望遠鏡なんて要らない(短編小説)
十二月。待ちに待った冬休みの到来を間近に控えた木曜日、おれは学校の廊下を歩いていた。窓からは小春めいた柔らかな日差しが差し込んでいるが、足取りは重い。昼休みの賑わいの中、おれは一人でひたすら階段を上り続けた。
やがて、一般生徒の立ち入りが禁止されている屋上へと続く、扉が見えてくる。しかし、行きたいのはそちらではない。屋上へ続く扉の、数歩左に設置されているドアノブに手を掛ける。ただでさえ開校何十周年だかでガタがきている校舎だというのに、中でも特に建付けの悪いドアが、尋常でなく軋んだ音を立てながら、ゆっくりと開いた。途端、待ち兼ねていたかのように、男子生徒の明るい声が飛んでくる。
「先輩、どうでしたか?」
声の主は、ドアの真ん前に立っていたらしい。おれは驚いて半歩下がり、おれの肩までしかない、その頭を小突いてやった。
「お前な、そんな所に立ってるんじゃないよ。危ないだろ」
「あ、すみません。でも、早く知りたくて」
それなら部室の前にでも立っているか、生徒会室まで来るかくらいはしても良いのではないだろうか。そう思ったが、期待に満ちた眼差しを向けられ、そんなことを言う気は失せてしまった。おれは仕方なく、たった一人の後輩である彼――柚木美景(ゆずき みかげ)に肩をすくめて見せた。
「どうもこうもないよ。却下された」
「却下?」
柚木は、ぽかんと口を開けた。おれは慌てて続く言葉を探す。
「予算が足りなかったんだよ。生徒会長も頑張ってくれたんだけどさ、どうしても……」
「そう、ですか」
柚木は一つ肯いて、狭い部室に何故かずらりと並べられた、椅子の一つに腰を下ろした。思っていたよりも反応が薄い。てっきり泣き出すか、若しくは怒って生徒会室へ走って行ってしまうかと思っていたのに……実際には泣きもせず、ただ静かに落ち込んでいるのみだ。
「予算が足りなかったのなら仕方ないですね」
「……うん。ごめんな。おれがもっと上手いこと立ち回ってたら」
「先輩のせいじゃあありませんよ。そもそも先輩にそういう交渉事が向いていないのは明白でしたし」
「うん、まあ、そうなんだよな」
柚木が言うように、おれには理論を整然と並べ立てて冷静な話をするなんてことはできない。感情に任せてまくしたてることなら、容易いのだけれど。
「しかし、やっぱり望遠鏡が無いのは恰好がつかないよなあ」
ため息とともに吐き出した言葉は、場の空気を更に重くするのに一役買ってしまった。だが、これは事実なのだ。望遠鏡がない天文同好会など、ただの星好きの集まりでしかない。それも、柚木はともかく、おれは星についての知識など皆無だ。本当に、恰好がつかない。
「恰好がつくかつかないかはともかくとして、望遠鏡無しだと、本格的な観測はできませんね」
「ああ。まあ、おれは本格的な観測なんてしたことないし、やり方もさっぱり分からないから別に良いけどさ。でも、お前は欲しかったんだろ。望遠鏡」
「…………」
柚木は黙って、床を見つめている。おれは申し訳なさに潰れそうになりながら、また一つため息をついた。
望遠鏡が欲しいという話は、この天文同好会が発足した当初から、出てはいた。それが五月の頃だから、かれこれ半年は保留になっていた問題でもある。おれ自身は、星を見るのは好きでも望遠鏡なんて高い代物を見たことも無かったし、正直言って興味が無かった。だが、冬の澄んだ夜空を望遠鏡で覗いてみたいという柚木の発案も尤もだと思い、秋ごろから、生徒会に提案していたのである。
望遠鏡があれば、来春の新入生に対するアピールもしやすくなる。そうすれば、もしかしたら部活動まで昇進することもできるかもしれない。そんな下心もあっての提案だったが、今日の最終予算会議で、言下に却下されてしまったのだった。
