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【138回】 GW読書6日目(190502)

昼寝をした。
偶然録画しておいた、BSプレミアム「中国王朝 英雄たちの伝説 「巨大遺産の謎 都・長安~劉邦から西太后へ~」」を見た。
長安の歴史である。劉邦、玄宗皇帝、西太后。
あれ、清の首都は北京ではなかったか。そう思いきや、西太后はイギリス、アメリカ、日本などの列強に苦しんでいる中、長安に避難したのだという。知らないことを知ることができるうれしさ。歴史はおもしろい。

余談を1つ。
僕はテレビが苦手である。特に、テレビ表示の構成が辛い。
ドキュメンタリーでも、俳優などの出演者の顔を、画面の右下などにずっと表示し続ける番組がある。僕はそのような番組は、いくら内容が素晴らしいものでも、見ることができない。表示され続けている出演者の顔に注目してしまい、番組に集中できないこと。出演者が内容に合わせて、悲しい顔になったり、笑ったりするが、表情の不自然さに気持ちが悪くなるからである。
テレビの内容と、僕。1対1で見ていたいのに、出演者の妙なパフォーマンスが、僕を苦しめる。僕にとっては、妨害刺激に他ならない。
その点、「映像の世紀」などのNHKのドキュメンタリーは、そのような妨害刺激がないので、安心して見ていられる。

読書は、僕と本のみの1対1の対話。しかも僕のペースで読み、考えていられる。テレビより読書が好きな理由である。


このままでは、今日の記事は、余談のほうが長くなってしまう。

野口芳宏「国語教師・新名人への道」(明治図書、2004年2月)を読み、気になる言葉をメモした。


向山洋一、野口芳宏、有田和正と、教師になった頃に読んだ「授業の名人」の著作をゆっくりと読み返している。
僕が教師になった頃の原点を思い出しながら、当時読んだときと、同じ考えを持つ僕と、異なる考えをもつ僕がいる。
本を読む時、線を引き、感じたことを書き込みながら読む。以前の僕と線を引くところが異なる。今のほうが多い。

今日、気になった部分。

私は、自ら好み、自ら望んで教師になった。読みたい本を読み、話したいことを話、実践してみたいことに打ちこんで実践をしてきただけのことではなかったか。(p198)

教師の道を選んだなら、教師の道に面白さを見出し、教師の道に惚れこんで、その道にふさわしいのめりこみをするのがいい。(p199)

確かに、教師になるために大学へ進んだ。
教師になるために、就職氷河期の、倍率が高い時期に、不安になりながらも毎日教員採用試験の勉強に取り組み、教師として採用された。
やりたいようにやってきて、挫折して、職員室の関係に苦しんで、やめようか悩んで、それでもまた教師として戻ってきた。
子どもと関わる仕事は教師以外でもある。
それでも教師を続けることにした。
教師としてやりたいことがあるからだ。
自ら望んで戻ったのだ。
生徒や保護者ではなく、職員室の関係で悩み、教師をやめる。そうではなく、やりたいことに挑戦してから考えたらいい。そう判断したのだ。
おそらく職員室の関係で悩む教師は多いと思う。そのために教師をやめた人もいるだろう。その人たちを非難したいのではない。

僕は僕で判断して、教師という道を再度選び、のめりこみたいと思っただけなのだ。
教師をやめた人も、新しい道を選び、のめりこめばいい。

教室にいるのが不安、勉強についていけない、学校にいくのが辛い、生きているのがしんどい…様々に悩む子どもたちが居場所と思ってもらえるような、場所を作っていけないだろうか。

やりたいこととは、どの子も居場所となる場所がある学校づくりである。

まずは、子どもにも大人にも信頼される教師でいること。そのために、無条件にまわりを信頼し続けること。
与えられた授業や仕事に向き合うこと。今年は教科指導が中心だ。準備はしんどいが、授業こそ仕事、楽しんでいこう。