きっかけ
スリランカにいる間、ぽんっと入ってきたメッセージ。
数年来の友人で、母にスマホの使い方を教えてくれている彼女。本業はボディセラピストでもある。
普段は母とのアポイントは彼女と母の間だけでされるが、今回はなぜか私にも、今度母のマッサージをすることになったとの連絡が。。。
そして私もなぜか、もし帰国後だったら私もお願いしたいと返していた。
理由はないけれど(体の不調や凝りもなく、何よりスリランカでしっかり毎日マッサージを受けているのだから!)なぜか、受けることになるという感覚。
カラダに残る声
そして当日、彼女は様々な技法やアプローチを学んできていて、独自のメソッドを持っているが、どれで行くかはお互いに全く決めずセッションが始まった。
とりあえずやりながら、流れに任せる。
面白いのは触ってもらっている場所とは違う場所がピクピク動いたり、ぴりっとした感覚が走ったりする。
例えば右の背中のあたりを触られているのに左のふくらはぎあたりが反応したり。経絡や神経のつながりだけではない、不思議なつながりがあるように感じる。
脚を伸ばしてもらっているなか、ビリビリっと痛みの走る場所があった。そこは子宮に関わる経絡ライン。
お互いに、ん?これは?と感じるものがあり、子宮にアプローチをしていくことに。私は彼女には原発性無月経であったことは話していなかった。でも彼女はすでに触っただけで何かあると感じていた。
私にはわからない世界だが、体は痛みやトラウマを記憶し溜めていることがあるという。
例えば骨折をして、その骨折自体は治ったとしても、骨折をしたときに受けたショックや痛みを体がホールドしていて、数年後でも触ると分かるのだという。
私も現在月経周期は安定し、PMSなども全くないが、私の子宮や卵巣は長年の無月経の記憶を残していたようだ。
そして施術をしながら、月経が開始したとき、子宮にありがとうと言いましたか?と問いかけられてはっとした。
そういえば感謝を一度もしていなかった。心理コンサルを受け、様々なビリーフやトラウマから開放されたことで自然と月経が始まったとき、それを出来た自分自身やコンサルの方への感謝ばかりで、それを可能にした子宮のことなど全く意識になかったのだ。
それどころか、長年無月経だったのに毎月月経がくることが、ちょっと煩わしいなとさえ思っていた。健康な自分の体をありがたいと思いつつ、月経に関してはめんどくさいと正直思っていたのだ。
それに対し、子宮の声は彼女と私に「こんなに頑張ってるのに、ありがとうもないってひどくない?」とちょっと拗ねた声を伝えてきた。
生命と子宮と女性性
子宮や性器はチャクラでいうと第1,2チャクラ、生きるエネルギーにつながっている。
すべての土台となるものであり、そこが弱ると自己実現や自己表現、他者とのつながり、自分を生きることそのものに支障が出てくる。
私は数年かけて、自分の中の声、意識と向き合い、知らずに持っていた思い込みや制限、トラウマを癒やしてきたことで、出会いたい人たちと出会えるようになったり、やりがいのあることを見つけ、その道を歩けるようになった。そのおかげで、今はとても自由に、生き生きと自分らしい人生を生きられていると感じている。
それでもなぜか、まだ自分を大切にしきれていない感じがあった。
外側の人間関係は自分が自分をどう扱うかの反映とよく言われるが、どうも自分を大事にしてくれない人(特に男性)ばかりに惹かれる傾向があったかからだ。
なぜ私のことを大切に思ってくれる人を、ともすれば雑に扱い、大事にしてくれない相手を追いかけようとするのか。
逆に言えばなぜそうしたいのか?
