みなさま、こんにちは。エリンです。この記事では少し、私の想いについて書き出してみようと思います。「あんたの想いなんて興味ないね!」と思われる方は、飛ばしてください(笑)ほとんど一人ごとのようなものです。 私は鬱々とした文章を載せることが多いですね。嬉々とした気持ちでnoteを読みたい方には申し訳ないです。でも、私がnoteに投稿する時に思うことは、「世界中の人に私の世界観を知ってもらいたい!」という気持ちではなく、「誰か一人でもいいから、『私も同じこと思っていた。わたしだけ
あなたに飼われる猫になりたい。 私に向ける慈愛の目 私の頭をゆっくりと撫でるその手 私を優しく抱き寄せる体 その温かい感情が、その先の男女の営みを期待するようなものであって欲しくない。 ただただ目の前の生き物を愛でる純粋な行為であって欲しい。 だから私はあなたの恋人なんかではなく あなたに飼われる猫になりたいの。 前回の記事の続きのようなものでした。 自分の中で、 「男として好き」と「猫のような扱いをされたい好き」 を別々に考えることで、「好き=付き合いたい」ではない
「私はあなたが好きよ」 「それって、恋愛感情ってことでいいのかな? 俺もお前が好きだよ。両思いなら付き合おう」 私の心が固まるのがわかる。 いやだいやだと体の奥底が叫んでいる。 私のこの温かい感情に名前をつけないで。 ましてや、「性愛」という箱に片付けてしまわないで。 わたしは名もない「好き」という感情の中でたゆたっていたいのだ。 名前なんてつけてしまったら 名のある形の方向にしか進んでいけないではないか。 わたしはあなたのことが好き。 でもそれは「男」として好きなのでは
恋人が一つ持てば甘くてあたたかいものになる 持ち方ひとつで全然凶器になれる ノスタルジックに浸れるお気に入りの小物になる 雨の人混みは嫌いだけれど、そんな傘のストーリーを探すのは悪くないかもしれない。 ちなみに私はノスタルジーのかけらもないコンビニのビニール傘をずっと使っています。 いつか、お気に入りの傘を見つけたい。
自分の心が死んでしまわないように心を殺して生きてる。 矛盾しているようだけど、実際そうやって生き永らえている人って多いと思う。 人に殺されるのと自分で殺すのって痛みの感じ方が全然違うんだよな。 だから、人に傷つけられる前に、自分で無くしてしまおうとするのだろう。 でも、それは一時的な話で、後々、自分で殺してしまった心がもう取り戻せないものだって知ると、絶望的に苦しくなってしまうものだ。 自分の心を守るために感情を抑制したり、殺したりしてしまったけれど、もっと息がしやすい
難しく考えないことが大事だよ でも、それが一番難しいんだよね なら今の悩みは一番解決の難しい悩みではないわけだ 新入社員の私に上司が放った言葉。 とても単純だし、当たり前のことだけれど、余裕のない私の心を軽くしてくれました 焦りの毎日を送っている頑張り屋の皆様にお裾分けです
茹だるような夏の暑さから一変、肌を撫ぜる風がひんやりと冷たいものになってきたこの頃。大気の香りもあちこちに散らばっているものから、まとまった風となって鮮やかに鼻を突き抜けるようになる。 「この季節の匂い、すごく好きだな〜」と思うのと同時に、この季節は夏の終わりなんだか、秋の始まりなんだか、どちらに形容すれば良いのか曖昧だなぁ、と毎年思う。この迷宮入りの思考が始まると、「ことしの冬も楽しみだな」なんて風物詩のように思う。そして、その時間を毎年噛み締めている。なんてったって、私
夜、都会のビルの小窓から見える空間の幸せの想像が果てしなくて、とても好き。 特に、暖かいオレンジ色の光に溢れた商業施設のビルがいい。 その小窓の奥で、どんな美味しい料理を食べてるんだろう。どんな会話が弾んでいるのだろう。 その小窓の奥で、どんな素敵なお店が並んでいるんだろう。自分の好きなもの、欲しいものを眺めているだけでワクワクするよね。 小窓の奥は、きっとそんな暖かいストーリーで溢れているに違いない。そう思いを馳せながら、わたしも少し疲れてしまった心と体をビルに向け
