船出の日に
毎年三月一日は、うちの県では県立高校の卒業式の日です。
これまで何度、生徒達から「この勉強する意味ないし~将来使わないもん」と言われたことか(笑)。
まあ、そう思うことがあるのもわかりますが、かく言う本人に自分の将来はどれだけ予測可能なのでしょう。
社会もこれほど目まぐるしく変化しています。
そもそも、予測なんてできないのが将来というもの。
予言?宣言?暗示?呪文?
「この勉強将来使わない」という彼らの言葉は、予言?それとも宣言?
人間は言葉を使ってコミュニケーションを取ったり、あるいはインナーボイスとして自分に語り掛けたりします。
言葉によって支えられ道が開けることもあれば、逆に、縛られ閉ざされることもあります。
自分の使う言葉で、「こんな勉強は使わない将来」を自分の心に無意識に描き、知らず知らずのうちにそこに向かっていたとしたら…。
この言葉は暗示?
はたまた一種の呪文?
だとしたら恐怖さえ覚えます。
評価は今じゃなくてもいいんじゃないかな
「意味がない」かどうか、「使わない」かどうか、それは未来になってみないとわかりません。
未来のある時点で振り返った時に初めてわかること、つまり評価は今でなく先にするもの。
今は目の前の事象に必要以上に脅えることも先回りする必要もないのです。
しかも評価は見方によって変わります。
未来の自分のものの見方が変わっている、その可能性の方が大きいでしょう。
生徒たちは可能性に満ちている
「とりあえずやってみようかな」
「やってみないとわからない」
こんな呪文を唱えている素敵な大人が福島にはたくさんいます。
そしてその素敵な人達はすべからくアクションを起こしています。
そういった素敵な人達と生徒達とを繋ぎたい。
大人って結構楽しそうでしょ。
学校だけが世界じゃないよ。
そんな思いで、私は教員をしながらふくしまソーシャルワークラボに所属し、生徒と学校外の素敵な大人達とを繋ぐ仕組み作りをしています。
「生徒達は可能性に満ちている。」
彼ら自身にもそう呪文を唱えてほしいと願うのです。