序章:挨拶
はじめまして。エリック(本名)といいます。
自分は50代のいわゆるキモくてカネのないオッサン。おまけに精神疾患を患っています。そんなイケてないオッサンが、この公の場で作文を発表するなんておこがましいですが、書きためた文章がありますので、発表します。
テーマはイジメ。
テーマがテーマだけあって、コンテンツの内容も極めて挑発的であり、挑戦的ともいえます。一部の方々には大変不愉快な思いをするのは免れませんし、炎上のリスクもあります。しかしここに書かれている内容は全て事実であり、真実です。したがって何をいわれようが、歴史は変えられないのです。たとえその内容が挑発的であったり、挑戦的であったとしても。
当事者からみたイジメ。
いわばそのイジメを、当事者の視点から書きます。イジメをテーマにした著作といえば、著名なジャーナリストや遺族の方々が、数少ない手がかりをたよりに書き上げるイメージがあります。それだけに実際にイジメを受けた当事者本人が発表するのは、案外珍しいかもしれませんね。
それもそのはず。
イジメを受けた当事者にとっては、思い出したくもない忌まわしき過去。それを赤裸々に書くなんてありえない、と。それこそ、歴史は勝者が語るものなのでしょうか。また被害者が語るとなると、感情的になりがちです。
しかしそれは杞憂である、と。
なぜなら当時からは既に30年以上の月日が流れており、全て時効になっています。良くも悪くも、ひとつの事実として客観的に捉えているのです。したがって加害者側に対しても、特別な感情もありません。その結果、感情的な描写にはなりえないのです。
ただイジメを受けた当事者が作文を発表するのは、大変大きなリスクを伴います。ただでさえ精神疾患を患っているのに、この作文で炎上すれば、たちまち症状が悪化するのではないか、という懸念があります。しかし炎上を恐れてダンマリを決め込むのもどうかと思います。
事情が異なる自身のイジメ。
確かに自分はいじめられたのですが、そのイジメを攻略し、やっつけています。ただしそれに伴う代償も払わされています。おかげで人生を棒に振りました。
イジメ攻略とそれに伴う代償。
まず終身雇用のレールから落っこちてしまいます。時代は就職氷河期。当然ながら、不毛な競争から脱落します。何度も失業し、まともな生活もままならない状況。たまたまパパの持ち家があったので、路頭に迷うことはありませんでしたが…。
パパの死後、持ち家を飛び出し、アパート暮らしへ。生活が行き詰まり、役所へ生活保護を申請するも、水際作戦で門前払いされ、多額の借金を抱える。
人手不足になるも、非正規雇用でしか働けない環境。タクシードライバーで正社員になるも、うつ病を患い、自宅療養を余儀なくされる(この件については、自己紹介がてら、後ほど詳しく書きます)。
それを悲劇ととるのか、喜劇ととるのか、この作文を書いている筆者(自分)にはわかりません。ひとついえるのは、イケてないオッサンに成り下がっているのは確かです。
昭和の常識は令和の非常識。
時代は昭和の末期から平成のアタマにかけてになります。
この令和の時代からみれば、おおよそ一世代前のおはなしになりますので、ずいぶん勝手が違うかと思います。少子化といわれて久しい昨今ですが、この頃は子どもがうじゃうじゃいる時代ですので、人との接し方もずいぶん違うでしょう。
昭和の頃、体罰や暴力が日常的に行われていました。体罰は愛のムチであり、暴力で人は育つのだ、と。テレビでも、刑事ドラマでの暴力シーンは恒常的に映し出されており、大学の応援団が後輩部員を殴り付ける映像も普通に映し出されていました。当然ながら「R18指定」という概念も存在しません。
体罰や暴力およびイジメをコンテンツとして消費していた昭和。
いわゆる「スポ根」といわれるドラマやアニメがもてはやされていました。「巨人の星」や「アタックNo.1」などは、あの時代を象徴したマンガおよびアニメだったといえます。とりわけ「アタックNo.1」はインパール作戦帰りの「鬼の大松」監督によるスパルタ指導によって「東洋の魔女」と恐れられた日本代表チームを作り上げたことがベースになっています。
