えふぇ子という存在について

 私えふぇ子がゲーム制作を始めるまでのことと、なぜゲーム制作をしているかの話です。記事の性質上自分語りを多分に含みます。変なことも語ります。自衛よろしく。

えふぇ子が生まれた経緯

 高校一年生の秋~冬の私は精神的に相当病んでいました。今になってはなんであんなに病んでいたんだろうと思うのですが、大半はやりたいこととやるべきことのバランスが上手く取れてなかったというのが理由だったと思います。うちの学校は課題が多い上、私自身が怠惰なくせに課題を出せないと自責するタイプだったのでやりたいこと(=プログラミング&ゲーム制作、このときはなんとなくやりたいなぁという程度)をやるのに罪悪感があったんですね。悩み続けているのもよろしくないので色々な人に相談しまくり、三学期から休部していたオーケストラ部をやめてゲ制を優先し、学校はなんとか卒業まで通おう、ということになりました。
 一年生の2~3月くらいからUnityはいじっており、二年生になって本格的に手をつけようと思ったときに新宿Unityもくもく会なるものを見つけました。Unity使いが月一で集まって各自作業をするイベントです。これは面白そうだと思いましたが、ノーパソを持っていなかったので4月のは見送って5月のに参加……という意向を父に示したところ、「よし、すぐにノートパソコンを買いに行こう。4月のから参加しておいで」と。想定以上のスピードで話が進み、心の準備もできないままもくもく会へ。およそJKが来るところじゃないだろうにも関わらず、皆さん温かく迎えてくださって今では常連になっています(コロナで中々開催できないのが悲しい……コロナめ……)。
 そんなわけでえふぇ子というゲ制をする私が産まれましたとさ。その後結構良い成果を残せているので、予想以上に私に適した環境だったのかもしれません。

めでたしめでたし、ではない

 いやめでたいけれども。ここからえふぇ子は不幸のずんどこに……とか無いけどまだ語ります。変なことを語るパートです。

 そもそもなぜゲーム制作=表現をしたかったのかということです。「俺の妄想を見ろ!!!」というのが正直大きいですけど(そういう輩は大抵小説か漫画の道に進むようです)それだけではないことを思い出しました。
 前述の病んでいた時期にそのときの悩みやフラストレーションを書き殴った紙があるのですが、その中に「死ぬのが怖い」というのがありました(まず存在してること自体怖いんですけど)。自殺を考えたのも一度や二度とじゃなかったんですが結局この恐怖があったから死なずに済んでいました。生きててえらい。そして死の恐怖に続けてこうも書いてありました。
「できるなら不老不死になりたい」
 (……ここからどう繋げようか。)まあとにかくそういう願望があるんです。脳をデータ化して生き続ける研究とかにも心惹かれるものがあるんです。でも現時点では不可能な話なわけで。しかし生の解釈を広げれば著名な画家、作家、音楽家なんかは今も生きているわけです。だったら私も表現を続けていって、色々なものを遺せたら不死は無理でも常人よりは長く生きられるのではないか。私が創作と表現をして、それを続けていこうと思っているのにはこういう面もあったわけです。ここ数ヶ月忘れてたけどね。
 不老不死願望があり、それが私の一つのテーマなので作品にも不死性が結構な頻度で出てくると思います。まだ作っていないものを語るのもなんですけど、この小説はテーマそのままな話ですし。


 そんなわけで、えふぇ子という存在が産まれ(受動態で表したくないですけど)、「神主みたいになりたい」だとか「複数作品で一つの作品を」だとか色々な野望を持ちながら駆動しているわけです。また黒歴史を作った気もしますが私はそういうやつでしょうから諦めます。では。


追記


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