柚木に掛ける言葉が見つからず、おれも一緒になって黙っていると、暫くして柚木が口を開いておれを見上げた。
「まあ、望遠鏡が無くても星を見ることはできます。そんなに落ち込まないでください」
あろうことか、おれが慰められてしまった。
「ああ、そうだな。……って、おれよりお前の方が落ち込んでるんじゃないの」
「ぼくはそうでもありませんよ。大丈夫です」
そう言ってほほ笑む柚木だが、さっきまでの沈黙が、何よりも雄弁に彼の落胆を物語っている。
「……なあ、流星群って今週の土曜日だろ。望遠鏡が無くても見られるんだよな」
おれは柚木の隣に座り、そう切り出した。柚木は、伸びてきた前髪を気にしながらこちらを見て、肯いた。
「はい。むしろ望遠鏡だと広範囲が見られないので、流星群観測には不向きかと」
「ならさ。予定通り、今週の土曜日にここで観測といこうぜ」
「そうですね。ぼくも、そうしたいと思ってました」
柚木はようやく、にっこりと笑った。おれもようやく、ほっと息をつく。
今週の土曜日に、今年最後となる流星群が降る。
一応、天文同好会の最年長者として天文関係のニュースは欠かさずチェックしていたおれは、先月から、その観測を予定に入れていた。ただ、望遠鏡に関する会議が立て込んでしまったお蔭で、ここ一か月、流星群観測についての計画を練ることができていなかった。そのため、今改めて、話を切り出したのだ。今週の土曜日は丁度新月に当たっていて、流星群観測にはうってつけだ。これで雪さえ降らなければ、絶好の観測日和となるはずだ。
「うまくいくと良いですね」
「新月だし、冬だし。かなり条件は良いからな。夏の時みたいにはならないと思いたい」
流星群観測は、夏にも一度行っていた。しかし、重い雲が垂れ込め、時折通り雨がぱらつくような悪天候の中、流星など一つも見つけることができなかった。その日は深夜一時までこの部室で粘っていたのだが、いつしかどちらともなく眠ってしまい、気づいたら真夏の朝日に起こされることとなったのだった。
「でも、あれも良い思い出です。先輩とたくさんお話できて、楽しかったですし」
「まあ、それなら良かったけどな」
確かに思い返してみると、あの日を境に、おれと柚木の距離は縮んだような気がする。たった二人の同好会だが、それはそれで良かったのかもしれない。
「でもさ、来年は女子にも入部してほしいよなあ。なんていうかこう、華が足りない」
「来年、もし後輩ができたら、ぼくも先輩になるわけですよね……緊張します」
「まあ、お前は大丈夫だろ。おれなんかより、よっぽど知識あるし。星に関してはお前の方がおれの先輩なんだし」
「そう、ですかね」
柚木は照れたのか、急に立ち上がった。そして壁の隅に置いてある棚から雑誌を取り出し、おれに差し出した。
「じゃあ先輩。土曜日までにこの特集を読んで、観測の用意をしておいてくださいね。防寒具とか、レジャーシートとか」
「任せとけ。……でも、レジャーシート持って来るの、おれの役割なのかよ」
「だって先輩、家が近いじゃないですか」
「そうだけどさ」
しぶしぶ雑誌を受け取り、俺も立ち上がった。と同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
観測当日、午後六時。とっくに夕日は沈み、金星が瞬きだす時刻である。
おれは、レジャーシートやらお菓子やらを色々と詰め込んで膨れ上がったリュックサックを背負い、部室へ向かった。既に室内には柚木がいて、持ってきたらしい双眼鏡などを椅子の上に並べている。
「あ、先輩。おはようございます」
「こんばんは、だろ。しかし毎回、鍵の管理を任せちゃって悪いな。おれより早く来なきゃいけないし、大変じゃないか」
