Doing_ではなくBeing_で生きる

Doing ではなくBeing で生きる



他人からの評価ではなく、ありのままの自分を受け入れて生きる。


Doing で生きることとBeing で生きることとは何が違うのだろうか。私が思うに、ほどんどの人はDoing で生きている。

Doing =自分の価値

こんな公式が当てはまる人生を送っている人が多いのではないだろうか。自分の人生は何をしているのか、どんな結果を出せたのか、自分がしたことに対してどんな評価が与えられたかによってその人の価値が決まるのだ。

自分もこの公式通りの考えを持って、生きてきた。

自分がこのような考え方を持っていると気づかなかったけど、ある時Doing で生きることとBeing で生きることとの違いを学んだ時、今まで心の奥底ではDoing で生きていることに気が付いた。


そして、この満たされない思いはきっとDoing からきている、そう確信した。


人はDoing で生きるほうがより自然な状態


私たちは、この世に生まれてきてから常に評価にさらされている。

少なくとも、学校に入ると評価される機会がとても多い。例えば、体育の授業では徒競走があり、足の速い人はリレーの選手に選ばれる。習字が得意な人は金賞がもらえるし、成績が良ければAがもらえる。


皮肉なことに、それは人との相対評価の上で出される結果である。すべての人が競争で1位になれるわけでもないし、みんなが習字で金賞を与えられたら金賞の意味自体がなくなってしまうだろう。


しかし、評価されることで自分の強みを発見できることも確かだ。


私は、小学生の時からあまり目立つ子ではなかった。しかし、体育の時間の時は、走ることが得意だったため先生や他の生徒から一目置かれることものよくあった。その時、自分の得意なことを認識し、もっと挑戦したい、そんな気持ちになった。


しかし、どうだろう。私たちが大人になるにつれてもっともっとクリアに人に評価されるようになる。そして、もっとお金が欲しい、人から認められたい、もっと心が満たされたいという思いはDoingに基づく行動を加速させる。


社会的成功、地位、経済面での安定や人からの評価を重視しがちなこの社会ではやはり、私たちがすること(Doing)で評価されることはやはり自然なことだと思う。


Being で生きるとは


Beingで生きることあは、ありのままの自分の価値を受け入れ生きていくことである。そして、Doing とは切り離されている状態。


すぐ不安定になってしまう自分も、最高の自分も、表現するのが苦手で思いを伝えられない自分も、全部受け入れて生きていく。それがBeing で生きることなのだ。そこには、判断もないし評価もない。いいもないし、悪いもない。ただここに存在する、ありのままの自分(Being)が存在するという事実だけ。


私は神様のことを信じているから、神様から与えられた自分(Being)を知って受け入れて生きている。もちろん、葛藤がないわけではない。しかし、神様から愛されているありのままの自分(Being)そこにいつでも戻っていける。


そして、愛されていることを感謝して毎日生きている。神様は私の人生を受け入れ愛してくれたように、私もほかの人のBeingを愛し、受け入れながら生きて生きたと願っている。

Beingで生きるようになってから


私はBeingで生きるようになってから、本当に心が満たされるようになった。シンプルに、生きること自体が喜びなのだと知った。私が行うこと(Doing)ではなく、私自身(Being)に価値がある。それが分かったとき、私の心は喜びであふれた。そして、神様からの愛を素直受け取り、感謝できるようになった。


私たちが、Doingで判断されるとき私たちの価値は外の世界から決められることになる。そして、何かがうまくいかなかったとき私自身の存在は価値はその社会の反応に対応することになる。

だから、Doingで生きるのではく、Beingで生きたらどうですか?そんな提案したいと思っている。













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