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【43回】恋愛結末の工夫・「とめはねっ!」(190130)

主人公は大江縁。ヒロインは望月結希。ともに鎌倉にある鈴里高校1年生。
序盤から大江は、望月に好意を抱くが、不器用で気弱な大江は気持ちを伝えることができない。
書道部は望月以外は、大江の気持ちに気づいているのに。

そんなとき、現れたのが、大分・豊後高校。大江と望月と同学年。一条毅(いちじょうたけし)。彼は、小4まで望月と同じ小学校。小4のとき、望月にラブレターを送っている。そして、返事をもらうことができないまま転校していった。

この一条毅。「書の甲子園」で文部科学大臣賞。つまり全国一位を手にした。
ちなみに望月結希は、高校柔道日本一である。

「大江くん!君も望月さんが好きなのかい!どちらが日本一の望月さんにふさわしいか、書の甲子園で彼女をかけて勝負だ!」
となりそうな展開じゃないか。

そうはならない。それがいい。
主人公である縁がヒロインである望月を一条というライバルに勝利した上に手に入れるという構造がないだ。

実はすでにそのことについて論じているページがある。「少年誌ラブコメの論理を拒絶する河合作品の世界――『とめはねっ!鈴里高校書道部』(河合克敏)」というブログに書かれているが、納得である。


改めて見てみる。僕は望月のセリフに「そうだ!」とうなずいた。

望月結希に好意をもつ一条。

「書の甲子園」では文部科学大臣賞を2年連続でとった人はいないという。だから、挑戦したい。
その理由が

「1年生で柔道の高校日本一になった結希ちゃんの隣に並んでも釣り合うレベルの人間になりたいからさ」(13巻p89)

「書の甲子園」のための合宿に来ていた一条。この後、同じ合宿に来ていた望月に「好きなんだ」と告白する。望月の返事は保留。


「書の甲子園」表彰式の当日。
望月が一条に返事を言う場面がある。

「私に…『書の甲子園』の文部科学大臣を目指すのは、柔道で高校日本一になった私と……その……釣り合うレベルになりたいからって言ったよね?」
「あの、そう思ってくれるのは、とても嬉しいんだけど…私、人と人がつき合うのに、”釣り合う”とか”レベル”とかって言うのって……なんか違うカンジがするの。」
「男の子と女の子がつき合うって……一番大切なのは気持ちだと思う」
(14巻p159)

例えば、荒川弘「銀の匙」という漫画。主人公がヒロインの勉強を見て、ヒロインが大学に合格できたら告白するという。ということは、いくらお互いが好意を持っていても、大学合格という目標を達成できなければ、つき合うことはできないということになる!?(ちなみに、「銀の匙」は大好きな漫画なので、続編を待っています)

例えば、桜井のりお「僕の心のヤバいやつ」という漫画。主人公が暗く、教室でも影が薄いキャラ。ヒロインが明るく、校内で一番の美女でモデル。そばからみたら、「そのカップルは…?」と見てしまうかもしれない。
歴史を紐解けば、身分の違いがあり、いくら好きでも、一緒になることができなかった恋はある…。
現実かなわない恋はある…。
釣り合う、釣り合わないは否定できないのか…。

釣り合う、釣り合わないがメインになってはいけないのだ。

「柔道日本一」と「書道日本一」だから「釣り合う」という考え方は、「柔道」と「書道」がなかったら、お互い好意を持てないの?ということにもなる。

そうじゃない。

その人をどう思っているか。シンプルにそれだけだ。
もっと単純にいこう。
相手に好意を持つ、告白することに、「テストで100点とったら告白するよ」とか妙な条件をつけるべきではないのでは、と思うのだ。
好きなら、「好きだ!」と伝える。
それでいいじゃない。

別に自分を大きく見せる必要はない。
ありのままの自分と、ありのままの相手をすり合わせていく作業が待っているのだから。



勝ったから手に入れるとか。
達成したから告白するとか。
そういう漫画もある中。恋愛の本質を見せてくれた。

さて、結局、大江が望月に告白することはない。
ただ、お互いを意識しているのはよくわかる。

「ボクの実力で東都文化大に入れるかどうかはわかりませんが…そうですね。ちょっと考えてみます。」
「それなら私だって東都文化大なら入れますからねっ!あそこの柔道部の先生にスカウトされてるし!」(14巻p185〜186)

これだけ張り合ってたら、「はよくっつけや、おまえら」とあきれます。
この後、一緒に生きていくのでしょう。たぶん。