陽だまり
自分につたえることば
恋愛小説。ノンフィクションとフィクションの間。
人生の中で何に重きを置くのか。 私の人生だから私が主役なの。 後悔なんてしないで生きたい。 さて、守るものができたとき。 自分のことばかり考えてていいのか。 今だけを考えてていいのか。 わたしにはまだよくわからない。 お金の不安も病気の不安だってあるし 子供たちが元気に育ってくれるか。 まともな生活をさせてあげられるのか。 生きていると不安しかないかもしれない。 今だからこそ、 母親が夜少しお出かけしても 昼間束の間の休息をとっても 後ろ指刺されることは減ったかも
先日、一人で娘達を連れて買い物に行った時のこと。 前日までは肌寒かったのに、急に春の暖かさ。 暖かくなると花粉も踊り出す。 わたしも娘も花粉症で くしゃみが出だすと止まらない。 私と娘の鼻も踊りだす。 「でも、せっかく外も暖かいし お散歩がてら買い物しよっか!」 久しぶりに外をぶらぶらすることになった。 最近は子供も大きくなり 荷物も小さいバッグにお財布と ティッシュとハンカチがあれば充分。 そんな軽量な装備でお散歩しながら ウィンドウショッピングをしていた。
いつもありがとう。 たくさんの愛と笑顔を。 無垢な笑顔に、無条件の愛。 家族だから当たり前じゃない? 当たり前じゃないんだよ。 家族でも違う人間。 怒ったりしてしまうことがおおいのに。 お世話してくれるから 大好きなわけじゃないよ。 うんうん、ありがとう。 その言葉で私は10年寿命伸びたよ。 だいすきだよ、 ってお手紙くれる。 わたしもだいすきだよ。 ずっとだいすきだよ。 いつか手が離れてしまうけど、 いつかウザいって思われるかもしれないけど 大
眠れない夜は 羊を数えよう 数えることに夢中になって 頭が冴えてしまう。 それなら眠くなる音楽を聞こう それでも音が止まると起きてしまう 眠れない時は 何かを考えている 理想だったり 今日の出来事とか なんかドキドキしたこととか 緊張したこととか 怖かったこととか。 ただ単にカフェイン摂りすぎたり ちょっぴり長いお昼寝をしてしまったり。 眠れない時は 無理して寝ないよ。 何も考えないこともできないから 自分の好きなところ100個あげてみよう 恥ず
私は縛られている。 物理的ではなくて精神的に。 あれはだめ、これはだめ。 なんのためにそれをするの? 必要ないでしょ? 俺がダメって言ったらダメ。普通に。 当たり前だと思ってた。 若い時はそれが 愛 だと思っていた。 勘違いも甚だしい。 子供が産まれて守るものが増えた。 それと同時に私の立場の弱さが際立った。 わたし には人権がないようだ。 子供優先は当たり前。 それは私もそう。 私の大事な宝物が成人するまで 身体も心も健康にしてあげたい。 導く、のではなく
心があたたかい。 心が満足している。 久しぶりの感情。 自分のことに精一杯だった。自分のことしか考える余裕がなかった。 ある物事に触れて、納得した、というか腑に落ちたというか。 優しい人に触れて、わたしもそうなろう。と思った。 誰にでも優しくたっていいじゃないか! 優しくしてもらえると嬉しい。 たった少しの気遣いでも、してもらえると嬉しい。 優しくしてもらうことばかり、自分を満たすことばかり考えていると、求めてばかりでくるしくなる。 優しさを与える?与える
もしも明日死んでしまうということがわかったら。 そんなこと考えない方がいいに決まってるのに、ふと、そんなことを考えてしまう癖がある。 いつこの人生が終わってしまうかはわからない。だからこそ、後悔しないように生きたいのだけれど、毎日1秒も無駄にせず全力でいたら心がきっと先に終わってしまう。 独身の時にはなんとも思わなかった。 子供ができて思った。 私が今、死んでしまったらこの子たちはどうなるんだろう。 父親もいるし、ありがたいことに私も父親の両親も健在で現役バリバリ
先日、久しぶりに好きなアーティストのライブに行けた。 マスク必須声出し禁止等々いろんな制限の中開催されたライブ。 MCもなし。歌と表現だけ。 それでもライブが開催されるだけで十分だった。 幕が開いて2年ぶりに会えた瞬間、何故か涙が出た。 生きててよかった、生きて会えてよかった だって。私がいなくなっても、彼がいなくなっても今はないわけだし、生きて同じ空間にいられて、この幸せな時間を過ごすことができるって奇跡なんだな。って改めて実感したら涙が止まらなかった。 こん