重いリュックサックを床に置き、窓枠に腰かけながら、おれは聞いた。同好会発足当時から、部室の管理はなぜだか柚木に任せきりになってしまっており、実はいつも気になっていたのだ。しかし柚木は首を横に振った。
「いいえ。たいしたことじゃありません。それに、先輩に任せるより安心だって、先生にも言われましたし」
「さすが先生、良いこと言うな」
眼鏡をかけた小柄なおじさん顧問の姿を思い出し、おれは苦笑いした。
「そういえば先輩、先生には……」
「もちろん許可は取ってあるさ。許可もなしに休日の学校に泊まれるわけないだろ」
「それを聞いて安心しました」
背後の窓に目を向けると、暗闇がますます深くなっていくのが分かった。窓から見ることの出来る範囲では、どうやら晴れているようだ。
観測開始は七時と定めてあったので、暫くは持ってきた食料品を空けることに専念して時間を潰した。木曜に渡された雑誌の、流星群観測に関する記事のおさらいをしていたら、時が経つのはあっという間だった。
「……さて、そろそろ七時だ。よし、出陣するか」
時計の針は六時五十五分を指している。おれは立ち上がり、さっきまで腰かけていたのとは反対の壁際の窓を開けた。途端に、外の冷気が吹き込んでくる。この窓は、人一人は簡単に出入りできるほど大きく、屋上に直接繋がっている。そう、ここが屋上への入り口というわけだ。廊下にも屋上への入り口はあるが、何年か前に用務員さんが鍵を紛失したとかで、部室から出入りするほか無いのである。
「よっこらせっと」
外靴に履き替える、なんて手間なことはしない。屋上の清掃は一週間に一度、おれたち二人が交代で行っている。特に今週は柚木が当番だから、おれが当番の週よりもきれいなはずだ。窓枠に足をかけ、そのまま屋上に着地する。そう大した高さがあるわけではない。教室で使っている机の上から床に着地したようなものだ。
「先輩、避けててくださいよ」
「おう」
おれの後ろに続いて柚木も屋上へ降り立ち、小さなくしゃみをした。
「……やっぱり寒いですね」
「うん。そりゃあ十二月だからな」
「なんか偉そうですね」
部室の電気はつけっぱなしだから、自分が吐き出す息の白さがよく分かる。おれは窓の遮光カーテンを閉じる前に、柚木に指示して、窓の近くに置いておいた防寒具と観測道具一式を持ち出させた。見たところ雨や雪は降る気配がない。新月だからよくは見えないが、雲は無さそうだ。
二人で防寒着を着込んで、レジャーシートを敷く。持ってきた双眼鏡とスマートフォン、それから星座早見表を傍らに置いて、いよいよ準備万端である。教室三つ分ほど敷地がある屋上の、ど真ん中を陣取ったため、学校を囲んでいる住宅の光は届かない。おれたちの視界には、およそ星以外の光は映らないのである。
おれと柚木は二人そろって、レジャーシートの上に仰向けに寝転がった。流星群観測を立って行うのは苦行でしかない。こうして寝てしまえば楽だし、視界が広がるから観測にはうってつけなのだ。
「七時ですね。時間ぴったりです」
「だな」
どこか遠くで、車の走る音が聞こえる。でもそれ以外に聞こえるものは、おれたちの呼吸音だけだ。おれも柚木も黙って、ただ夜空を見つめる。そうしているうちに、徐々に目が暗闇に慣れてくる。やがて、視界いっぱいに、星空が満ちていく。
丁度天頂の辺りにはカシオペアがW字型に輝き、西の方には白鳥座のデネブが見える。北斗七星は、おれたちの頭の遥かにあるらしく、見えそうにない。以前、柚木が教えてくれた知識を記憶の底から掘り出しながら、おれは星座を目で追った。
「やっぱり星って、きれいですね」
隣で柚木が呟く。おれは無言で肯き、同意する。
