Suicidal thoughts
文字にもしてこなかったこいつ。ありふれていようが、なんだろうが、あるもんはずっとある。別に誰に認められていようといまいと、外から目を覗き込めば、みる人がみればわかる。そういう類いの、そいつ。
わたしは幼少期に心的外傷を受け、そこから回復した人間の崇高さにしか惹かれない。すべてを諦め、動じない幹。いや、動じてはいるものの、それを幾度となく自分で立て直してきたゆえの、悲哀の混じった立ち居振る舞い。そこにしか「この人には敵わない」という感情を感じ得ない。きっとそれ以外は、自分でもできると思っているからだろう。
その存在を否定し、責め立てられる人間の、世界や身体への無知さと、現在の自分がいかに恵まれているか、それが守られてきていることへの有り難みの自覚できなささに、時折怒りで涙が込み上げる。というか、わたしは小さい頃からずっとずっと、ひとりでこの存在について怒り続け、周囲に話し続けてきた。調和を取り続けてきたし、経験のないが故に怒りやすい人間には、教えることで争いの種を摘み、また彼らが巻き込まれるその可能性から守ってきたのだ。それがたとえ自己満であったとしても。
ただ、この「自分なりの崇高さ」が、誰にも理解されていないと感じる日が来て、ひとりで悔しくて泣く。何をしているのか、その価値がわからなくなって、すべての時間と労力が無駄になったような気がして、泣く。そもそも、こんなことに腹を立てたとして、ただわたしの時間とエネルギーが無駄になっただけで、現実はどうにもならないことにも泣く。しかし、どうにもならないのなら、わたしひとりで怒る権利もまた存在するのである、と自分の中では納得させて、落ち着けているが。
この感覚をどう説明すればいいのだろう。早く死にたい。すべての幸せを無償で受けたい。もう疲れた。頑張るのにも、もうぜんぶ疲れたよ。というか、現に、わたしはそんな何かを乗り越えた人間に憧れないというものがある。生きるモチベーションが続かない。男だったら女にモテるからいいじゃん。女でそれ、別に、なんも価値なくね?強いていうなら、同じような状況の人の希望になるくらい?でも別になりたくないし。憧れられるためにも人のためにも生きてないし、生きたくないし。他人に憧れられたって別にわたしが幸せになるわけじゃないじゃないですか。
まあ、死にたいって吐けてる時点で、昔よりは気持ちが幾分か楽ではある。死ぬような無茶さは、しないような気がしてる。たぶん。してたらめちゃくちゃセックスしてくれ。そうして、目を覚させてくれ。いや、眠らせといてくれ。
ねえ、がんばるからさ。まだあきらめたくないから。責めないで、見放さないで、ずっと遠くから見ててよ。もしわたしが倒れそうになったとき、余力があったら手を差し伸べてくれないかな。おねがい。そうしていつの日にか、わたしの考えていたことの集大成が実現できる日まで、見守っててくれないかな。