和歌を読み飛ばしていた私が『百首でよむ「源氏物語」』を読む
ウェイリー版・源氏物語(毬矢まりえ+森山恵姉妹・訳)を愛読し、長々と感想文を書き連ねた私ですが、実は、それまでの現代語訳遍歴でも、源氏物語の中の和歌はほとんど読み飛ばしていました。
覚えているのは、「からころも」を連呼するばかりの末摘花の和歌を光源氏が揶揄する「唐衣また唐衣からころもかへすがへすも唐衣なる」ぐらい。ひどいな光源氏、と笑ったから。
そんな私にぴったりの新書が昨年、出たのでした。
著者は古典文学の研究者、木村朗子さん。既刊の『女子大で『源氏物語』を読む——古典を自由に読む方法』も、はちゃめちゃに自由で面白かった。
『百首でよむ「源氏物語」』は、木村さんのあらすじナビゲーションとともに各帖で数句ずつ、登場する和歌の意味や文脈を教えてもらうという構成。
ストーリーの展開や登場人物の動きを追うほうに注意をもっていかれているとつい、和歌を読み飛ばしてしまうけれど、こうして、あらすじを背景にもっていって和歌を前景に出してもらうと、あら不思議。和歌をじっくり見る余裕が出てきます。
そしてこの本であらためてよくわかったのが、和歌は単体ではなく、前後の文脈、掛詞、参照している昔の名歌とともに味わって初めて面白がれるんだな、ということでした。知識のない人間が、ひとりではできない。現代語訳に数行添えられている程度の注釈でもなかなかわからない。いい先生役に出会えました。
これまで外国語のように、ほぼ意味をもたない文字列に見えていた和歌に、作った人物たちの心情が乗って、文字が少し立体的に見えてきました。
どの歌のどこが面白かったか書きはじめたらキリがないけれど、私は本書の中にちょいちょい顔を出す、身も蓋もない木村節が好きでした。
たとえば、今をときめくプリンス匂宮を垣間見た浮舟のお母さんが内心、「こんなに輝いているお方なら、年に一度しか会ってくれなくてもそばにいたいものよね」と考える場面。
実はこのお母さんは、平安貴族社会における正妻でもなく、そのほかの妻でもなく、召人(=愛人)の立場で子を産んだ人。
輝くプリンスを見ても、こんな人に求婚されたい、とも、ここまで輝いていなくても正妻や妾にしてくれる人と結婚したい、ともならない。木村さんは「どこまでも召人気質の母である」とばっさり・笑
ただ、本書のあとがきにも書かれているように、木村さんはとくに、貴族社会の中で端役として扱われがちな(源氏物語の読み手もつい読み流しがちな)、こうした下級貴族の女性たちの人生に光が当たるように解説しています。そう、作者の紫式部もこの階級の人。
一日一帖を休み休み読んでいたから読み終えるまでには時間がかかってしまったけれど、見える世界が広がる読書でした。でもむしろ、読むのに時間がかかったほうがよかったのかもしれない。そのほうが、自分自身が変質する余地が大きかった、つまり視界の広がり幅が大きかった気がします。
こちら(↓)が以前に書いた、ウェイリー版「源氏物語」の暑苦しい感想文。