想像していなかった未来
皆さんは、小さい頃の夢はなんでしたか??
野球選手・看護師さん・学校の先生・保育園の先生・パン屋さん
お花屋さん
子供の頃って夢がたくさんあり、目をキラキラさせ、何にでもなれる。
そう思っていますよね。
そんな私の小さい頃の夢は、花嫁さんになる事でした。
綺麗なドレスを着てみたい。
素敵な王子様と結婚したい。
といった明るいイメージで夢を見ていたわけではありませんでした。
私は、実家から早く出ていき、自立したかった。
その一心で、
幼い私が考えた、家から出ていける唯一の方法は結婚する事だったのです。
この部分だけ聞くと、可哀想・寂しい・暗い話……だと
感じるかもしれません。
しかし、先に結論から言いますと、私は今、素敵な旦那さんの花嫁となり、
3人の子供に恵まれて、紆余曲折ありましたが、幸せな家庭を
持ち、花嫁になるという夢が叶っています。
そして、最近では新しい夢も新たに芽吹き始めています。
でわ、ここからは、どうして花嫁になりたかったのか
幼少期の出来事も踏まえながら、少し話していきたいと思います。
私が物心ついた時には、両親は離婚しており、
母親と祖母に育てられました。
気性の荒い母と祖母は毎日喧嘩の日々でした。
私には、兄が居ました。
しかし、兄・母・祖母それぞれが、それぞれに対して悪口・不平・不満を常に言っていました。
私は、何も言えずに、
聞くに堪えない言葉達を受け入れる事しかできませんでした。
母は「兄のようにはなるんじゃないよ。あなたは、良い子だから」
祖母は「兄は長男で男なんだから、あんたが、家の用事を手伝いなさい」
兄と比べられては、私自身の値踏みをされているような気持ちでした。
私は、母に抱きしめられ・ゆっくりと話を聞いて貰った記憶はありません。(赤ちゃんの時はあったのでしょうが、、、)
片親で2人の子育と仕事の両立は大変だったと思います。
子供との時間をとれないのは分かっているつもりでしたが、やはり、幼心では、寂しい思いをした記憶があります。
あげれば、きりがないですが、その他にも幼い心が十分に満たれれない事があった気がします。
例えば、、、
〇無条件に褒められた記憶が極端に少ない。
「あなたは、兄ちゃんより家事を手伝って偉いね」と誰かと比べられて褒められる事が多かった。
〇母親の偏った考えを押し付けられる。
「人は信じるものではない。友達なんて裏切るのだから作るものではない」これは、友達付き合いがなかった、母親からの一番の教えで印象に残っています。
そのような幼少期を送れば、純粋な子供の心はどう感じるでしょうか??
私にとって、家は落ち着かない場所でした。
一番大切な家で心が安らぐ事はないのに、もちろん、外の世界にも心許せる場所はありませんでした。
むしろ、心の許し方・安心の仕方が分からなかったのかもしれません。
その為、常に、寂しさと埋まらない孤独感が付きまといました。
安心という基盤が作られていない為、
人間関係も上手に構築できずに、人との距離感が上手にとれませんでした。
おどおどして、人の顔色だけを見て過ごしてきました。
そのような幼少期に一つのドラマに出会いました。
このドラマは私の花嫁になりたいと思わしてくれた
きっかけでもあると言えます。
その作品は、深見ジュン原作漫画をドラマ化した 「ぽっかぽか」
温かな親子のふれあいと、地域との交流をほのぼのと描き、昼ドラの人気シリーズでした。
ドラマの中は本当に温かで穏やかで、笑顔が絶えない家庭でした。
全て好きだったのですが、個人的に一番印象に残っているシーンが、
母親が即興で作った歌を子供と一緒に口ずさみながら散歩する
シーンがあり、(昔なので、合っているかは定かではありませんが)
あのシーンを見て、私も結婚して、子供が出来たら歌を歌いながら
散歩するんだ。
あんな、穏やかな家庭を持つんだ。という夢が出来ました。
その当時は辛い家庭環境でしたが、将来は絶対にぽっかぽかのような
家庭を持ちたい。そのような気持ちを抱きながら、
私も少しずつ大人になっていきました。
そんな、純粋な夢を子供の頃は夢見ていましたが、
幼少期に培われていない、安心感という土台が形成できていない
自分は、常に気持ちが不安定であり、自己肯定感が極端に低く、
誰かに依存しないと、安心できない。
恋愛依存、宗教への依存、仕事場に上手くなじめずに、適応障害で
休職した事もありました。
他人に認めてもらう事ばかり考える日々でした。
徐々大人になるにつれ、実際の結婚というもののハードルの
高さに、自分は結婚出来るのだろうか?結婚したら本当に
幸せになるのか?と疑念を抱くようになりました。
そのような時に、今の旦那と出会いました。
私と正反対の性格。
感情の浮き沈みはなく、日々淡々と過ごす人。
自己肯定感がとても高く、どのような場面でも
自分が大好き人間。
何をしていても、楽しそうでいて、冗談もたくさん言う人。
もちろん、良い面ばかりではありません。
例えば、付き合っても、私に合わせるような人ではなく、
常にマイペースで依存も出来ないような人でした。
付き合いたての時は、そのマイペースさに苛立ちを覚えた
時期もありました。
しかし、私がどんなに感情の浮き沈みがあっても、
自分のマイペースさを貫き、それでも、側に寄り添ってくれる
旦那に感謝が出来るようになってから、
私にとって、大切な人になりました。
大切な人と健全に寄り添えるようになりたい。と思うように
なってから、依存的な性格ともゆっくりと向き合い、
上手に付き合っていけるようになってきました。
そんな、素敵な旦那との間にも3人男の子が産まれました。
私には、もったいないくらいの、優しい子供達で、
いつも私の方が救われています。
もちろん、子育ては一筋縄ではいきません。泣く事もあるし、
怒る事もあるし、、、、
でも、子供達を抱きしめる事、大好き・大切だと伝える事は
毎日欠かさず行っています。
あまり、抱きしめられた記憶のない私は、
子供達を抱きしめる事で、自分自身の傷を癒しているのかもしれません。
母親を恨んだ時期も、もちろんありましたが、
自分が子供を授かり、大変さを知る事で、
お母さんも片親一人で2人の子供を育てるという、
責任感は大変だったと、心の余裕なんて持てなかったのかも。
と理解出来るようになってきました。
そんな、私の子供達も小4・小1・4歳とすくすくと成長して
います。
この間も、小4の息子に教えて頂いた、
今流行りの曲をみんなで歌い、笑いながら散歩しました。
秋空が綺麗な清々しい日でした。
とても、幸せで、小さかった頃の私に教えてあげたいです。
「あなたは、幸せになるんだよ」
「絶対大丈夫」
今、私は、新しい夢を持っています。
今までの経験を元に、私みたいに日々過ごすのが苦しい人
達が、少しでも前に進めるような手助けが出来ればと
思っています。
現在は、note でHSPについて情報発信させて頂いています。
これからは、ゆっくりと他人軸の自分ではなく、
自分軸で丁寧に自分の人生を歩んでいこうと考えています。