最近、スキ、を頂くことがありがたい反面、投稿する前に見返さないので文脈がしっかりしていなくて伝わりづらいことに申し訳なく思っています。 しかし読み返して編集してしまうと、心の整理がつかなく、 文を書く ということに固執してしまいそうなので、相変わらずそのままにさせていただきます。悪しからず。 さて。忙しい夏を過ごした中で気づいたこと。 こんなご時世でお仕事をいただき忙しく生活できることはとても張り合いがあり面白い。性格的に時間に余裕があると後回しにしたりダラダラして
ご無沙汰しております。 体調が優れない日々を過ごしておりまして、考えるということを忘れていました。そしたら頭と心がいっぱいになりました。 やはり私は、思っていることを言葉にした方がメンタル状態が良い。。と気づいたのでまた改めて。 今回は人と人の関係性に対して名前を欲しがるのは何故か。 という疑問が生じております。 親子、夫婦、恋人、友だち、親友、知人、親戚、近所の人、友達以上恋人未満、ただの知り合い、友達の友達。 とかなんとかいろいろ。 何故こんなにも人との関係
今日は先に結論というか感じたことを言ってしまおう。 はじまりがあることには必ずおわりがくる。 おわりがくるからこそ、新しく何かが始まる。 終わりがなければ始まらないこともある。 始まらなければ終わることもない。 なんて複雑なんだ。 はじめることはすごい良いことのように感じる。 なにかをリスタートするような。 でも、終わりがなければリスタートもできない。 私は何かをはじめることにすごく臆病なんだ。 だっていつかは終わりがきてしまうんだもん。 生と死と同じで
人を育てるということ。 すごくすごくすごく難しい。 子供を育てる、部下を育てる、弟子を育てる、心を育てる、生き物を育てる、、 人によってそれぞれ違う。 わたしにとっては子どもを育てることだ。 子どもは大好きだ。もちろん自分の子供なんて、わたしの命に替えても守りたい。できれば傷つかないように、大切に大切に大切にしたい。病気になれば、わたしの使い古した臓器でもあげたいし、できることならなんでもやりたい 私なりの親心だ。 しかし、育てるということにフォーカスすると、守
今日は言葉が降ってくる。 いや、違う。考え込む時間というか、自分と見つめ合う余裕があるのかもしれない。客観的に自分を見ることが少しできているのかもしれない。 私は毎日、毎日不安と闘っている。 些細なものから重大なことまで。まだ起きてもないことを、起きたらどうしようってなって一人で不安に襲われている。 でも、寝て次の日になってしまえば、 ばかだな〜何考えてんだろ。 ってケロッとすることがほとんど。なんておめでたい性格なんだろう。自分でいうのもなんだけど、私は簡単だ。
こんにちは。 一人の時間ができたので、今の考えをつらつらと。 満足感。って無限だと思いませんか? 今の生活に満足している。ある程度最低限の生活をさせていただいて、仕事もあり私生活もそれなりに充実して送ることができて、おかげさまで病気や怪我も、生死の狭間を彷徨うようなものもなく生きてこられている。 私なりに充分に満足している。 しかし、人間の欲というものは不思議なもので、もっともっともっともっと!!と求めてしまう。 ただの欲しがりな私の性格のせいかもしれないが。いや
今日は私の自己肯定感について。 前置きとして、私は容姿も頭脳も平均くらいだと思います。抜きん出て何かできることがあるとか、絶世の美女とかでもなく、普通。そこらへんにいっぱい居るような人です。 小さい頃は、誰しもそうだけど可愛い可愛い。お姫様。可愛い。可愛い。可愛い。。 って言って育ててもらいました。 少しませてたことがあったかもしれないが、自分は凄い可愛いんだ!って思っていました。 小学生になっていろんな友達ができてくる中で、女ですからね、いろいろありますよね。
基本的なことだと思う。 命を与えていただきました。そして今という世界を生きることができます。 当たり前なことだけど、生き急いでて忘れてしまう。 そして、生きる中で誰かと関わることは必ずしも避けて通れないと思う。 一人で生きると決めて自給自足したりなんだりすれば話は別だですが。←屁理屈。 話は逸れるが、私は 〝徳を積みたい〟 という、最終的には見返りを求めている考えが根底にある。何か良いことをすれば良いことが返ってくるし、悪いことをすれば、、。 今ではなくても来