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「わたし」とわたしの人格

「わたし」とわたしの人格の関係は、地球とこの惑星の中で生きる生物のようなものだ。こんなちっぽけで無愛想な人間といえど、それなりの感情と思考、そして最低限と少しの贅沢な人たちの中で、期待したり求められたりしながらよくわからない承認欲求とやらを満たしている。ヒトという種族に与えられた選ばれし特権、存在肯定としてこの上ない喜びだ。だがそれらに応えようとすると本来の感覚から絶対にズレてしまうということもまた、どこかのステージで察するようになる。「生み出すことが喜びか?それが受け入れられることか?それとも評価されることか?」答えとしてはこうだ。いまのわたしは、わたしが生きるために、自分のために、一定の距離間隔を取りながら産み出していくことを続けるしかないのだ。そしてそれでも侵入してきてくれるものがあれば、最大の幸福をくれたその者にとびきりの感謝をして。まるでそれは、精子が母親の胎内を駆け回り受精するように。誰かひとりにでも響いたら、いや、むしろそれはそのひとりのためのものなので、その人格(quality)は合格、無事子どもとして世界という母体が育ててくれる可能性に預けるのみであって、「わたし」にはお役御免なのだ。





どうも〜