他にも自身のリアルタイムにあった「スクール・ウォーズ」というドラマには、監督が部員全員を殴る場面があります。監督が「オレはお前たちを殴る」といえば、部員たちは「お願いします」と返しています。それによって絆を深めた、といいたかったのでしょうか。
このスクール・ウォーズは京都の伏見高校ラグビー部を舞台にしたドラマでした。この場面が実話かどうかの真偽はわかりませんが、コンテンツとして成立していたのは間違いありません。当然ながら自分はこのドラマを、一話たりとて見逃しませんでした。
暴力は時として、コンテンツとして人々を魅了していたのです。したがって加害者をカンタンに断罪できない、と。現にそういったコンテンツに人やスポンサーが集まり、ビジネスとして成り立っていたのです。
そんな体罰や暴力は昭和の時代においては、強さの象徴であり、強いリーダーシップを発揮すると信じていました。したがってそういった人たちは、就職活動でもチヤホヤされていました。一方でイジメを受けた人たちは、周りから冷ややかに受け止められました。世の中は弱肉強食であり、弱虫は淘汰されるのだ、と。
やられる方に原因がある。
間違っても加害者は己の否を認めない。それに異議を唱えようあらば、ボコボコに殴られます。生意気なことをいうんじゃねぇ、と。
周りからも見捨てられ、孤立状態に。
「いじめられたくらいでくよくよするな。もっと前向きに考えろ!」と。
当時、周りからよくいわれたものです。この「くらい」という軽さに、昭和の常識の本質が見え隠れします。たいしたことではない、と。更にいえば、弱肉強食で淘汰された分際で偉そうなことをいうんじゃねぇよ、といいたいのでしょうか。
こんな状況下で、悩みを打ち明けるなんてありえません。人によっては、「甘ったれるんじゃねぇ」といわれるのがオチです。
体罰や暴力が恒常的に展開され、それを生徒指導の一貫として認知されていたこの時代には、イジメに遭うことは
現実逃避している
甘ったれている
男なら立ち向え
と認識されるのは、この時代ならでは、といえます。当時の自分は最終的にはこの時代に対応した訳ですが。
又社会を見渡しても、高度経済成長からバブル時代を迎えていたのも、このような解釈に拍車をかけた、といえるでしょう。
他にも昭和の常識をピックアップすると
儒教をベースにした絶対的な序列社会
教員と生徒との関係は上意下達であり、対等な関係を許さなかった
教員は生徒指導を盾に、生徒への過干渉を正当化した
生徒のしかるべき姿は、如何にして教員への忖度を図るかが求められた
いじめられた者には泣いてもらう
新年度になると生徒が卒業するので、責任を取らずにそのまま逃げ切りを図る
卒業が近づくにつれて、予定調和通りの事なかれ主義を図る
「あの時は辛かったけどよかった」といわせて、黒歴史を美談に変える
ズルい人がいい思いをして正直者がバカをみる、と。とりわけ要領のいい人には過大評価されてました。したがって昭和の時代は、加害者が圧倒的に優位な立場にあり、被害者には不利な環境だったのです。
令和の教育現場ではどうなっているのでしょうか。
ずいぶん過酷な労働環境である、という報道がなされて久しいですね。昭和のあの頃とは雲泥の差ですね。昭和の教員は過剰な程身分が高く、高圧的でした。高圧的であるが故に、問題解決に関しては、全くといっていい程無頓着でした。それよりも生徒に忖度させることに、強いこだわりをもっていたのです。
これらの中のどれが共通点でどれが相違点かを、自分は推し量ることはできません。なぜなら自分は学生を卒業して30年以上経ちますから。そんな中、イジメに関しては、昭和の常識とは真逆の解釈なのは大変興味深いですね。平成の30年間が過渡期だったのかもしれません。
変わる常識と変わらない儒教の教え。
儒教の教えがベースになっているタテ社会。理不尽なシゴキや根性論および精神論も、儒教の教えが基になっています。これらに対する解釈が時代とともに変わったとはいえ、それ自体が消滅した訳ではありません。
