【41回】書道の見方が変わる漫画、「とめはねっ!」(190128)
河合克敏「とめはねっ!」(小学館)を昨日全巻読み終えて、感じたことを書く。
○書道の知識が増える
僕は書道部でもなんでもない。むしろ、「背筋伸ばして、肘も付けずに、窮屈な姿勢で筆を持って字を書く。ああ、しんどい!」というもので、書道についてはわからないことだらけである。「どうやったらきれいに書くことができるんだ」「何をもって評価をしているんだ」そのあいまいさは、僕にはわからないものだった。
ただ、字には興味があった。僕が中国史を大学で学んでいたせいもある。王羲之、顔真卿という名前を聞き、文字が掲載されている本を手に取り、昔の人はどうしてこれほどきれいな字を書けるのかと眺めたことがある。
まさか、漫画で、王羲之や顔真卿に再会することになろうとは。
そう。この漫画では、書道について知らないことをたっぷりと吸収することができるのだ。
「ひらがな」「カタカナ」の誕生。
甲骨文字、金文、篆書、隷書…字の種類ついても知ることができる。
筆の種類、墨のこと。篆刻のこと。
書の甲子園のこと。書を展示してある美術館のこと。
実際の書道作品のこと。書家のこと。
うんちく満載である。
しかも書道部顧問の影山先生が「世界史」の教師である。
まさか「タラス河畔の戦い」が出てくるとは。
泉屋博古館で興奮する影山先生の気持ちはよくわかる。そして、僕が同じような場面に遭遇したら、僕ははしゃぐ。「先生落ち着いて」と言われる。きっと生徒は呆れるだろう。
つまり僕にとっては、「へぇ!」が満載の漫画なのである。
○書道でも大事なこと
主人公の大江縁(おおえゆかり)は引っ込み思案である。とにかく悩む。書でも恋でも。
3巻p84〜92。
書で悩む大江縁。書道が上達しないのは集中力が足りないからだという。
そこで、作中では師匠の位置にいるキャラクター三浦先生の言葉。
これだ…。書道を楽しむ…。僕にとっては聞いたことのない組み合わせ。「書道」と「楽しむ」。
「書道」とはストイックに自分に厳しく字と向き合うものと思っていた。だから、真顔で、眉間にシワをよせて、姿勢を正しく、お坊さんが修行するかのごとく。書く。
だったら、こんな女子高生ばかり出てくる漫画の題材にはなりにくいのでは!?となぜ気づかなかった!
「楽しんでいい」のだよ。
書道も。「楽しいから」やるんだよ。
大事なことは「楽しむ」ことなのだ。
発見だった。どんなことでも、楽しいから無我夢中で取り組むことができるのだ。
確かに、授業づくりひとつとっても、苦しいけれど、楽しいから、時間を忘れてやってしまう。
なんでもつながっているのだと実感できた。
○書道はタイムカプセルだった。
もうひとつ感動した言葉がある。
大槻藍子という、京都の女子高生。かな文字のスペシャリストである。
彼女が言うのだ。「書道はタイムカプセル」だと。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」を模写するとしよう。僕は素人だから印象でしか語れないが、色、塗り方まで100%そっくりに模写したとしても、描くときの姿勢まで問われるだろうか。
「かな文字」ではどうか。色は墨の色のみ。背景の紙に、字があるだけ。
シンプルである。
このシンプルさゆえに、形や墨の濃淡だけではなく、筆づかい、腕の動き、座る姿勢までが封じ込められている。感じ取ることができる。とすると、書道は作者の姿勢まで想像して味わうことができるタイムカプセルだった!
考えもしなかった。
そういえば、様々なことが、過去との対話ではないか?
様々な本がある。日本の古典だけでも、「古事記」「万葉集」「枕草子」「源氏物語」「方丈記」「歎異抄」…書籍として手に入れることができ、読めば、作者と時間を共有している感覚になる。
読書でタイムトラベルができる。
奈良県明日香村にある石舞台古墳に行く。蘇我馬子の墓と言われている。
乙巳の変を考える。
古代のチーズと言われる、「蘇(そ)」を食べてみる。飛鳥時代から造られた「蘇」をどういう環境で食したのだろう。過去の人物と食べてみる。
想像というタイムトラベルだ。
文化というものの偉大さに感激した。
「平安びとの動き」を想像しながら文字を書く。しんどい作業だろうなあ。でもきっと、楽しいはずなんだ。
読み終えた後、つい、甲骨文字や金文体、篆書体を使って、自分の名前を書いて遊んでしまった。
おもしろい。おもしろいよ。
ワクワク体験に感謝である。
○さて次は…
「とめはねっ!」が書道部の活動を淡々と描いたもの。そうではない。河合克敏である。しっかりと恋愛要素を含めている。
主人公、大江縁。ヒロイン、望月結希。
最後にはしっかりくっつくのだろう。そう予想した。14冊読み終えたとき、うーむむむむとなった。
次回は、「恋愛結末の工夫」についてである。