二度と会えないことが分かって、急いで思い出されるその人との思い出たち
今から約1年前の2019年2月。
中学が一緒で同じ大学に進学した友達数人と鍋を囲んでいた時、偶然にも、もう二度と動くことはないと思っていた中学校の学年LINEの通知が来た。
確かあの時の鍋は豆乳鍋だったと思う。
味こそ覚えてないが、誰と誰が付き合って、誰は今何をしていて、みたいな昔の思い出話で盛り上がっていたことは覚えている。と言うか、もはや忘れられない記憶になった。
その場で一緒に鍋を囲んでいた友達もその学年のグループラインに入っていたため、同じタイミングでそれぞれの携帯の通知音がなり、友人が内容を確認した。
内容を確認するために、トイストーリーの青色のカバーがされた携帯を持ち上げた彼は、「え?」とだけ声を発して、しばらく固まった。
「どうしたん?」と別の女の子が聞いた。
彼は、少なくともあの中学校3年間では見せることのなかった、深刻で、不安そうで、驚きも交えたなんとも言えない顔で、「ケンシン、亡くなったらしい。」と呟いた。
人間は、「どうしたん?」の返答が、自分が1ミリも想像していないものだと、しばらく思考が停止することを学んだ瞬間だった。
ケンシンは、中学の友達の中でももっとも仲の良かった男子の一人だった。
同じ部活で帰る時間も近く、登下校の道も同じだったため、よく二人でお互いの恋愛相談をしながら帰った仲だった。彼が3年間使っていたゴールドのPUMAのエナメルを、今でもよく覚えている。
高校は離れていたため、高校3年間で会ったのは、覚えている限りたったの1回。それもしっかり会ったわけではなく、帰り道に自転車に乗った彼とすれ違って、「おお!久しぶり!」と一言交わしただけだった。
私はそれまであまり知人の死というものを体験したことがなく、なんとも実感が湧かないものだなぁと呑気に考えてしまった。でもそれくらい現実に起こっていることがなかなか理解できなかった。
彼が亡くなる半年前の2018年8月。
私はtwitterのDMを通して、何度か会話をしていた。
2、3年ほど間が空いてから、真夏の夕方に彼から届いたDMは、「今から金沢行ってもいい?」という内容だった。
その日は夜からバイトがあったため、
「今日はバイトがあるから、ごめん無理やわ。。なんかあったん?」
と、返事をした。
その後2、3往復くらい会話をした。どうやら彼は人間関係で悩んでいたらしいく、相談に乗って欲しかったようだった。
その後も1週間おきくらいで、彼からDMが送られてくるようになった。
当時付き合っていた私の彼は嫉妬深い性格で、その彼を裏切りたくないと思った私は、長年の付き合いの友人よりも、付き合って2年ほどしか経っていなかった彼を優先し続けた。
バイトがない日も、
「ごめん、今日は用事があって」と返した。
たとえケンシンに会ったとしても彼には絶対にバレないとわかっていた。
それでも「ごめん、今日は約束があって」と断った。
そして、私は最後まで、彼と会うことはなかった。
よくドラマや小説なんかで、人が死ぬと、自分を責めるシーンをよく見る。
「あの時私が彼の話を聞いてあげていたら」
「あの時私がまっすぐ家に帰っていたら」
「あの時私が彼にあんなこと言わなければ」
そんなの全部タラレバだ。もうどんなに願っても泣いても悔やんでも、生きている彼に出会えることは、二度とない。
そんなことを2、3分のうちに考えて、私はとりあえず、豆乳鍋のスープを一口飲んだ。
その後もずっとケンシンが亡くなった実感が湧かず、なんとなくぼんやりと、中学時代の思い出に耽っていた。
よく恋バナしたなーとか、貧相なプラットフォームで電車を待つ間、iPodで一緒にオレンジレンジ聴いてたなーとか、私が髪染めて部活の顧問の先生に体育館のど真ん中で怒鳴られた時も、「似合ってんじゃん?」って味方してくれたなーとか。
実感が湧かず、涙こそ溢れなかったものの、普段生きてて思い出すことのなかった思い出たちが一気に溢れ出てきた。
人間は、普段は考えない人のことでも、いざもう二度と会えなくなったことが確信に変わった時に「もっと会っておけば良かった」なんて都合よく思い出すような、自分勝手な生き物だと思った。でも、人間なんてそんなもんだとも思った。
思い出なんて何年も何年も心の奥底にしまっておくもんじゃない。
ふとした時に思い出すくらいがちょうどいい。
ケンシンの実家は、福井市でも大きめなお寺だった。
お通夜は彼が生まれ育った実家で執り行われた。
自分が生まれ育った家で追悼されるってどんな気持ちなんだろうと、私はまた呑気にそんなことを考えてしまった。
参列しに実家に上がらせてもらうと、ケンシンが笑っている写真が立派な仏壇の前に何枚も並べられていた。
ケンシンのおばあちゃん、何度か車で送ってくれたお母さん、その時に初めてお会いしたお父さん。みんな泣いていた。その姿を見ると、自分の心が大きな手で握りつぶされるような痛みを感じた。
あぁ、本当に亡くなっちゃったんだなと、少しだけ実感が湧いた。
「どうして私たちより早くにこの世を去ってしまったのか」と、誰が悪いわけでもないのに誰かを責めたくなってしまうような気持ちと一緒に話すケンシンの両親を見ていると、やっと初めて私の目に涙が滲んだ。
この記事を通して、特に何かを伝えたいわけではない。
だけど、なんとなく1年前のグーグルカレンダーに『ケンシンお通夜』と、偶然かもしれないけど彼の一番好きな青色で書かれていたのを見て、人間生きてるうちにしか会えないんだなと、当たり前のことだけど、そんなことを感じた。
今でもツイッターを開くと、未読のメッセージなんて1件も無いのに、メッセージの手紙のマークのところにちょこんと、未読が1件あることを表す「1」が表示される。
ただのバグかなんかだということは分かってるけど、(表示されない時もあるから…)今の私にとっては、阿呆らしいと思われるかもしれないが、「ただのバグ」には思えない。あまり普段からツイッターを開く方ではないけれど、開くたびにケンシンが頭に浮かぶ。
話は逸れるかもしれないが、
私はよく、「会いたい人に会いに行く旅」をやっている。
その時その時でふと心に思い出された会いたい人に会いに行く、ただそれだけ。
観光も特にしなければ、旅程なんかを作るわけでもない。
ただその人に会いに行って、会ってなかった間のことを話して笑い合う。ただそれだけの旅だ。
「どこへ行くかじゃない、誰と行くかだ。」なんて言葉があるけれど、これは本当に共感する。私にとって「人」は本当に大事な存在で、大事な存在たちを、これからもずっと大事にしていきたい。
突然二度と会えなくなってしまう時が来ても、急いでその人との思い出を脳の引き出しから引っ張り出して来なくていいように。