この儒教に関しては、日本国建国以来、長年朝鮮半島を経て日本史を築き上げてきたベースになっています。したがって序列社会自体は、そう変わらないかと思います。元々は
相手を敬う
自己犠牲を厭わない
我慢は美徳
という概念ですが、それらが先鋭化してあらぬ方向にいってしまうのは、「世の常、人の情」なのかもしれません。要はさじ加減なのでしょうか。
至るところに潜む儒教の教え。
例えば兄弟姉妹をとっても、年上は兄もしくは姉であり、年下は弟もしくは妹と分けられます。英語ならbrother もしくはsister で括られますが、序列という概念は存在しません。
家族構成においても、長男、次男、三男〜、長女、次女、三女〜という具合に、厳格に定められており、序列が崩れることもありません。元はイエの跡取りを決めるためにこのような序列があるのでしょうが、この序列が遺産相続などに大きな影響力を与えるのは、よく知られるところです。
儒教への解釈は時代とともに変わるかもしれませんが、システムそのものが消滅する訳ではないのです。
ターニングポイントになった平成末期。
日本大学アメフト部の部員が関西学院大学アメフト部の部員に違法なタックルをした問題。奇しくも自身の母校である日大がやらかしたので、自分は忸怩たる思いをしたのを覚えています。
この際、監督とコーチがメディアによってバッシングを受けましたが、自分にはそれが奇妙に映ったのです。今まで英雄扱いされていた人物が叩かれている、と。
かつてこういった指導者たちは、チヤホヤされることはあっても叩かれることはありませんでした。それどころか違法タックルならば、ファイティングスピリッツの現れである、と受け止められていたのです。
体育会系の不祥事は昔からありましたが、昭和と令和では解釈が真逆になっています。確かに昭和の頃も出場停止などのペナルティはありましたが、どちらかといえば、不祥事は若気の至りと解釈されてました。それこそ、ほとぼりがさめたら…、という具合に。それが令和の現代において断罪されているのを、自分は驚きでもって受け止めているのです。
それをいうなら、水に対する解釈も真逆ですね。スポーツ界においては、今でこそ有無をいわず問答無用で強制的に水を飲ませていますが、昭和の頃は「水を飲むな」といわれたものです。
体罰や暴力やイジメに対する解釈は、昭和と令和では対照的ですが、その間にはさまる平成の約30年の間にどうやって解釈が変わっていったのでしょうか。大変興味深いです。
さっきから、昭和や平成や令和とやたらに元号が出てきますが、どんな相関関係があるのでしょうか。
単なる偶然なのか、それともそういうバイオリズムなのか。それをいうなら、昭和のバブル時代が平成で弾け、令和で格差がひろがっていますね。子どもの数も雲泥の差。時代と共に人との接し方も、そしてそれに伴う解釈も、必然的に変わるのかもしれませんね。
昭和と平成と令和。変遷の仕方はグラデーション的なのですが、それぞれの時代にそれぞれのカラーがハッキリ異なるのは、大変興味深いです。ただどういう相関関係があるのかが見出せないのは、少し苛立ちを覚えてしまうのですが…(苦笑)。
改めて平成の30年間における体罰や暴力やイジメへの解釈が劇的に変わったのは、大変興味深いですね。昭和の頃は、黒いモノを白といえ、という時代でしたから。平成のアタマの頃も、イジメをサブカルとして扱ってましたね。
通用しない過去の常識。
かつて許された行為が否定されるのは、加害者側にそれ相応の負荷がかかります。それこそ、彼らなりの理不尽さを感じるのではないでしょうか。昔はよかったのに、と。
それこそ、加害者側にも言い分があります。ただし相当な説得力のある説明をしないと、誰も納得しないでしょう。そこで典型的なケーススタディをみていきます。
【ex. 1】暴行の動画が流出した時の解釈。
当然ながら由々しき事態、と受け止めるでしょう。しかし体育会系の論理からすれば、守秘義務を破った、となります。トレーニングの一貫としてやったことが、たまたま気合入れ過ぎただけであり、許容範囲内である、と。