学校自体は街中にあるのだが、この街全体が田舎と言っても良い場所なので、都会のような光害は少ない。澄み渡った冬の空気の中、星の光は鮮明に見え、本当に、息を呑むほどに美しかった。
柚木が、また一つ呟く。
「ぼく、星を見ていると、先輩と初めて出逢った時のことを思い出すんです」
「……そうか」
柚木と初めて出会った時のこと。おれだって、よく覚えている。
「一年前にあの丘で、一緒に星を見たんだよな」
「はい」
一年前の、冬のことだ。おれはその頃、高校生活に馴染めずに夜の街をフラフラしていた。そこでつるむようになった仲間と意味もなくたむろしては、突発的に起きる喧嘩に参加して、人を殴ってばかりいた。有体に言えば、荒れていたのだ。ただ、学校にはきちんと通って、単位を落としたりはしなかった。恐らく担任の(そして現在の天文同好会顧問の)先生には勘付かれていたのだろうが、大きな問題に発展するような荒れ方をしたつもりはない。殴り合いの喧嘩も、酔っ払った不良や酔っぱらっていない不良ばかり相手にしていたし、生死に関わるような怪我を負わせたこともなかった。
そんな中途半端な程度ではあったが、それでもおれは確かに荒れていた。同級生はおれのそういう部分を敏感に見抜いてしまい、おれはますますクラスに馴染めなくなっていた。そんな冬の、ある日のことだ。おれは柚木と出逢った。
市街地から少し外れた、学校へ続く道の中途に、結構な規模の自然公園がある。いつものように喧嘩をして、へとへとに疲れ切ったおれは、その自然公園を通って家路を急いでいた。時計など持っていなかったから正確な時間は分からないが、恐らく深夜の二時くらいだったろう。空の高くに、冴え冴えとした三日月が浮かんでいたのを覚えている。
自然公園内には池がある。おれはその池の傍を足早に通り過ぎようとしたのだが、池に人影が映ったのに気づいて、足を止めた。こんな時間にこんな所にいる人間は、いったいどんな奴だろう……そういう好奇心に動かされたのだと思う。池の近くには、池を臨むようにして、小高い丘が設置されている。人影は、その丘の上に座っているようだった。
おれは息を殺して、その丘へ近づいた。ただの好奇心からの行動だったため、こちらの存在に気づかれるのは、むしろ嫌だった。しかし、なかなかその人影の正体を知ることができずに焦れたおれは、思わず蹴り上げていた石ころを、池に落としてしまった。その音で振り向いた人影が、声を発した。
「……誰ですか?」
まだ幼さの残る、高い男の子の声だった。
「……ええっと。おれはその、怪しいもんじゃなくて。ただの通りすがりっていうか……」
こっそり姿を窺い知ろうとしていたためにばつが悪く、おれはしどろもどろに弁解しようとした。しかし相手は、おれがそれ程年上でないと分かったのか、それまでの緊張を一気に解いてしまったように明るい声音で続けた。
「もしかして、あなたも星を見に? だったら、ここは丁度良い場所ですよ。周りに光が無いし頭上に障害物も無いし。おまけに今日は流星群ですからね。それで、こんな時間にいらっしゃったんでしょう?」
「……うん、そうなんだ。そうなんだよ。そうそう、星を見に来たんだ」
つい、相手の勢いに押されて話を合わせてしまった。内心、何をやっているんだと思わないでもなかったが、今日が流星群だと聞いて、話を合わせる気になってしまったのかもしれなかった。我ながら似合わないとは思うが、おれは昔から、星を見るのは好きなのだ。
「だったら、ここに来て、一緒に見ましょうよ」
「……ん、ああ、えっと」
「星を見るんでしょう?」
半ば強引に、その男の子の隣に座らされてしまったおれは、改めて相手の顔を見た。三日月の鋭い光に浮かび上がったその子は、おれが今までに見た誰よりも色が白かった。月光のせいもあるかとは思ったが、それは元々持っている肌の質というよりかは、長年日光に当たらないで生きてきた人のものだった。加えて彼は、線が細かった。寒さ対策に、もこもことしたコートを着てはいたが、ちらりと覗いた首筋はか細く、あまりにも頼りない。
