【2】分からなくても刺さらなくても色濃く残る空気がある
読書が趣味だと言うと、さぞ読解力があるとか、賢いんだろうとか、そういう目で見られることがありますが、まったくそんなことはないなと、1年で100冊読んでみて思います。
たしかに、みんな忙しいこのご時世、1冊読み切るには時間を捻出する工夫や、多少の忍耐力が必要かもしれません。
でも、何冊読もうが、分からない本は分からないということがあります。
せっかく買ったし、どこか寄り添えるところ、心惹かれるところを探そうとしますが、どうも飲み込めない。
悲しいかな、私の読解力が足りないばかりに、そんな思いをすることもあります。
『真夜中乙女戦争』(2021年.F.KADOKAWA)は、私にとってそんな本でした。
そもそも著者のFさんのことは、『20代で得た知見』(2020年.KADOKAWA)や『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(2017年.KADOKAWA)というエッセイを読んでいて、当時どうしようもない恋をしていた私の心をとてつもなく慰めてくれた方として存じ上げていました。
そんな方の小説。
表紙の「エモさ」と、映画化にもなっていたことから、期待がこぼれ落ちそうな心持ちで読んでみたのですが・・・。
前作を読んでいた時よりも、は、入り込めない・・・。
使われている言葉が難しい、主人公の心情の展開の仕方についていけない・・・。「エッセイはあんなに感動したのになんで?」と、一種の不安と謎の焦燥感を抱えたまま、最後のシーンまでたどり着いてしまいました。
言い訳をすると、当時コロナにかかっていて、熱が下がりはじめたものの身体はつらい状況の時に、まるで学生運動のような熱さと激しさ(私にはそう感じられた)が伝わる文章に圧倒されたのかもしれません。
でも、ただただ文字を追うだけしかできない読書が辛く、「私には読書のセンスがない」と打ちのめされてしまいました。
とは言いつつ、積読していた本もいくつかあったことから、怖がりながらも他の本を読み進めていくうちに、また読書が楽しくなっていきました。
それからしばらくして、100冊読み終えた時。
自分が読んできた本を振り返ると、実は一番最初に思い出すのは『真夜中乙女戦争』だったのです。
本当によく分からなかったし、最後もハッピーエンドなのか、バッドエンドなのかも分からなかったし、主人公がしたかったことが何だったのか全然分からなかったのですが、あの作品の中に漂う、若さゆえの「すべてを壊さんとする暴力的なエネルギー」。その熱さが昨日読み終わったかの如く思い出されるのです。
朝日新聞編集委員の近藤康太郎さんが『百冊で耕す』(2023.CCCメディアハウス)の「「分からない」読書」という節で、自身も夏目漱石の『門』のよさが分からなかった話を書かれています。
初めて読んだ中学3年生の時は全く良さが分からなかったそうですが、あるきっかけから40歳を過ぎた頃にペラっと読みはじめたところ、手が止まらなくなるほど面白く感じたそうです。
私も、「今」だから良さが分からなかっただけで、「いつか」読んだら、その良さが分かるのかもしれない。少なくとも、うまく説明できないけど、心の熱を上げるようなあの雰囲気には、思い出すだけで魅せられている。
読書は、読んだその時しか楽しめない趣味じゃない。
はじめは分からなくても、数年、数十年経ってから、その良さや新たな発見ができる、終わりのない趣味だと思う。
それは、読解力がないという事実を隠す、上辺だけの希望のようなものかもしれないけれど。でも、分からない本が分かる時、私はそれだけ豊かな人生を過ごせたのかもしれないなと、自分を好きになれる気がするんです。
未来に、もう一度『真夜中乙女戦争』を読む。
私のちいさな楽しみのひとつです。
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