【ex. 2】暴行の動画の削除に対する解釈。
当然ながらそのような行為は、証拠隠滅と受け止めるでしょう。それこそ自浄能力があるのか、と。しかしながら体育会系の論理では当然の処置であり、外様は干渉するな、となります。
以上、体育会系の論理を言語化すると、こんなかんじでしょうか。
元はといえば、体育会系の理念は、儒教の相手を敬う気持ちを持つことであり、そのためなら自己犠牲をも厭わない、というところから入っています。それだけに質(タチ)が悪い。それこそ彼らからすれば、躾の一貫だといい張るでしょう。
このように、ひとつの事案に対する解釈が、市井の人々と体育会系の人々との間には、これだけの温度差があるのです。果たして、この温度差は縮められるのでしょうか。
体育会系の不祥事に対するメディアの扱い方。
その都度加害者をメディアがこぞって叩き、それをコンテンツとして消費する、というパターン。
もちろんそれ自体を批判するつもりはありません。しかしそれだけで問題の本質をみているとはいえません。やはり
事件がなぜ起きるのか
その背景に何があるのか
事件を未然に防ぐためにどうあるべきか
などを、しっかりと考察する必要があります。もうひとつ、構造上の問題もみていくのも不可欠です。
不祥事が表沙汰になると騒ぎになりますが、表沙汰になっていない事案も潜在的に無数に存在します。ハインリッヒの法則ではありませんが、ヒヤリハットレベルの不祥事が存在していることを、想像力をもって働かせる必要があるのです。騒ぐだけでは本質的ではない、と。
その構造とは、
絶望的な序列社会
閉鎖的な空間
やったもん勝ち
予定調和通りの展開
卒業でリセットされる
とりわけ卒業という絶対的な出口が存在するので、そのまま逃げ切りを図ろうとし、ひいては暴力を美談として祀り上げるのです。
暴力=生産性、という解釈。
構造的には圧倒的に目上の人や加害者が優位に立ちます。別の見方をすれば、暴力をふるうにはあまりにも条件がそろっている、といえます。そしてその誘惑に負けて手を出してしまった、と。
暴力をふるった時の快感。
格下を支配下におき、マウントを取る快感。
誰からも否定されず、チヤホヤされる快感。
どうせ卒業式でリセットされるのだから、やれるうちにやっておかないとソン。
そのまま逃げ切るのは合理的。
健全な教育には、誘惑に負けない強さが求められます。当然ながら、情に流されない強さつまりメンタルのトレーニングが不可欠なのです。それは昭和の頃にはなかった概念であり、昭和の常識が令和の非常識たる所以なのです。
被害者の今後。
生徒は必ず卒業するので、被害者は加害者にそのまま逃げ切られる恰好になります。卒業が近づくにつれて予定調和通りのお祝いムードが醸成され、卒業式をもってなかったことにしようとする。
一般的に卒業式はおめでたい慶事です。しかし自分にとってこれ程屈辱的に思ったことはありませんでした。むしろ刑期から解放された、というのが、当時の解釈です。自分が卒業式から逆算してイジメ攻略に挑んだのも、こういう事情が背景にあったのです。
表向きは卒業式でもって全てがリセットされます。しかしながら、被害者は卒業したからといってリセットされることはありません。その後も癒えない傷を背負うことになるのです。一方で加害者はキレイに忘れます。そんなコトあったっけ、と。
・・・
この作文は、そんな令和の時代からは想像もつかない昭和の末期から平成のアタマにかけてのおはなしになります。
昭和といえば、三丁目の夕日のような夢や希望に満ち溢れたものを連想しがちです。現に実際国民は豊かになり、一億総中流ともいわれました。
ひかりのあるところに影がある。
故にその裏で起きた悲劇は、あまり表沙汰になることはありませんでした。この作文は、いわば昭和の不都合な真実といえます。
時代が異なるとはいえ、イジメと向き合い、問題を解決したのか余計に拗れたのか訳のわからないおはなしを発表するのは、決して悪くはないと思います。ただこのキモくてカネのないオッサンが書くことが許されるのかは、まだまだ未知数です。
