東京カテドラルでアカペラコンサートを聞いてきて、私も(比喩的な意味で)神様の通り道になろうと思ったこと
普段やらないことをやってみようキャンペーンの一環で、今日は目白にある東京カテドラルの教会音楽コンサートに行ってきた。行ってみて気がついたがアカペラの男女8人が歌う会だということ。実に素晴らしい時間だったのでちょっとだけ建築解説と日記に記録!
東京カテドラルの好きなところ
そもそも東京カテドラルといえば、昭和の日本を代表する建築家、丹下健三さんの代表作。1964年の建築(もう築60年近い!)にも関わらず、非常にモダンで美しい建築です。丹下さんの仕事の中でベストを挙げよ、と言われたら私は迷わずこの関口教会を選ぶ。学生の頃から通算すると十回くらい訪問していて、キリスト教徒ではないけど神様がいる空間だというのは感じる。
この建築、何がすごいって、外から見たらジェントルな表情なのに、内部空間のマッシブさのギャップが大きいところ。たとえばパリの街中にある大聖堂は外観も内観も圧倒的なボリューム感を見せつけるのに対して、日本の街並みに配慮したと思われる設計。向かいは椿山荘だしね。「キリスト教は、日本でも文京区でも決して主役ではないですから、そのあたりはわきまえておこうと思います」って言ってる気がする。
でも、いざ中に入ると西洋建築に負けないくらいの鋭さで光が落ちる。ドッカーン。降り注ぐ神様の光。東側から午前中の礼拝で後光が指すデザインは狙ってそう作ってあるとわかっていても圧倒される。
今ふうにいうと、外はさくさく、中はもっちり(というかどっしり)な建築。
コンサートの演目、カロンのロム・アルメ
まるで呪文のようなタイトルで、正直歌のタイトルなのか人の名前なのか楽器の名前なのか全くわからずに参戦。
花井哲郎さんという方が冒頭に解説してくれたお話は音が反響しすぎてほとんど言葉として聞き取れなかったのだけど、どうやらこのカロンという作曲家は「15世紀の人で、ぶっちゃけ実在したかどうかもわからないんだけど僕は大好きな人。ミサ曲5つにシャンソン22曲を残している」とのことだった。遊び心があちこちに散りばめられているらしい。私の学がないがためにあまり解説の意味はわからなかったものの、なんだか解説する花井さんの体の動きが幸せそうだったので、大好きで追求してきているんだな!というメッセージだけを受け取る。そして20年越しの願いが叶ってのコンサートだという。やったね。
歌の瞑想効果
まず、8人の歌声がカテドラル内部に反響するとまるで体をすっぽりと音に包まれた感じになる。スピーカーの点から発せられるのとは全然違う体験。電気的なアンプリファイヤーを通さない音って音量が安定していて落ち着くものなのですね。しばらく聞いているとすごくリラックスした状態になる。
私は次第に瞑想の呼吸に入っていく。呼吸をしながら、「あの仕事の返事しなくては」とか、「生協の注文まだだわ、やべ」とか、「息子の熱は下がっただろうか」などなど、雑事が意識に浮かんでくる。その一つずつを順番に天井に向かって呼気とともに放つようにしていくと、8人の歌声にのって小さな天使が頭上にやってきて、雑念の空中放出を手伝ってくれるような感覚。50分ほどのプログラムが終わる頃には、瞑想の後のすごくスッキリした意識状態になっていて、教会音楽には瞑想効果があるのだなと知りました。
教会音楽のデザインの仕方
作曲活動もしている同僚と、そのパートナーと一緒に行ったのけど、帰り道に教会音楽ってどうやると作れるの?と聞くと「教会音楽は一つのメロディを畳み掛けるように何回も被せてくるのが特徴ですね」「ファイナルファンタジー9と似ている」とのこと。意味がわからなかったので、ちょっとわからないからBTSのダイナマイトでやってみてくれる?と頼むと以下の歌詞の部分でデモをしてくれた。3人が順番に同じメロディを高音や低音で被せていくような歌い方。確かにBTSが一気に格調高くなったけど、今時のポップスでは一つのメロディを掘り下げていくようなデザインは流行らなくて、同じメロディを同じ音階で繰り返しサラサラ続けていく方がウケるらしい。へえ。
スターではなく神様の通り道としての歌い手
ところで一般的なコンサートホールでは、歌手(スター)がステージに上がると大抵は観客に向かって礼をしたり手を振ったりするけど、この8人の歌手たちはそう言ったことは一切なくて、ただ祭壇に向かって8人がつかつかと歩いていって、段を上がる前に振り返りもせず一礼をして、あくまで神様が自分を通して降りてきているだけです、なんなら私たちは観客と同じ立場だけどたまたまそういう役割だから皆さんの代わりに歌いますねー、という体だった。観客はもちろん彼らの歌に対して拍手をするのだけど、必要以上に歌い手を持ち上げて盛り上がるというよりは、そこに降りてきたものを一緒に味わっている感じ。
私も神様のの媒介者ということでいく
同僚曰く、アーティストやライターなど、クリエイター活動がメンタルヘルスを維持するためには、自分が何かを創造しているのではない、たまたま神様(あるいは何か大きな力)が自分を媒介してメッセージを地上に届けているだけ といった捉え方をするといいという話があって、ああこの歌手の方たちは自然とそうなっているんだなと思った。神にお仕えするアーティストは病みにくいのかもしれない。
私は歌は歌えないしクリエイターというよりサラリーマンな上に特定の神様にはお仕えしていないけど、それでも毎日神様みたいなもの(あるいは大いなる何か)が自分を通り抜けているだけで、私はただの媒介者である、と思いながらしばらく生きてみようと思った。
と、例によってコンテクスト薄めの浅知恵でのお出かけだったけど、感じることの多い時間でした。7月14日にオルガンメディテーションがあるみたいだからまた行ってみようかと思う。
今日も一日、お疲れ様でした!
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