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「大丈夫じゃない」と一度も言ったことのない母に自分の姿を重ねて

世の中では8050問題が定義されていますが、これは我が家では決して他人事ではありません。

20代はさすがの私も結婚するものだと思っていましたが、蓋を開けてみると、仕事を優先しながら生きている自分が、30代の私が今、ここに立っています。

先日、出雲旅に引き続き、京都、伊勢とまた旅にでかけました。「贅沢」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまでの3年は非常につらくしんどい道のりでしたから、お互いの心の傷を癒しに、そして私は神様皆さまに事業への想いと覚悟をお伝えするべく、再び旅へと出発しました。

キャリーケースを重たそうに運んでいる母の姿を見て、お互いに決して若くないことをそのたびに告げられているように感じるときがあります。

実は複雑な想いに駆られながらも、今の時間を大切にしたくて、楽しい思い出をひとつでも増やせたらと思いつつ、仕事も兼ねて最近は旅へと一緒に出かけます。

私たち親子は、お互いがそれほど強くはないことを当然ながら知っています。私はすでに世間に対して大声で公表している通り、心の病と向き合いつつ過ごしてきました。


心の病と向き合って19年目

ですから私は数えきれないほどの「制限」や「できないこと」が無数に存在します。他人には理解されないこともたくさんあります。病気の症状を他人に「ワガママ」と捉えられることも決して一度や二度ではありません。

突然、動悸がしてきてベンチで休むことも今となっては当たり前ですが、きっと他人からしてみると、とても不思議な光景なのでしょうね。

そんなとき私はいつも母に「ちょっと疲れちゃったから休憩してもいい?」と声をかけます。もしくは母が異変に気づき「少し休もうか」とやりとりするのが、父も含めて家族の共通認識でした。

本当は大丈夫じゃないでしょ?


大好きな母とどんなときも一緒に過ごしているくまのプーさん


きょうも、とある場所へ向かい、必要なものを買い、いつもと同じように電車に乗りました。

ただ、あきらかに母はぐったりしていて、旅の疲れもあったとは思いますが「大丈夫?」と声をかけると、母はたれぱんだのようにたれている目(眠くなると目が半分になるのは愛くるしいというか、ツッコミたくなるというか)をこちらにそのまなざしを向けながら「大丈夫だよ」と答えました。

そのとき、ふと思ったのです。

そういえば母はいつどんなときも、自分が体調を崩しているときも娘のことしか考えていない、たとえ大丈夫ではなくても「大丈夫だよ」と答える母としての大きな器があると。

そしていつ母になってもおかしくない年齢に達した私に、母としての器が備わっているのかと聞かれたら、まだまだ自己中心的な考えから抜け出しきれていないのかもしれないと、ほんの少し反省会議を脳内で繰り広げていました。

母は偉大なり、と33歳の私は強く感じています


水流るる出雲の風景


学生時代の友人たち、先輩、後輩が次々と母になっていく姿を見て、やはり、その勇敢な姿を見ているとすごいなぁと、私は母としての器がまだ装備できておらず、ただ、別の角度から生みだすことはしていて、けれど、友人たちの姿を見ていても、自分の母の姿を見ていても「母は偉大なり」と感じるのです。

きっと自分がいつ親になってもおかしくない年齢になったからこそ痛感するものだとも思います。

私はもう年齢も重ねてきているので、子育てを経験するのかどうかは神様しか知りません。

自然な流れに身を委ねるスタンスと言いつつ、もう35歳が見えてきていますから、焦りや不安も少しずつ消えている、というか溶けていると言った方が正しいかもしれません。

最初はのように「結婚する」「子育てをする」という価値観がカチカチに固まっていましたが、人生経験を積んでいるうちに溶けている、だから、そのまま水となるのか、氷は氷のまま大切にするのかは委ねているのです。

私は今、万が一、母になったとき自分の子どもに対してどんなときも「大丈夫だよ」と言える心のキャパがあるのかと言われると決してなく……。

母は私の倍、生きていますが、くたくたに疲れていても、いつも家族を想っています。

亡くなった父も自分のことはいいから、家族それぞれが生活を維持できるようにと、迷惑をかけないように過ごしていました。自分が一番つらかったはずなのに。

両親の生き様を30代で見させられた私はこれが「母親」と「父親」なんだ、家族を守るということは、こういうことなのだと繰り返し感じさせられています。

大きな器を、ろくろでゆっくり回しながら


伊勢で出会った魅力的な世界


ひとりで生きる中で身につく強さと家族を守れなければいけない責任の中で身につく強さ、どちらとも自分自身が強くなければ、日々の生活は成立しません。どちらが上で、どちらが下という話でもありません。

母としての強さほど、誰かを想う余裕がいつも存在しているわけではない…そんな自分を恥ずかしくも思いますが、これからもお仕事の拡大を通して違った角度から自分自身を磨いていけたらいいなと考えています。

自分が本当は大丈夫ではないけれど、大切な人にどんなときも「大丈夫だよ」と言える母の強さに…私も負けないように、心の器をろくろで回しながら、大きく、大きく作っていけたら。ときにぐにゃっと失敗することさえも、明るく朗らかに笑いながら。

平安神宮さまでご祈祷も。


今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

これからも駄文ながらも、人生で大切なことや大きな気づき、日々の暮らし、さまざまな角度から発信できたらと思っています。

母の日から1日経ってしまいましたが、母の日に寄せて感謝の気持ちを込め今の想いを精一杯綴りました。これからも皆様、よろしくお願いいたします。



太陽の恵みに感謝。
今日一日を大切に。

ERICA YAMAGUCHI

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