※映画のネタバレと個人的な解釈がふんだんに詰まっています。苦手な方はお引き返しください。
今回はすずめの戸締まりサウンドトラックの『すずめの涙』の意味について考察してみたいと思います。
「Tamaki」については考察してみたので以下から覗いてみてくださいね。
他にも作品全体やダイジンに関して考えたことなどをまとめてるのでよければ!!
まずは聴くのが早いです。聴いてみてください。
歌詞も以下に載せておきます。
常世でのすずめ同士の邂逅と、それを傍らで見守る草太の心情の歌??
※以下個人的な解釈になります。
「すずめの涙」というワードを聞いて真っ先に思いついたのは、
ことわざの「雀の涙」でした。
はて、これが何を意味すると・・・?
歌詞の内容的にそんなに関係ないのかな?とか考えるも、どうも偶然とは思えない。RADWIMPSは何を考えているのか。
順番に見ていきましょう。
これは常世なのか。
常世は全ての時間が混ざる場所。
この場所を起点に、『すずめの戸締まり』は円環の物語になっています。
震災の記憶。常世に迷い込んだ当時4歳のすずめは、12年後の未来のすずめと出会います。
大事な記憶。でも、いつしか忘れていた記憶。
常世という全ての時間が混ざる場所で、時間軸は違えど同じ「すずめ」の視点で懐古するかのような歌詞だと感じました。
すずめは震災によって4歳で母を亡くします。
一番愛する存在であった母が、二度と会えないところへ行ってしまいます。
そう言って母を探し続ける4歳のすずめを見て、幼いながらも母はもう帰ってこないと悟っていた自分に気づく高校生のすずめ。
幼いすずめにとって受け入れ難い悲しみの経験。
たまきさんがすぐに引き取ってくれたとはいえ、無意識下でも悲しい過去の記憶はずっと尾を引いています。
そんな、前を向けない間にも、日々は流れていく。
「前ならえできない私」に目もくれず、日々は流れていくのです。
母との記憶。幼い頃に迷い込んだ常世での記憶。
遠い過去なのに今でも一番鮮明な記憶として脳裏に焼き付いています。
前を向きたい。過去を乗り越えたい。
いつしか乗り越えた気がしていた悲しい記憶に触れ、映画でも4歳のすずめの大きな目から溢れる大粒の涙と泣きじゃくる姿を見てすずめも涙してしまいます。
12年という月日が経った現在でも当時のままに残っている記憶。
思いは風化しない。
そんなメッセージなのかもしれません。
あの人とは、すずめの母なのか、はたまた常世で要石になってしまった草太のところなのか。
どちらでも、現世に生きるすずめにとっては「この両の脚で行けるとこ ではないようなのです」
なんだか両方の解釈ができそう。
ここで視点が切り替わります。
「僕」は草太なのかな。
すずめ同士の邂逅をそばで見守っていると考えられます。
「すずめの涙」は文字だけ見るととるに足らないもの、という意味。
でも、すずめが大切な草太にとって、この「すずめの涙」は海よりも大きな意味をもっている。
だから、そんな涙を見ることがないように「強くなりたい」と思うのでしょうか。
再びすずめパートです。
すずめパートからの草太パートです。
僕にはそれしか 眼に入らないほど 大きな結晶 すずめの涙
原作では、常世ですずめ同士が出会う場面に草太の心情描写はありません。傍らで見守っていたのですがこんなことを考えていたのでしょう。
「君は死ぬのが怖くないのか!」と訊くも、
「怖くない!」と即答する「強い」すずめを見てきた草太にとってこんなにも涙を見せるような弱々しいすずめを見たのは初めてだったのでしょう。
そんな、原作で描かれてない部分をRADWIMPSが補ったのかもしれませんね。
全体を通じてのまとめ
個人的な解釈ですが、この『すずめの涙』という歌を
常世でのすずめ同士の邂逅とそれを少し遠くから見ている草太の心情の歌なのかな、と解釈しました。
常世でのすずめ同士の出会い。
時間軸が混ざり、円環する物語の中で、常世での記憶はすずめにとって一番大事な記憶として今後も記憶されていきます。
そして草太はそれを見守ります。
「Tamaki」に比べて直接的でない部分が多く、解釈には幅がありそうです。(もちろんいろんな捉え方があって然るべきだと思います!!!)
皆さんはどんなふうに感じましたか??