考えても答えは出でこなかった。
それが今回のセラビーで、これか!!と気付きがあった。
私は子供のころから意識の上では女の子であること、女性であることは得でいいことだと思っていた。
女子は男っぽい服でもかわいい服でも両方着られるし、いろいろおしゃれの幅が広いとか、より自由が許されるとか、力が弱い分手伝ってもらえるとか、女子の方が得だよねと。
でも実はその下で女性であることで、期待されていないんだとか、大事な場面では男性に手柄をゆずらなければならないとか、生理、妊娠、出産は煩わしいとか、結局許された範囲内の自由しかないのだとか(かごの中の鳥で守られる代わりに自由がないというビリーフ)を実は持っていたことに気づく。
だから思春期になり体重が増えてくること、体型が変わることに無意識の拒否感があったり、初潮もなくずっと月経がないこともむしろせいせいした気持ちであった。
そんなことを思いだすと、私の子宮ちゃんに対して、お腹のそこから「ああ、ごめんね」という気持ちと「ありがとう」が溢れてくる。
そんな風にずっと無視や否定をし続けてきたのに、ずっと見捨てず一緒にいてくれた子宮ちゃん。
そして自発的にはもう不可能だろうと言われていたのに、きちんきちんと毎月排卵するようになってくれた卵巣ちゃん。
ずっと待って共にいてくれたこの子たちに、一度もありがとうと伝えていなかったなんて!
セラピストの彼女が優しく子宮に手をあててくれ、私自身でも卵巣に手を当て、その温もりを感じながら、「ごめんね、そしてありがとう!」と愛を伝えると、手の下でぴくぴくっと反応があるのを感じた。
お腹がぐっと柔らかくなり、しなやかに動くのを感じながら、数年前はお腹を触るとカチカチでひんやりしてたなあと思いだす。
そして彼女の誘導で自分のお腹の中、まるで子宮の中に深く潜っていくようなイメージを浮かべる。それは深海のなかに潜っていくような、でも何か温かいものに包まれているイメージだった。その中で自分の中でずっとホールドしていた何か、自分が女性であることを何か許可できなかったものが緩み、女性であることの歓びを受け入れるような、そんな感覚が広がっていった。
そしてお腹のそこから低く全身を震わせる声が出た。
その声を呼吸とともに出しながら、ああ、ずっとこの声を上げたかったんだと気づく。
泣きたいと思っても泣けなかった感じ、大声を上げたくても出せなかった、あの感覚からようやく開放されたのだ。
そして呼吸とともに声を出し続けるうち、重低音が次第に軽やかな音に変化していった。それは私自身の音だった。
カラダに語りかける
体は本当に正直で、たくさんのことを伝え続けてくれている。そしてとても辛抱強く、私達が聞く耳をもっていない、意識をむけていない時でさえ、私達を支え続けてくれている。
子宮だけではなく、全ての臓器、全ての細胞にありがとうと伝えてみる。それだけで、体の各部が喜ぶのを感じる。
怪しく聞こえるかもしれないけれど、やってみると体だけでなく現実が変わってくるはずだ。
実はこの翌日、思いもかけず父にご飯に誘われた。しかもずっと行きたかったお店である。たまたまその日の予約がぽっと空き、私と母の予定はどうだと聞いてくれたのだ。
棚ぼたな感じだけれど、女性性が開くとこういうことがよく起こるらしい。欲しい物や事が思いがけずにやってくる。自分から特に働きかけることをせずとも、これが欲しい、こういうことがしたいと思っていると機会がやってくるのだ。
男性にも女性にも内側に男性性・女性性両方がある。ただ社会に出るとどうしても男性性を使っていくことが多い。思考を使い、分析し、最も効率がよく見えるやり方を選択し、目的のものを手に入れようとする。この流れはとても男性的であり、こちらに偏ると女性性は閉じていく。ただ感じること、感じることの中から望みに気づくこと、そしてHowやBestを考えず流れにのっていくこと。望みは必ず叶うと知っているのが女性性。そこに繋がり続けられれば、安心して今やることが分かる。
子宮はそれを教えてくれるし、愛を注げば愛で応えてくれる。
それが深く深く感じられたセッションだった。
10.31.2022 ジャーナル
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