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一心10色の時代へ:一人でも大丈夫、風穴を開ける力
10人十色ではなく、「一人10色」という言葉。
お聞きになった方もいらっしゃるかもしれません。
慶応大学の名誉教授の井関先生の作られた言葉です。
多様な個性とライフスタイルの尊重として提唱され
一人:個人一人ひとりの独自性や個性を指します。
10色:その人が持つ多様な側面や可能性を象徴しています。
選択肢の自由
「一人10色」は、現代社会において人々が多様な選択肢を持ち、それを自由に選べることを祝福する言葉で、個人が自分らしさを表現するために、多くの選択肢から選び取る自由を享受できるというポジティブなメッセージを含んでいます。
多様化していく社会で、それぞれが選ぶ、10人十色と言った考え・好み・性質などが人によってそれぞれ違うことではなく、一人がいろいろな選択が可能となったことを意味します。
1980年代前後に井関先生が提唱した「ライフスタイル論」の一環として、この言葉が生まれた可能性が高いとされています。
井関先生は、日本の社会学でご著名な方です。
井関利明(いぜき としあき、1935年[1] - )は、日本の社会学者。専攻は、経済社会学・行動科学・科学方法論・現代思想論・情報メディア論・ライフスタイル論・マーケティング論・ソーシャルマネジメント論・政策論。
学位は、社会学博士。慶應義塾大学名誉教授。
先生の本として、当時、飛ぶ鳥落とす勢いの「アスクル」を考察されていて、非常に興味深く読ませていただきました。
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井関先生は、「環境情報」という言葉を作りつつも、総合政策学部の教授になられ、他にもさまざまな大学の新学部創設に関われています。大学改革を先導したイノヴェーターでいらしたのです.
そして、 日本に「ライフスタイル」という言葉を持ち込み、「一人十色」という言葉をつくられました。
近年では、ソーシャル・マーケティングや非営利組織におけるマーケティングに関する著作を執筆しておられます。
とあるパネルデイスカッションでの井関先生との出会い
さて幸運にも、この先生と以前、パネルデスカッションでお目にかかることとなりました。そこで「最近の食」について、自分なりにお話しすることがございました。
随分、時間が経ちましたので、公開しても良いかと思いまして・・・
私と、美人の有名歌手の方、食育コーディネーター、三井食品の会長、そして井関先生という顔ぶれ。
前日、美人の有名歌手さんのマネージャーさんから連絡がございまして「当日、黒を着ますので宜しく」とのこと。つまり「重なるな」という通達を頂きました。
事前に、黒は地味で何でも合うのではと思い、ジャケットを用意していたので、前日のこの電話には慌てました。
どうしょう・・・
「何を着たらよいのだろう」
至極、悩みました。
そこで、私、背が高いので、黒のパンツを着ていこうと思ったのです。
しかし、「黒だから」と心配になり、友人に相談することに・・・
「地味であることに徹底したほうがいいよ。黒はダメよ。装身具も一切、外した方がいいよ。相手は、あの(超有名人)○○さんなんだから・・・喧嘩売るのは、やめとき」
いやいや喧嘩を売るつもり、毛頭、ございません。
それに、私は食について、ただただ語れれば、良いのです。
ということで、超じみーな、10年ほど前に買った淡い色目のスーツを着ていきました。
さて当日、遅れながらも会場に、美人の有名歌手○○さんが登場。
なんと、なんと・・・
グリーン(失礼でありますが、あえて言うと、さなぎ虫のような色)、しかも○●ネルのシーズンもののスーツ。
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心の中で「おいおい、黒って言ったのに、○○さん、それはないよ」と叫びつつ、もう一人の私がおりまして「もういいや、この際、食について言いたいこと、話す」と決意したのでした。
余談ですが、井関先生は、あまり「食育」に興味がないようで、会うたびに面と向かって、食育のコーディネーターの方に「食育って、なんですか」とおっしゃたそうです。
このように壇上の方々、いろいろな想いがあったようで、面倒になり、より一層、私としては「自分の仕事のみに集中する」ことにいたしました。