こんな時刻に、一人で出歩いていて良いような人間ではなかった。
「なあ、その……、なんとか君」
切り株の上に腰を下ろし、おれがそう話しかけると、男の子はクスリと笑った。
「面白い呼び方ですね。ぼくの名前はユズキです。ユズキ・ミカゲ」
「じゃあ、ユズキ君。君さ、何歳?」
「今年で十六歳になります」
「ってことは、今年で高校生?」
「はい」
確かに、妥当な年齢だと思った。最初に聞こえた声を幼いと感じたのは、正しかったようだ。おれと一歳しか違わないが、この時期の人間にとって、一年というのは大きい。おれは、なるべく説教臭くならないように気を付けながら続けた。
「ユズキ君、それはつまり、まだ中学生ってことだろ。おれが思うに、中学生がこんな夜中にこんな所をうろついてたら危ないんじゃないかな。親御さんとか、気づいたら心配するだろ」
もちろん、夜中に家を抜け出して徘徊しているおれに言えたことではないのは分かっている。だが、それでもこんな時間にこんな所に居合わせてしまった年長者として、言うべきことは言っておくべきだと思った。おれの言葉に、ユズキは少し躊躇したのち、言った。
「ばれたら確かにヤバいんですよね。……看護師さんには見つからないように出てきたんですけど」
「はあ? 看護師?」
聞こえた単語に驚いて、おれは思わず声を上げた。それは、ユズキが病院から抜け出してきた入院患者である、ということを示していた。ということは、ユズキは何らかの病気持ちで、こんな冬の夜に椅子も無い場所で長時間座っていられるような身体ではないということだ。
「おいおいマジかよ。それは本気でヤバいって。どこの病院だ?」
ポケットから携帯電話を取り出そうとするおれを、ユズキは慌てて制した。
「あ、あの。別にぼくは大丈夫なんです。もう来月には退院できるくらい回復しているんですから」
「んなこと言ったって……放っておけないだろ。おれの前で倒れられたら困るんだ」
「それは確かにそうですけど、でも……」
「でも、何だよ」
ユズキはまたも躊躇う素振りを見せたが、思い切ったように言葉を吐き出した。
「来月には退院できるかどうか、それを決めるのが明後日の最終検査で……そこで、退院できるか、それとも一生病院の中で過ごすことになるのかが決まるんです。怖いんです。小さいころから病院と自宅を行ったり来たりでろくに学校にも行けなくて、病院にいる人たちとしか友達になれなくて。……いや、別にそれは良いんです。ぼくはそれより、退院して高校へ行くのが怖い。今まで触れたことのない世界に放り出されるのが怖い。病院の人たちはみんな優しくて、とても気が楽だった。そこから踏み出すのが怖いんです」
言っていることは、なんとなく分かった。おれが高校に馴染めないのも、もしかしたらそういう気持ちがどこかにあるからなのかもしれないと思った。それまで築いてきた世界と全く違う世界というのは、怖い。中学を卒業してすぐにこちらに引っ越してきたおれには、その感覚はよく分かった。
「……だから、もしかしたら最後になるかもしれない今回の流星群を、抜け出して来てでも見ようと思ったんです。流れ星の一つでも見ることができれば、退院するにしてもできないにしても、勇気をもらえるような気がしたんです」
話しているうちに感情が込み上げてきたのか、ユズキは泣いていた。おれの隣で、ひ弱な肩を震わせて、静かにしゃくり上げていた。
