わたしが生きる理由
駅で乗り換えをしていたとき、改札内の本屋さんで平積みされていた「あしたしぬかもよ?」という本が目に入った。タイトルを見て、ちょっと心がざわっとしたのだ。手に取りパラパラとページをめくってみると、なかなかおもしろそうだったので買ってみた。本はワーク形式となっていて、サクサク読み進めていたら買ったその日にすべてを読み終えた。はじめに抱いた感想は、「死」を本気で考えられた人が「生」に本気になることができるのだろうなあということだった。
わたしは大人になってから身内を亡くした経験がなく、自分自身も90歳くらいまで生きる予定でいるから、まだどこか死ぬことが遠い存在だ。行きたいところ、やりたいことはいくつもあるけれどあと50年以上あるからいつか叶えられたらいいやと呑気に暮らしている。本の中で「はい、あなたは今死にました。何に後悔していますか?」と書かれていたけれど、まったく想像ができなかった。
でも「これが人生最後の山口旅行なら」とか、「人生最後の」シリーズは想像しやすい。実際、このあいだ山口旅行の計画を立てていたとき、「関東に住んでいるとなかなか山口って行けないよなあ。これが最後の山口旅行かもしれないから、思い出に残るようなすてきな旅館に泊まりたいなあ」と思い、ちょっと奮発して宿をとったのだ。
きっとそういうふうに、「今日が人生最後の1日なら」と思って暮らしていたら、いつもより味わって食べたり、いつもよりていねいに仕事をしたり、いつもより楽しく過ごせるように工夫をするのだろうなあ、と思う。
そんなことを考えていたら、とつぜん、夫の祖母が亡くなったという連絡があった。先に書いたとおり、わたしは大人になってから身内を亡くしたことがない。小学校1年生だったか、幼稚園に通っていたころか、その頃2人の祖父が立て続けに亡くなった。そのときは、「おじいちゃんは60歳くらいでしぬもの」くらいにしか思っていなくて、人間の寿命がそのくらいだから人の死はあらがいようのない、仕方のないことなんだと感じていた。2人の祖父にはたくさん遊んでもらったけれど、まわりの大人たちのように泣くことができなかった。
夫の祖母は遠方で暮らしていて、施設に入っていて孫である夫のこともよく分かっていないかもしれない、ということで祖母の生前、わたしは会うことができなかった。葬儀に参列して亡くなった祖母に会うのが、初めましてだった。みんなが祖母の顔を撫でた。身体をさすった。出棺のときには、棺の中で眠る祖母のまわりに色とりどりの花を置き、味気のなかった棺のなかがどんどん華やかになった。残された家族が祖母を前にして、祖母との思い出をそれぞれ話した。わたしは生前会うことが叶わなかったけれど、みんなの話を聞いていて「家族に愛されながら生きた、すてきなおばあちゃんだったんだろうなあ」と感じていた。そんなすてきな人の死を前にして、わたしは涙が止まらなかった。
みんなで棺を閉めて、みんなで祖母を車に乗せた。家族が一緒に乗り、わたしたちは別の車で火葬場に向かった。そして、最後のお別れのとき。わたしは祖母の頬に触れた。とても冷たかったけれど、生きているように感じた。係の方が棺を炉の中へ入れねいくのを、みんなで見送った。炉の鍵をふたつ閉めて、それが最後のお別れだった。
葬儀でお坊さんが戒名の話をした。それまで詳しく戒名について考えたことがなかったけれど、「亡くなったあと、家族に故人との思い出話などを聞いて付ける天国での名前」だということを知った。この世での振る舞いが漢字となり、あの世でもその名を引き継いで生きていくのだ。祖母は、怒ったことがなくおだやかで愛にあふれた人ということで、連想する漢字をあてられていた。わたしはなんてすてきな名前なんだろうと感動さえしていた。
生きているときの「わたし」というものが向こうの世界での「名前」となる。この世界での「名前」は自分の意思とか希望はまったく反映されないのだけれど、向こうの世界の名前は、わたしの生きざまにかかっている。家族や周りのひとにどんな人だと思われているんだろう。何を与えられていて、何を残せているんだろう。わたしが亡くなったとき、どんなエピソードを話して、そしてどんな名前を付けてもらえるのだろう。向こうでの名前を生きている間に考えて、わたしの生きざまをあらわす理想の漢字を思い描いて、意図しながら生きられたら今世も来世もきっとすごく楽しくていいものになるんだろうなあと思う。
おわり