もしものはなし
もしも明日死んでしまうということがわかったら。
そんなこと考えない方がいいに決まってるのに、ふと、そんなことを考えてしまう癖がある。
いつこの人生が終わってしまうかはわからない。だからこそ、後悔しないように生きたいのだけれど、毎日1秒も無駄にせず全力でいたら心がきっと先に終わってしまう。
独身の時にはなんとも思わなかった。
子供ができて思った。
私が今、死んでしまったらこの子たちはどうなるんだろう。
父親もいるし、ありがたいことに私も父親の両親も健在で現役バリバリだ。だから子供たちが路頭に迷うこともないだろうし、生きていく上で苦労かけることも今のところはないだろう。
でも、精神的にきっと深い深い傷を負わせてしまうことには違いない。母親として100%いい母親なのか、と聞かれても簡単に首を縦に振ることはできないが。。
誰よりも子供たちの一番の味方でいて、一番近い存在です!っていうのは100%自信を持って自慢したいくらいだ。
そんなもしもを考えると、まだ私はここにいて生きてて子供たちの成長を見守れるにも関わらず、泣いてしまう。何故だかわからないが。
独身の時には、自分の両親や祖父母が亡くなったらとか想像して勝手に泣いてたけど、今は自分が死んでしまうことがとても怖くて泣いてしまう。
いや、だからそんなこと考えるなよって話だけど。
だから、私は必ず決めていることがあって。
どこかへ送り出す時、私が出かける時、眠る時、などなど、一定期間離れてしまうときは必ず笑顔で離れるようにしている。
これが最後になったら、、、
とかすごい暗い考えが根底にあるからなんだけど。
喧嘩したまま寝て、、、とかそういうの考えるだけで本当にいやで。
昔から史上最悪な状況を想定してから始めるという度胸のかけらもない性格故の考えなんだろうが。
できれば、子供たちだけじゃなくて私と関わってる人たちが私を思い出すときは、怒っている顔、不貞腐れている顔とか嫌な顔じゃなくて、笑い皺があって目が垂れてて、笑ってる私を思い出して欲しい。
って、もしもを考えた時の終わりはこう思って思考を停止させるんだけど。
こんなnoteを夜な夜な書きながら泣いている私も気持ち悪いけど、泣くことはわたしのデトックスなのでよしとして。
そんな私のもしものはなし。
相変わらずまとまりがないなぁ。
でも訂正修正はしたくないので悪しからず。。