夏の夜の香りに導かれて、幼い子供だった頃を思い出す。懐かしい感覚に襲われ、泣き出してしまいたくなる。私が感じる夏の夜って、そんな香り。 わたしは大人になって、灰色の世界に染められてしまった。けれど、幼い頃見ていたわたしの世界はほんとうに色とりどりだった。自由な発想で、自由に世界を塗って、自由にそれを表現した。それは怖いものではなかったし、当たり前のことであった。 いつから色を表現することに気を遣い、規制され、濁っていってしまったのだろう。今や自分がどんな色を持っているのか
綺麗事ってどうしたって綺麗事だし胡散臭いけど、それによって自分や誰かの心が和らいだり、逆に縛ってしまったりする繊細で凶暴な言葉なんだなーってなんとなく思う。ここまできたら宗教だね。めっちゃどーでもいいけど。 私は綺麗事に救われたこともあるし、綺麗事で苦しんだこともある。 綺麗事で人を慰めたこともあるし、苦しめたこともある。 皆、綺麗事を振り回しているように見えて、実は振り回されているかもしれない。 でも、一つの価値観を追って答えがなんだかよくわからなくなって、綺麗事なんて
「嘘くさいなあ」とよく言うけれど、嘘には本当に匂いがするのかと思うほど、嘘をついている人は「嘘臭い」 怒鳴って怒ったりする表現で、「雷が落ちた」なんて言うけれど、本当に雷が落ちたように視界の端が白く揺れ、雷が落ちたような音が響く。 こんな言葉を作った人、絶対繊細さんだなあ。素敵だなあ。なんて。 でも、そう感動していた背景には嘘をつかれた経緯があって。怒鳴られた経緯があって。 繊細な言葉を見つける素敵な時間には、必ず素敵な時間が流れているとは限らないのだ、とため息を吐く。
わたしは四季の香りが好き。 一番好きなのは、みずみずしくて豊かに肺を満たしてくれる夏の夜の香り。 優しく寄り添ってくれるような冬の朝の繊細な香りも好き。 だけど、春の匂いは少しだけ苦手。鮮やかで新しい香りのする春は、とても良い香りだけれど、その新しい香りは、生活に変化をもたらす前兆だ。入学、新学期、進学、就職……。新しい環境に、少しの期待と、大きな不安が、胸の中をぐるぐると回っている。 春の匂いは、そんな感情の渦巻きを持ってくるのだ。 私は今年、大学で進級をした。クラスも
私が一番最初に出した記事「it's a small world」。 あれは私が某夢の国に行くたびに思っていることを殴り書いたものであった。 匿名だし、そういうものを吐き出す場だと思うし、、、といそいそあげたもの。いろんな理由をつけながらビクビクとあげたのは、あの記事で書いたことが、現実であまり理解されなかったからだ。 「綺麗事」「夢」「御伽噺」「ファンタジー」 そんな一言で片付けられたけれど、それは確かに間違っていないと思う。 だって実際綺麗事だし、現実はそんな簡単に
「自分のために生きなよ」なんて、簡単に言わないで 「もっと楽に考えなよ」なんて、知ったようなこと言わないで。 自分でもわかってるんだ。自分で自分の首を絞めているだけだって。でもね、楽に生きるための自己啓発は一次処方でしかないの。その時楽になれるだけなの。 実際行動できる勇気もない私に、明るい言葉は足枷になってしまう。 前を向けるような明るい言葉も大事だけれど、私はやっぱり今のわたしを肯定して包み込んでくれる優しい言葉を欲している。それだけで、前に進む原動力になるからさ。
きのこの山・たけのこの里戦争に参加する権限を得ようと、その二つを買ってきて実食してみた。きのこの山はチョコの部分が多くていいね。たけのこの里はクッキーの方が主役で、またちょっと違う。うん、悪くない。コーヒーに合うぞ。……どちらがいいか決めるんだっけ?うーん。どっちもいいだとダメ?
心が荒んだ人が多いなあ。みんなささくれだってる。乾いた心で灰色の世界を歩いている。心が潤っている人を妬み、否定する。偽物の善に化かされている人々。 みんなみんな、「イッツ・ア・スモール・ワールド」に乗ればいい。自分がどんなにちっぽけで、どんなに空っぽで、どんなに乾いた人だって、気づくと思うから。 改めて気づいて、優しい世界で、生きようよ。 幸せな世界ってきっとそんなことだと思うな。あの世界観が、きっと幸せの全てだと思う。 みんなが等しく夢の国に入ることができる。みんなが等し