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みなさま、こんにちは。エリンです。この記事では少し、私の想いについて書き出してみようと思います。「あんたの想いなんて興味ないね!」と思われる方は、飛ばしてください(笑)ほとんど一人ごとのようなものです。


私は鬱々とした文章を載せることが多いですね。嬉々とした気持ちでnoteを読みたい方には申し訳ないです。でも、私がnoteに投稿する時に思うことは、「世界中の人に私の世界観を知ってもらいたい!」という気持ちではなく、「誰か一人でもいいから、『私も同じこと思っていた。わたしだけじゃなかったんだ! 』と思ってもらいたい」という気持ちです。

小さい頃から感性が周りと少しずつ違っていて、「そう思うのはあなただけだよ。」という言葉は、何度も耳にしてきました。その言葉は、私にとってほとんど地雷のようなものです。そう言われるたびに、「そうだよね。普通の人はそんなこと考えないよね」と一人で傷ついてきました。だって、「君は普通の子じゃないよ」と周りから烙印を押されているようなものですからね。

独特の感性を持っている私に、周りの大人たちは「不思議な子」といって敬遠したり、逆にものすごく可愛がってもらいました。でも、それは「普通の子」にはしないこと。普通でない私にする特別扱いというのを感じ取るのは、あまり良い気持ちのしないものです。この感情も、わかってくれる人は、どれくらいいるのか。少なくとも、マジョリティでないことは確かだと思います。マジョリティでなかったのなら、私の今までの悩みや苦しみは、なんだったのだろうか、と思うのでね。


多様性が謳われる現代社会の中、「自分らしく生きろ」というのは、呪いのような物です。一人では不安で、どうしようもなくて、結局二番煎じであることを望んだ私は、きっとこの世界に馴染むことはできないのだろうと、ずっと自分で自分の首を絞めてきました。でも、世の中を諦めるのには早すぎるくらい未熟で、青かった。狭いコミュニティの中で自分を中和できなくて悩むのには、世界を知らなすぎた。周りの人々は私が思っているよりずっと普通ではなくて、孤独でした。自分で自分の世界を閉じてしまっているだけなのでした。


けれど、やはり「独り」では不安だから。誰かいてくれるだけで、頑張れるから。「私も同じだよ!」という言葉を胸に、私は私を生きていけるのです。


「私だけじゃなかったんだ」という感情は誰かの救済であり、もしかしたら何か変わるきっかけになる起爆剤になるかもしれません。私は、私がして欲しかったように、誰かの「私もそうだよ。心配しないで」になりたい。たくさんの人に共感されなくても、誰かの心の拠り所になればいい。そう思っています。
そして、わたしもどこかで救われたいのです。
結局、自己満足。


文章が得意ではないので、少々読みにくいところや、意味が通じてこない部分があるかもしれません。あまり深く考えず、雰囲気で読んでもらえればと思います。

長くなりましたが、エリンの思いでした。最後まで見てくださり、ありがとうございました。


いつか誰かの休憩所になれますように。あなたが、毎日平和に暮らせますように。大丈夫。あなたは一人じゃないですよ。


また、いつか。

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