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メンタル最弱ナースが考えるパワハラ問題

 お疲れ様です。エポナです。

 兵庫県知事のパワハラ問題が注目されていますね。真偽のほどは分かりませんが、正義のために尊い命を捧げた方々のためにも真相解明と適切な処分を望みます。

 横柄な人や短気な人が大の苦手であるメンタルよわよわな私は、ニュースを観ているだけで自分がパワハラをされたかのようなストレスを感じています笑。いじめやパワハラは人間同士の相互作用の中で生じる問題なので、ケースバイケースになりやすく対応も複雑化しやすいと思います。

 個人的に考えたことを書いてみたいと思います。




 まず、パワハラだと指摘されている知事の言動からはアンガーマネジメント能力の稚拙さ、組織で働く上で必要なコミュニケーション能力の不足、知事という役職についたことで誇大化された自尊心・自己愛を感じます。個人的な資質の問題だと思いますのでこれ以上とやかく言うつもりはありませんが、こういうタイプの方が役職につくというのはあるあるではないでしょうか。いわゆるワンマン社長タイプ。病院だと院長や教授がこれにあたり、オペ中は後輩の医師に対して怒鳴り散らしながら物をバンバン叩くのがデフォルトな気がします。残念なことですが前の職場でも今の職場でもトップの医者はこのタイプでした。

 パワハラをする本人のせいではなく神経発達やパーソナリティに障害がある可能性もありますし、いずれにしろ怒りに支配されてしまうのは健全な精神状態とはいえないので、適切なケアを受ければ改善する可能性があるかと思います。「自分もそうやって指導されてきたから」という後天的な環境要因もあるかもしれません。しかしこれほど多様性や人権が重要視され大きな転換点を迎えようとしている世の中で、時代に合わせてアップデートできない上司がいるとその組織は古いまま化石のように取り残されてしまいます。反発する人は組織を離れていき、声をあげられない人々が余計に苦しんでしまいます。

 どんなリーダーも人間である以上かならず欠点はあります。しかし人の上に立つのであれば絶えず内省する心、自分のあり方を問い続ける心を持っていてほしいですね。自分の心、つまりは脳のことですが、それがいかに複雑なものかを直観的に理解できている人物であれば、多様な人間が多く集まる組織をまとめ上げることの難しさ(というよりほぼ不可能だということ)も容易に理解できるはずです。



 ここまではパワハラをする側について考えた内容です。続いて受け取る側の資質について考えてみようと思います。

 どのような背景があるにせよ、言い方がキツい人、言動が粗雑な人、デリカシーのない人というのはいます。悪気なく自然にそのような振る舞いをしている人も大勢います。社会生活を営む以上、このような人々とも上手く付き合っていくことは大切です。もちろん今回のような度を越した行為は論外ですが。

 私はショッキングな場面や言葉を忘れることが苦手です。両親が夜な夜な喧嘩していた場面や、祖母や母が声を押し殺して泣いている姿を今でもありありと覚えています。体育の授業でみんなに笑われた日のこと、職場でヒソヒソ言われていた悪口とそれを聞いて笑っていた人たちの顔。まるで昨日のことのように鮮やかに思い出せるのです。高校生の時に過度なダイエットを始めたきっかけも久しぶりに会った友人の「なんか太った?」という何気ない言葉でした。そこからずっと自分を責め続けて拒食症になってしまったのです。これらはいわゆるスルースキルの低さ、過度な反芻思考などが影響しているのだと思います。

 もし同じような特性を持っている方がいたら共感くださるかもしれませんが、私の人生は上書きされていくのではなく、別フォルダに保存されていくだけなんです。たとえ良いことがあっても嫌な記憶が相殺されることはなく、削除することもできず、ただそこに残り続ける。たまにうっかりフォルダを開いてしまってぐーっと苦しくなる。そんな感じです。

 ちょっと脱線してしまいましたが、要は対人関係における脆弱性というのは千差万別で、何気なく放った言葉が相手の心に突き刺さり一生癒えることのない傷を負わせる可能性があリます。虐待やいじめなどのトラウマがまさにそうですね。「なんだそんなことか」と思うようなことで一生悩み続ける方もいる。命を断つことを考えるほど苦しむ方もいる。そのことを常に念頭に置かなければいけないなと思います。小説や映画などで物語に多く触れたり、多種多様な人々と触れ合うことで大人であっても想像力を養っていくことは可能です。人生経験を積むことは、相手の気持ちを類推するための材料がどんどん増えていくような感覚だと思っています。



 当然のことながら相手を変えるというのは困難なので、ハラスメントをする人を0にすることはできませんし、センシティブな人々にとって非常に刺激の強い世の中であることには変わりありません。そうなってくると、そのような人々を内包する社会のあり方を模索すること、つまり被害を最小限にするシステム作りであったり、加害者と被害者双方の心のケアを担える機能を社会全体が備えていく必要があるのかなと思います。そういった行為をする方の心の傷や未熟さにもフォーカスすべきだと考えます。

 兵庫県知事の報道を受けて「うちの上司も同じだな」と感じている人も多いかと思います。彼は県知事だからこそ大きく報道されていますが、あくまでこれは氷山の一角で、水面下にあたる一般民間企業ではまだまだ声を上げられない人が沢山いることも忘れてはいけませんね。

 それこそMeToo運動ではないですけど、便乗して声を上げる人々が増えたらいいなと思います。そしてその先頭に立つ勇気ある人々の安全が確実に保障される社会になってほしいと切に願っています。誰でも安全にSOSが出せる社会になるといいなぁと思います。

 今回は社会的なテーマについて私なりの考えを書いてみました。なかなか伝える相手がいないのでnoteという場所があることに感謝します。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 



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