ほろ苦い焼肉
亡き祖父は、自らのおかずのほとんどを周りへ分け与える人だった。
そして、分け与え終わるまでは必ず箸をつけなかった。
お造り、お煮しめ、祖母が得意だったトンカツやアジフライ、厚揚げに生姜醤油をかけたもの。
結婚式に出席した際は折詰も持ち帰っていたそうだ。
わたしが塩辛いものや和食を好んで食べるのは、祖父の舌に似ているのかな。
幼いころは毎週のように通っていた祖父母の家。
夕方の早い時間、食卓に美味しそうなおかずが次々と配膳されていくと、祖父はお酒を温めながら「食べてよか」と言う。
自宅では小さなきょうだい達へ分け与えることが当然だから、好きな食べ物を先にゆっくりと食べられるのは、なによりも嬉しかった。
ある日、祖父は好きなものを食べているのだろうか、わたしばかりが食べていないのかを気にして「じいちゃんは食べんでいいの?」と尋ねた。
すると、祖父は「ぺるが美味しいって食べたらよか」と教えてくれました。
*****
少し肌寒い春の夕暮れ。
祖父は上機嫌のほろ酔い姿で、白いビニール袋をぶら下げて帰宅した。
会社の花見で余ったバーベキュー用の肉を持ち帰っていたのだ。
祖母とわたしがお夕飯を済ませているのを確認して、明日食べようと声をかけてくれる。
翌日、祖母が七輪を出して炭で火を起こす。
あっという間に炭が真っ赤に燃えて、静かに何かが弾けるような音がする。
網の上に肉を一枚一枚広げて並べた。
飲酒を伴う花見だからなのか、酒に合うよう濃いめのタレに漬け込んでいる肉だな、と幼いながらも認識できた。
炭が勢いよく燃え上がり、肉は少し焦げていたけれど何とか食べられそうだ。
いつものように、祖父が「食べてよか」と添えてくれる。
一口ほおばると、タレが焦げて苦い。
でも、甘くも辛くも感じて美味しい。
「じいちゃん、このお肉おいしいねえ」
祖父は、当然!と言わんばかりの表情で満足そうに酒をすすめていた。
あの肉の味付けはどうしていたのだろうか。
きっと、タレだけの味ではなかった。
周りへ先に分け与えるという慈悲深い味。
決して辛いことや弱みを見せずに、自分の信条を貫く芯の強さの味。
祖父の内面がいつの間にか表れて、食卓に美味しさを彩ってくれていたのだと思う。
わたしは、あのときの肉の味は再現できない。
しかし、祖父が教えてくれたように、一緒に食事をしてくれる方々と「おいしいねえ!」と共有したり、笑いあったりしながら、時間を共に過ごせてよかったと満足してもらえる人間にはなれる。
だから、どのようなことがあっても食事の時間は「おいしいねえ!」と笑って言える人でありたいです。
*****
生きていたら92歳になっていた。
もっと、一緒に美味しいものを食べたかったな。
亡き人に誕生日なんてなか。
高齢者施設に入所する以前、祖母はそう笑いながら言いつつも、祖父の好物を作り供えていた。
生きているかどうかなんて関係ない。
食事を共有できる人がいるって、なんて幸せなんだろう。
じいちゃん、2月10日はわたしにとって大切な一日です。
ギリギリ間に合った。
誕生日おめでとう。
やっぱり会いたいよ。