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「もう戻れないかと思った」コロナで忍耐の3年半…そして再びスラムへ

昨年の秋、初めて訪れたバンコク最大のスラム街「クロントイ・スラム」。教育格差や差別の問題で、なかなか現状から抜け出せないスラムの人々の実情を知った私は、その後もボランティアとして何かできないか…と模索する日々を過ごしていました。

クロントイ・スラムに関する前回のnoteはこちら▼

そんな中、ふと「スラム街支援に携わっている人のインタビュー記事を書いて発信してみよう」と閃きました。支援団体等の創設者や理事長など役職に就いている方々のインタビュー記事・寄稿記事はよく目にするのですが、現地で日々活動している担当者の顔はあまり見えず、声を聞く機会もないからです。

「最前線で行動を起こしている人」に焦点を当てたストーリーを届けることで、活動内容がより具体的に理解でき、伝えたい社会課題の解像度をぐっと高めることができるはず。そう考えた私は、シーカー・アジア財団の職員・山田大貴さん(31)に取材を依頼しました。

同財団は、バンコク・ターク県・パヤオ県の3地域を対象に、移動図書館・奨学金事業・学生寮の運営などを通じて、スラム街や無国籍の子どもたちの教育支援を行っています。クロントイ・スラム内に事務所を構えており、1階にある図書館には毎日たくさんの子どもたちが集まり、遊び、学んでいます。

事務所1階にある図書館

私は昨年、スラム街ツアーに参加した時に山田さんに出会いました。当時は着任してまだ4~5ヶ月だったそうですが、全くそうは見えない落ち着きぶりと、誰に対しても丁寧に対応される誠実さが印象的でした。

実は山田さん、今回が2回目の着任です。「一時帰国中の突然のコロナ禍で、タイに戻りたくても戻れなかったんですよ」そう苦笑いする彼の根底には、穏やかな口調からは想像できないほどの”熱い想い”がありました。

「タイに行ってみないか?」の誘いに即YES

ーーー現在のお仕事内容について、詳しく教えていただけますか?

山田さん:8~9月の夏休みや2~3月の春休みの期間中は、日本の学生のスラム訪問や研修ツアーの受け入れがメインの仕事です。旅行会社や「Sophia Global Education and Discovery Co., Ltd. 」(バンコクで教育事業を行う法人)などを通じて、または学校の先生や学生から当財団宛に直接、訪問の依頼が届きます。クロントイ・スラムの案内はもちろん、地方まで引率してアテンドをすることも多いですね。JICAの青年海外協力隊が赴任前研修で来てくださることもあります。

毎年6月と11月には、奨学金の授与式を開催しているので、協力してくださる企業や関係各所との調整から当日の式の運営まで行っています。

その他、(クロントイ・スラムで初めて教育支援活動を立ち上げた)ドゥアン・プラティープ財団と連携した取り組みを行ったり、タイ語の報告書を翻訳したりしています。タイ語はまだまだ勉強中ですけどね。

2023年11月奨学金授与式の様子

ーーー日本人の職員は、山田さんおひとりですか?

山田さん:はい。その他、ボランティアとして携わってくださる日本人が数人いらっしゃいます。中には10年以上ボランティアしてくださっている方もいるんです。本当にありがたいことですね。

また、当財団が立ち上げた、スラムの女性たちによる手作りクラフト製品「FEEMUE」の作り手含め、タイ人スタッフが約25人います。

FEEMUEの製品を作る女性

ーーーこれまでのご経歴についても教えてください。なぜタイでスラム街支援をしようと思われたのでしょうか。

山田さん:偶然の出会いやタイミングが重なって、今ここに居ます。

出身は愛知県。高校は国際教養科でしたので、周りには帰国子女も多く、この頃から漠然と「海外で働いてみたい」と思っていました。大学1年の時には初めての海外旅行でカンボジアに行き、東南アジアに魅了されました。

大阪にある近畿大学卒業後は同大学の大学院に進学し、指導教員がシーカー・アジア財団で活動をしている方だったんです。当時の私は、「大学院卒業後はすぐに就職をしなくても、ボランティアとして海外に行く選択肢もいいな」なんて思っていたのですが、そんな心の声が指導教員には筒抜けだったのでしょうか…ある時「シーカー・アジア財団の日本人職員が帰国してしまうので、君が行ってみないか?」と声をかけてもらったんです。

私は迷わずYESと答え、大学院を休学して、2018年の春にタイへ行きました。

子どもたちの未来を阻む無国籍問題

ーーーすぐに決断して渡航されたんですね。着任後、印象に残っていることはありますか?

山田さん:この年、チェンライ郊外の洞窟にサッカー少年たちが閉じ込められてしまったものの、全員救出されたという出来事がありましたよね。13人の少年のうち4人が無国籍だったのですが、このニュースで注目を集め、彼らはタイ政府から国籍を付与してもらったんです。

この一件で、日本国内でもタイの無国籍問題は広く知られるようになりました。

私も財団の職員として、無国籍問題が子どもたちにどういった影響を及ぼしているのか知りたかったので、着任してまもなく、学生たちにインタビューする機会をつくりました。

ーーー何人の学生と話したのですか?

