バレンシアの火祭りの思い出 2
友人と、「あの泣き虫の男の子、私たちと出会わなかったら、どうしてたんだろうね。声かけてあげて良かったよね~!」などと話しながら、張子人形が焼かれてなくなって、まだ焼けたにおいが残ってた町を2人で楽しく見学しながら歩いた。
そろそろ駅に向かわなければいけない時間になったので、ペンションに戻り、「大きなバッグ2つを預けたんだけど」とペンションの人と思われる男性に言うと、「荷物部屋を探して。」と言われ、たくさんの旅行者が預けてあったバッグの中を探した。
けど・・・・
私たちの2つの黒いスポーツバッグがない!!
頭の中が真っ白になった。
「私たちの荷物がないけど!」と言うと、「あそこになければ知らないよ。」とオーナーが答えた。
「え??、あなた、私たちが、ここで預かってくれるか聞いたときに、ここに置いて、安心して行ってらっしゃい!って言ったじゃない!」と言っても、「そんなこと言ってない。」と言った。
言った、言ってないを繰り返しても仕方ないので、私たちは、とにかく警察を呼んでくれと頼んだ。
しばらくして、警察官が来て、私たちは、事情を話し、すべての部屋をチェックさせてもらえるようにしてくれと頼んだ。
ペンションは安いし、長く住んでいる人もいるようだし、泥棒なのではないか・・・と思った。
警察官がすべての部屋をチェックしていいかとオ-ナ-に聞いた時、私には彼が何となく変な風に笑ったように見え、泥棒とグルだったのではないかと疑った。
警察官と一緒にすべての部屋をチェックしたけれど、私たちのバッグは見つからなかった。
25部屋くらいだったか、すべてを開けさせてもらって、チェック。
長くそこに住んでた人は小説家だった。
そして、私たちは盗難保険に必要な被害届を作ってもらうのに、パトカーに乗せてもらって、警察まで行った。
「なんで、私たちがパトカーに乗ってるの?私たちは犯罪者じゃないからね~!!」と外を見ながら、思っていた。
警察に着いたら、すぐに被害届を書いて、ハンコをもらい、2人して、がっくりして警察を出た。
乗る予定だった列車に乗れず、その日にマドリードに行く列車の時間が終わってしまったので、バレンシアにもう一泊しなければならなくなり、ペンションより少しランクが上のオスタルを探した。
それも、なるべく上の階にあるオスタルを。
火祭りが終わったので、すぐに見つかった。
でも、なんだか、力が抜けてしまったし、また被害にあいたくないと思って、レストランで夕食をする気になれず、何か買って、オスタルで食べようということになり、ボカディージョ
バゲット(フランスパン)にハムやチーズ、トルティージャ(スペイン風オムレツ)等を挟んだスペイン式サンドイッチ)
を買って、オスタルに戻って食べた。
私の嫌な予感が当たってしまって、あの日の夜はむなしかった・・・
翌日の朝。
ホストファミリーに、市場でお土産を買った。
バレンシアオレンジ 2KG。
オレンジが入った普通の買い物のビニール袋だけを持って、列車に乗った。
なんという・・・・
もう火祭りのことなんか忘れてしまって、まるで、バレンシアにオレンジを買いに行っただけみたいに思えて、私はおかしくて、心の中で笑ってしまった。
けれども、友人は笑わなかった。
私は、貴重品は持って歩いていた(危ないんだけどね)から、ほとんど問題なかったけれど、彼女は、盗まれたのが、パスポート、カメラ、アパ-トの鍵や日本の大学の学生証、住所の記載されたジムの会員証だった。
彼女はアパートの鍵と住所記載の会員証を持ってる泥棒がアパ-トに来るのではないかと不安だった。
サラマンカに戻って、彼女のアパートの大家さんに話して、鍵のコピーをもらった。
ちょうどその頃は、大学の授業がお休みで、彼女が一緒にシェアしていた学生達が、実家に帰ってしまっていて、誰もいない。
彼女は怖くて、私に彼女のアパ-トで一泊して欲しいと頼んだ。
私は空手、柔道、合気道は出来ないから、私がいても、泥棒が来たら、あまり役に立たないけど、彼女にとって気持ちの楽になると思ったから、いいよと言って、一泊。
実際、私も怖かったけどね。
今だったら、絶対に眠れないギシギシ鳴る古いソファーベッドで寝たので、隣のアパートに誰かが遅くに帰ってきて、鍵を開ける音や外で野良犬が吠える声に反応して、目が覚めてしまって、よく眠れなかった。
結局、何も起こらず、翌日は鍵を全部取り替えてもらって、一段落。
本当に最悪のバレンシアの火祭りツアーだった。
数年後には会社の上司の通訳兼案内で、あまり気が進まなかったけれど、バレンシア市内につきあわなければならず、あのペンションの前を通った。
どうなってるのかなってちょっと興味があったから、入ろうかなと思ったけど、やめた。
私にはこんなことがあったけれど、きっと今はそんなことないと思う・・・と願う!