつ?」
〈マネージャーとか撮影スタッフの了承は得てるから大丈夫だとは思う。向こうの事務所も良いって言ってるみたいだし〉
「じゃあ、やる」
このチャンスを逃すと、きっともう二度と会えない気がしていた。逃す訳にはいかない。
撮影当日。
和翔から内容は聞いていていたが、何度イメージトレーニングしても緊張は収まらない。むしろ心臓が爆発しそうなくらいバクバクしている。
─1本だけ
と思わずタバコを手にしてしまう。
吸ったあとは、口臭が気になるので歯磨きをしてガムを噛んだり口臭対策スプレーをしたり。
落ち着かないので、早めに現場へ向かうと彼女はまだ到着していないようだった。
それでいい、そのほうがありがたい。
スタッフと細かい打ち合わせをする。彼女のことを思うと、なるべくNGは出さずに素早く撮り終えたほうがいい。
数年ぶりに間近で見た彼女は、あの時よりも色気と品にあふれていた。
白いふわふわとした肌に、ほんのり赤らんだ頬。
きれいな形の唇に紅を滑らすと、透けそうな肌が更に際立った。
監督のゴーサインを確認すると、僕は彼女の唇を塞いだ。
そこからはもう、あまり記憶がない。夢中でくっついたり離れたりを繰り返す。
顔を離すと、更に頬を紅潮させた彼女と目が合った。少し恥ずかしくて目線を外すと、綺麗なままの唇が目に入った。
正直言って、このまま押し倒したかった。
撮影だったから辛うじて理性を保ち、なんとか終えたけれど。
─お疲れさま、なんて言って逃げてきたけれど、余裕があったように見えただろうか。
楽屋の机に花束を置くと、恥ずかしくてたまらなくなってきた。
オリジナルのフィクション小説です。
題名を「初めて書いた物語」から「色なき風と月の雲」に変更しました。
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