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佐藤初女さん「いのちをむすぶ」

数カ月前、「佐藤初女さんのこと調べてみて。もう亡くなった方だけど、あなたに合うかもしれない。」というお言葉をもらい、本2冊を購入した。

ともに在ること
ともに食すことは、ともに在ること。
どんなに言葉を尽くして話すより、深いところで通じ合えます。

いのちをむすぶ

人は人で磨かれる
「人は人で磨かれる」とは亡き夫の言葉ですが
傷つくことを怖れて自分を守ろうとすれば
世間を狭くし、自分の心をも狭めます。
人はひとりでは生きていけないのです。

いのちをむすぶ

佐藤初女さんに共鳴し、初女さんから直伝された方のおにぎりの結び方を学びに行った。

その空間で出会った人たちも素敵な方たちだった。

そこで、初女さんの出演した映画「地球交響曲」を見せてもらい、本も借りた。

いらない荷物は自分で捨てる
人の心はとても深いものですから、本人が変わらないかぎり、周りの人ができることではないと私は思うのです。人が他の人を癒すということは、できることではないと思いますので、癒しとは自らの気づきで起こってくるものなのではないでしょうか。
たとえ悩んでいても、その出来事を素直な心で受けとめることができるひとほど、立ち直りも早いように感じます。
その反対に、すぐに言い訳をする人や、悲観したり、理屈をいう人、過去のつらい出来事を引きづっている人は、心のなかで悲壮なイメージを膨らませながら、同じ場所を何度も何度もぐるぐる回ってしまうようです。
後悔や不安などの心の迷いは重い荷物のようなものです。
不自由な生き方をしていると、いまここにたくさんある幸せの種を見つけられなくなります。
そういう悪循環を断ち切るには、重荷を背負いこんでいる自分自身に気づき、不要な荷物は自分から捨てることしか、解決の道はないのです。困難のなかにあるときこそ、自分の生き方を見つめ直さなくてはならないのです。
思いきった展開を迎えるためには、ときにはすべてをゆだねる気持ちになって、大きく一歩を踏み出さなければなりません。必要なものは必要なときに与えられると信じて、いまこの瞬間を楽しむとき、私たちは身も心も軽やかに生きられるのです。
そう考えると、やはり癒しとは他人に求めるものではなく、自らが自力で心を解放してあげることから得られるものだと私は思います。

こころを咲かせて

決して気づきを強いない、寄り添う人。わたしも初女さんのようなすべてを受け入れる愛をもつ人でありたい。

生きておられるうちに、実際に会ってみたかった!

佐藤 初女:1921年青森県生まれ。小学校教員を経て79年より弘前染色工房を主宰。老人ホームの後援会や弘前カトリック教会での奉仕活動を母体に83年、自宅を開放して「弘前イスキア」を開設。92年、岩木山麓に「森のイスキア」を開く。助けを求めるすべての人を無条件に受け入れ、食事と生活をともにすることで、多くの人を再出発させた。2016年2月逝去。



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