山田さん:11人です。ターク県に住む、少数民族のカレン族、ミャンマーから難民または移民としてタイに来た無国籍の学生たち一人ひとりに「無国籍で困っていることはある?」と質問しました。

「国籍がないからって、からかわれたり、バカにされたりするんだ」
「悔しいから、見返すために勉強をがんばっている」

こんな回答が多かった一方で、彼らの前向きな一面も垣間見ることができました。

「やっとお父さんが国籍を取得できたんだ!次はきっと自分の番だよね!」と目を輝かせている学生。「〇〇くんが国籍を取得できたんだって!」と自分のことのように喜ぶ学生。今でも彼らの言葉は自分の仕事の活力になっています。

ーーー国籍がないと、具体的にどんな制約があるのでしょうか。

山田さん:パスポートがないので、まずタイ国外には出られません。住んでいるエリアの外に出る際ですら、煩雑な手続きが必要となります。

また、例えばミャンマーの小学校を出てからタイに来た子どもたち。彼らがタイの中学・高校に進学するためには、タイの小学校に入り直さなければなりません。そのため、20歳の高校生なんかも、珍しくありません。命の危険から逃れるためには、それ以外選択肢がないのです。

一時帰国中に突然のコロナ蔓延…アルバイトで耐え凌ぐ3年半

ーーー1回目の着任は突然幕を閉じてしまったそうですね。

山田さん:そうなんです…。2019年の秋に、大学院の論文やビザの関係で一時帰国しており「翌年2020年の春頃にタイに戻ろう」と思っていたのですが、突然の新型コロナウイルス蔓延にみまわれ、戻れなくなってしまいました。

ーーー2020年春といえば、日本でも緊急事態宣言が発令された時期ですね。

山田さん:最初の1年ほどは、オンラインでできる財団の仕事もしていました。しかし先が見えなかったので、地元でアルバイトをしながら「次にタイに戻れる日まで…」と歯を食いしばって待ちました。

1回目の着任は突然幕を閉じてしまったので、心残りが大きかったんですよね。けれど、3年ほどそういった日々が続いたので「もう戻れないのかもしれない」と諦めかけていたのも事実です…。

ーーータイにいるスタッフや学生たちのことも心配ですよね。

山田さん:はい…。コロナ禍では、財団の活動もかなり制限されていました。移動図書館も出来ず、訪問者の受け入れもできず、タイ人スタッフの一人は、コロナで亡くなってしまいました。本当にショックが大きかったです。

オンラインでツアーを開催したり、FEEMUEではマスクを製作したり、緊急支援活動として食料等の支援をしたり、出来ることをしていましたね。私はその間、現地に居られなかったので、もどかしい想いでいっぱいでした。

でもある日「諦めなくて良かった!」と思える時がやってきたんです。コロナが落ち着き始めた2022年末頃、指導教員から「来年また行かないか?」と再び声をかけてもらったのです。

もちろん迷いはなく、二つ返事で承諾し、すぐにタイへ戻りました。2023年6月のことでした。

再開発が決定、クロントイ・スラムの行く末を見守りたい

ーーー3年半越しの想いが叶って今に至るわけですね。いま仕事において大切にしていることは、何ですか。

山田さん:彼らが置かれている状況や環境は自分とは違いすぎるので「私はこうしてたよ」とか「こうするべき」などは言わないようにしています。

学生たちの気持ちになるべく寄り添って未来を一緒に考えたいですし、彼らに自発的に「こうしたい!」と思ってもらえるよう、自立支援をしていきたいですね。

ただ、私が立ち向かっている課題というのは、結局はタイの問題なので、まずはタイの人たちに「これは自分たちの問題なのだ」と認識してもらう必要があると思っています。

無国籍問題や、バンコクにスラムがあることすら知らないタイの大学生もたくさんいるんですよ。「FEEMUE」の製品も、課題を理解して共感して購入してくれるのは、ほとんどが日本人です。タイ国内での問題意識をどう培っていくか…常に頭を悩ませているところです。

FEEMUEの製品

ーーー話を聞けば聞くほど、難しい問題です。最後に、山田さんの今後の展望についてお聞かせください。

山田さん:支援している学生たちが今後、日本との繋がりを持ってくれるといいな、と思っています。

1回目の着任でインタビューしたターク県の学生の1人は、当財団の奨学金を活用して現在大学生になっています。それだけでも喜ばしいことですが、彼らが日本に興味持ち、大学で日本語を学んだり、財団のスタッフとして手伝ってくれたり、日本や日系企業で研修を受ける機会を持てたりしたら、すごく嬉しいですね。

一方で、クロントイ・スラムを対象とした再開発計画の実行が現実味を帯びてきました。これから住民たちの立ち退きに関する交渉が始まるので気がかりではありますが、職員として行く末はしっかり見守りたいと考えています。

シーカー・アジア財団 移動図書館の車

学生たちの声を自ら引き出し、受け取って、力強く彼らをサポートする山田さん。1回目の着任では心残りが大きかった分、今は全力で仕事に向き合っているといいます。「必ずタイに戻って支援活動を再会したい」そう強く願いながら耐え忍んだ3年間が、より一層山田さんの熱い想いを搔き立てたのかもしれません。

(写真:鈴木舞)


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