32歳、無職、海外在住になって思う、自由と働くということ
「32歳、無職、デンマーク在住」
2020年秋、私をごく簡単に表現するならこういう肩書きだった。
SNSではフリーランスの編集者と名乗り続けていた。けれど知らない土地での暮らしに慣れるまではと、お仕事はお断りさせて頂いてこのパンデミックのさなか、遠く知らない土地に単身渡ってきた。
デンマークに来てから最初の3ヶ月は、フォルケホイスコーレという18歳以上なら誰でも通える全寮制の学校に滞在していた。少し変わったこの学校はテストも評価もなく、授業を受けなくっても怒られたりしない。もう自立した大人が自分の意思でお金を払って来てるのだから、何をしても自己責任なのだ。
もう10年近く、仕事という名の義務と責任を負いながら他者への貢献に人生の時間の大半を費やしてきた身に突然訪れた義務も責任もない、自由。
そう、これが思った以上につらかったのだ。
自由すぎると人は、どうして良いか分からず困惑するなんて話はよく聞くけれど、私にとってそれは困惑などという類のモノですらなかった。
私には北欧のアートとデザイン文化を学ぶという目的もあったし、やることもあった。耐え難かったのは、自分が社会と繋がっている実感、誰かに必要とされている実感がないこと。
全寮制の施設で他人と共同生活するホイスコーレは、8割がデンマーク人で、メインの言語はもちろんデンマーク語。そんな環境で私たち外国人は圧倒的に情報弱者だ。誰かに英語で通訳してもらわないと生活に必要な情報を理解することができない。(そして英語も全部理解できるわけではない…!)誰かにお世話してもらわないと知る権利すらも守ることがままならない私…。今どき小学生だってもう少し自立してる。
そんな生活に、ふと思ってしまったのだ。
このちいさな社会で私の存在意義は一体、どこにあるの?
だって私が明日いなくなっても、誰も困らないんだもの。
それが、自由という一見甘美な言葉が私に与えたものだった。
何かに貢献していないと存在意義がないだなんて決して思わない。けれど…けれど、少なくとも私自身は誰かに何かを求められることによって生かされてきたのだと。それが私と社会を繋いでいたのだと、はじめて気づく。
よく、会社を退職した人が長い休みをとってゆっくりする、なんていう話を聞く。だけど、2ヶ月くらいフラフラ遊んでいるとだんだんと「働きたいかも…」と思うようになるらしい。きっと彼らも私と同じ気持ちだったんだろうな。(私は働くのが大好きな人間の集まる会社にいたので、傾向はすごく偏ってるとは思う。)
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じゃあ日本の仕事を再開すれば良いのかというと、それも違う気がした。
いつか聞いた、地方に暮らしながら時折東京でも仕事をしている友人の言葉が私の気持ちに、ちょっと待ってとストップをかけた。
今の時代、どこか遠くに住みながら東京の仕事だけを請け負うこともできるけど、それってあんまりヘルシーじゃないんだよね。
どの地域にも社会があり、生活がある。どこかで稼いで地元では消費だけをする生活は、その土地で仕事を生み出さないということであり、その土地を豊かにしていくプロセスに参加しないということなのかもしれない。
リモートワークが一般的になったこのご時世、どこでも働けるのは素晴らしい選択肢だ。けれど…遠いどこかにばかり想いを馳せて、いま自分の足が踏みしめている土地と、そこで生きている人たちを置き去りにしたくないな、と思った。
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年が明けた2021年、私は学校からコペンハーゲンに移り住み、日本の仕事とデンマークでの仕事を少しずつ頂きながら暮らしている。デンマークでの活動は、ボランティアでも無給のインターンでもいいからやっぱりどうしてもやりたかったのだ。
東の果ての島国のことばを扱う編集者の需要なんて無いと思ってたけど、探せばあるもんだなぁなんて他人事のように感心しながら、ようやくこの土地で生きるている手触りを感じはじめている。
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