イジメ攻略に対する解釈。
イジメ攻略は一見武勇伝にみえますが、加害者側からすれば極めて屈辱的な黒歴史になります。本来被害者は黙って泣いてもらうのが筋道。それを泣かずにイジメを攻略するのは、事なかれ主義への偉大なる挑戦になるのです。現に壮絶な闘いになっています。
挑発行為に出た
力関係が逆転した
化けの皮を剥がされた
予定調和を乱した
美談を蔑ろにした
したがって自身のイジメ攻略に対する代償を払わせられたのは、ある意味必然だといえます。何のためのタテ社会かわからない、と。
・・・
本題に入る前に、少し自己紹介させて下さい。
先ほども触れましたが、自分は数年前まで、大阪でタクシードライバーをやってました。それは本当に楽しい仕事で、このままずっとやっていきたかったのですが…。
うつ病になってしまいました。
それはほとんど自覚症状がないまま、発症したのです。ただし兆候はありました。健康診断で血圧が急上昇していたのです。当時は気にも止めませんでした。それよりも楽しい気持ちの方が勝(まさ)っていたからです。
更に半年後、同じく健康診断を受けたのですが、結果は同じでした。そして程なくして激しい落ち込みに見舞われ、外に出るのがイヤになりました。それを会社に問い合わせたところ、心療内科に行って診断書を取ってくるようにいわれました。
診断書を持って会社に行ったところ、会社から「今から傷病手当の手続きをするから」といわれてキョトンとしていると、
「大丈夫。毎年(ドライバーは)いなくなるから」と。
会社曰く、タクシードライバーはそこそこの確率でうつ病になる、と。実際事務所で働いている人の大半は元ドライバー。業界では内勤といいますが、うつ病を患ってドライバーとしての生命を絶たれた人たちが内勤として働いているのです。
自分には内勤のポストがなく、退職となった訳ですが、一年半の傷病手当が出たので、生活に困ることはありませんでした。
そんな自宅療養生活をおくっている間に、少しでも立ち直れたら、という思いから、この作文を書きはじめました。それで立ち直れたかどうかは、なんともいえませんが…。ただこの作文を書いたおかげで気持ちの整理がついたので、自分にとってはよかったといえます。
同時に写真にも目覚め、カメラで写真撮影もやっています。作文や写真は、自分に大きな刺激を与え、立ち直るキッカケになりました。なんとかこの勢いで社会復帰を目指したいと思います。
以上が、この作文の筆者である自分自身の自己紹介になります。そして作文の内容は以下の通り。
序章:挨拶(この作文)
第一章
躓いた未来への投資〜柳学園水泳部および寮生活
https://note.com/ericmiyagai/n/n004ff2a6c2e2
https://note.com/ericmiyagai/n/ndb4267786f4d
#1.3. 人口構成
#1.4. 寮生活
#1.5. 水泳部
#1.6. 破綻
#1.7. 検証
#1.8. 教訓
#1.9. 幻
#1.10. 終焉
第二章
試された学習能力と学習棄却〜仁川学院での二年間
#2.1. 編入
#2.2. 教室
#2.3. 世界史
#2.4. 決戦
#2.5. 攻略
#2.6. 情報戦
#2.7. 総力戦
#2.8. 検証
#2.9. 教訓
#2.10. 刺客
#2.11. 心理戦
#2.12. 錯覚
第三章
転落を経て和解へ~大学生になる前後の時代
#3.1. 転落
#3.2. 再建
#3.3. 平常心
#3.4. 禊
終章:総括
イジメを苦に自殺した人たちの中には、非常に優秀な方々もいたかと思います。仮にそうであれば、この国にとって大きな損失です。自分みたいに何の取り柄もない人間がこんな拙い作文で、お亡くなりになられた方々のご遺族様に寄り添えるなんて到底思えません。
おこがましい、と。
しかし当事者からみたイジメを文書化するのは、それなりに意義があると思うのです。
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