テーマは「最近の価格の高騰(当時も同じようなことを言っていた)について」
大きなテーマでございます。
他の方々(と言っても、数名なので、私以外はほぼ皆)は、「良いものを提案すれば、売れる」と。
確かに一理ありますが、世の中、いろいろな方がおられますし・・・
自分たちの中で想像している顧客層だけに限った話ではないですし、現実的ではないと思いまして。
意を決して
「財布の中に500円しかないのに、600円のものを買えません」
「良いものであっても、金がなけりゃ、買えません(品がないのですが)」
一瞬、皆さん、黙られたのですが、井関先生、大笑いされまして、一応、理解していただけたようで、ほっと致しました。
さてそのご縁から、勝手に親近感がわき、先生の本を読み始めるようになりました。
生活が多様化しているなか、いろいろな買い方があるということを、実に現実に即して、論じておられることが分りました。
そして数十年前、当時の時代の流れにピッタリの言葉、「一人10色」という言葉を作られたのです。
時は過ぎまして・・・
選択肢が溢れる時代において、選ぶこと自体がストレスとなることも少なくありません。その中で、ただ一つの琴線に触れるものを見つけることが、むしろ価値を持つようになってきました。
「一人10色」から「一心10色」へ、新しい気づき
今日の社会においては、その多様性と自由がかえって重荷になる事情も増えています。
「選ばない」、または「最小限の選択をする」「無理をしない」という生活態度は、選択の事例があまりにも多すぎることにより、一端の人びとたちが選択に疲れている現象「選択疲労」からされるものです。
この現象は、ミニマリズムやシンプルライフの形式として世間に広まり、「選ばない並の能力」を高める意識へと変容しています。
そして勝手に言葉を作りますと・・・
既に「一心10色」食で言うと「一心10食」という概念がより強くなっていくのではないでしょうか。
多様な選択能力を持ちながらも、その中で自分にピタリとくる一つの心を見出し、選択が多様であるからこそ、一つに注ぐ生き方を指しています。
それはもしかすると、選ぶ際、「勘」がはたらいたから・・・と言った選択理由なのかも・・・
そして今、「多様性」と「簡単さ」という一見、相反する概念を同時に適当に搭載した、新しい人間像でもあります。
現代の市場やマーケティングにおいても、個人の視点で見ると「選ばないこと」は「迷うと言っためいろさ(迷路さ)」から治るための一手段であり、それが、たった一つの選択に心を注ぎつつあります。そして、多くの選択が賞賛される時代は過去のものになっているのかもしれません。
実際、既に銀座でEverdayLowPrice(以下、EDLPと略)のオーケーが活況の様子を見ると、当初、びっくりされた人もおられたのです。しかし、当然と言えば、当然の結果ともいえます。
と言いますのも、「自分が納得したら、高級でなくても、安いから恥ずかしいのではなく、場所を選ばず、購入する」
アメリカで既に言われているダウントレンドの状況です。
最近のアメリカのスーパーウェグマンが好調である所以は、「1000ドル以上の年収層が前年度(22年度)より75%増加していることで、売上に寄与されている」という結果もあるからです。
つまり、富裕層がEDLPの「ウェグマン」に流れたのです。
これはアメリカに限ったことではなくに、日本でも比較的年収の高い千代田区の顧客がオーケーに流れたこと。それは、ダウントレンドが起こっており、銀座のオーケーが成功している所以でもあるのです。
このように自分の心を見つめ、誰の目も気にせず、いろいろなものを自分らしく選ぶ時代に突入しているのではないでしょうか。
そしてマーケティングはますます複雑化する一方で、データに頼るだけでは見えてこない部分も多い時代に突入したのです。
しかし、その一方で、実際に現場に足を運び、顧客の生の声に耳を傾けるというシンプルな行動がより、顧客の心がわかる方法で、これは一人でも始められる取り組みです。
大きな資本や規模に依存せず、たとえ小さな行動であってもその積み重ねが、やがて新たな市場や価値を生み出す風穴を開ける可能性を秘めています。
どんな時代においても、この現場感覚と行動力こそが、マーケティングの本質であり、未来への希望を示すものではないでしょうか。
最近、しみじみ思うのであります。