「ぼくは、星が好きです。あんな遠くにあるのに、ここまで光を届けてくれる。一瞬の光が、ずっとずっとぼくらを照らしてくれている。時間なんてたいしたものじゃなくて、人間なんてたいしたものじゃなくて、でも、だからこそ、ぼくらがここにこうしていられるというのは奇跡なんだって、思うことができるんです。だから、……」
後は言葉になっていなかった。だが、何を言いたかったのかは痛いほど伝わった。おれは、ユズキの髪の毛をくしゃくしゃとかき回してやった。
「だから、一つだけでも流れ星が見たい。……そうだな?」
おれの言葉に、ユズキはハッとしたように顔を上げた。
「はい。そうです」
そして、涙で顔を濡らしながらも、にっこりと笑った。
それからおれ達は、目を皿のようにして夜空を見上げ続けた。しまいには二人とも首が固まってしまったが、朝方四時ごろに、一筋の流れる光を見つけることができた。そこで、おれとユズキは笑顔の内に、それぞれの帰路を辿ったのだ。
「しかし、入学式の日にお前を見つけた時はびっくりしたよ。まさかうちの学校に入学してくるとはね」
相変わらず静かな屋上で、おれは柚木に言う。柚木も負けじと、言葉を返してくる。
「ぼくだって驚きましたよ。まさか、ぼくが入学する学校に先輩がいたなんて。しかも先輩、ぼくが言うのもなんですけど、あの頃、結構浮いてましたよね」
「お前な。気にしてることを掘り返すんじゃないよ」
「すみません」
そう、ユズキと出会ってから柚木が入学してくるまで、おれは相変わらず学校で浮いていた。だが、柚木がわざわざ二年生の教室までやって来て、同好会の設立を提案してくれたあの日から、全ては変わったのだ。居場所を感じられなかった学校は、暖かくおれを迎えてくれる場所になった。部室に行けばいつだって柚木がいて、何を話すでもなく、一緒にいてくれた。そのお陰で、それまでつるんでいた悪い仲間との縁も切れ、おれは本当にただの高校生に戻ることができたのだ。
「おれさ、柚木には感謝してるんだぜ」
「なんですか突然」
「いや、そういえば言ったことなかったなあと思って」
「やめてくださいよ……気持ち悪い」
「あっ、ひでえ。本心で言ってるのに」
おれと柚木は笑いながら、同じ夜空を見上げ続ける。まだ、星は流れない。
「先輩。ぼくも、先輩には感謝しているんです。笑わないで聞いてくださいよ?」
前置きしてから、柚木は言う。
「あの夜、あそこで出逢ったのが先輩じゃなかったら、きっとぼくはすぐに病院に逆戻りさせられていたと思います。ぼくの話を黙って聞いて、一緒になって星を見てくれる人なんて、きっと先輩くらいしかいません。もしかしたら、あの夜ぼくに勇気をくれたのは、流れ星じゃなくて先輩の存在だったのかもしれない、って……今はそう思うんです」
「…………」
「ぼくはあの夜先輩に逢えて、本当に良かったと思っています。今もこうして一緒に星を見ることができて、本当に嬉しいです。それと……ぼく、望遠鏡が欲しい、って言ったじゃないですか」
柚木は、自分の両手で作った円筒を右目に当てて、夜空を覗いた。
「でも、そんな物は要らないって、今日分かりました。こうして先輩と一緒に星を見ることができれば、他には何も要らない……望遠鏡なんて要らないんです」
「……そうか」
おれはそれだけ言って、柚木の真似をして夜空を覗いた。そうして見る夜空は、なぜだか水の底のように潤んでいた。水の底に沈んだ空の端を、星の欠片が弧を描いて流れていくのが、見えたような気がした。
《前回投稿した「星に名前なんて要らない」(下記リンク参照)の対となる小説です。6年前に書いたようです。「星に〜」よりも明るく、未来のある話になっているなあと思います。星といえば私の中では夏なんですが、星がよく見えるのは冬なんですよね。ということで、夏なのに冬のお話でした。お楽しみいただければ幸いです。》