【感想】ミュージカル『王様と私』
先日、2018年にロンドン・ウェストエンドで上演された『The King and I 王様と私』の映像化作品を鑑賞しました。
2015年にニューヨーク・ブロードウェイにて公演の幕を開け、その年のトニー賞で9部門ノミネート、うちリバイバル作品賞含め4部門での受賞を果たしたミュージカル『The King and I 王様と私』。日本を代表する俳優・渡辺謙さんが主演のシャム王役として出演し、トニー賞主演男優賞にノミネートされたことでも話題になりましたよね。
その後本作は、2018年にロンドンのウェストエンドでも上演。昨年夏には、日本にも上陸し、シアターオーブなどで上演され、チケットが争奪戦になったと記憶しています。
キャスト&クリエイティブスタッフ
シャム王役:渡辺謙
アンナ・レオノーウェンズ役:ケリー・オハラ
チャン夫人役:ルーシー・アン・マイルズ
オルトン船長/エドワード・ラムゼイ卿:エドワード・ベイカー=デューリー
チュラロンコン皇太子:ジョン・チュウ
タプティム: ナヨン・チョン
ルンタ:ディーン・ジョン=ウィルソン
クララホム首相:大沢たかお
ルイ:ビリー・マーロウ
演出
バートレット・シャー
脚本
オスカー・ハマースタイン2世
作詞
オスカー・ハマースタイン2世
作曲
リチャード・ロジャース
あらすじ
物語の舞台は、1860年代初頭のシャム王国。英国人女性アンナは、息子のルイを連れて、シャム王の子供達の家庭教師をするべくシャム王国にやってきた。子供達とはすぐ仲良くなる一方、専制君主で契約を守ってくれない上に「女は花で男は蜂だ」と女性を無下に接する王とは衝突を繰り返す。「シャム国は野蛮と捉えられ、外国領に吸収される」と聞きつけたシャム王は、アンナの助言により英国接待を成功させたことで2人の距離は縮まっていくがー。
感想
(当時の)西洋と東洋の価値観を体現した存在であるアンナとシャム王。リバイバル作品としての本作の魅力は、【異文化背景を持った他者を受け入れる】ことを温かくユーモアに富んで描いている点にあるのではないのでしょうか。
例えば、英国公使を接待するために、シャム国の宮廷の女性たちがドレスを着飾るシーン。ドレスでの振る舞いなんてわからない上に、「王が目の前に現れたら平伏さなければならない」というしきたりがある彼女たちは、王が来た瞬間お構いなしに土下座をしたために、スカートのなかが丸見えになってしまうわけです。そのような小笑いが作品にたくさん散りばめられていました。【異文化を受け入れる】という点では、1幕ラストの楽曲が素晴らしい。ベースが、仏教の念仏のように低音で同じ音階を繰り返すものとなっており、そこにハモリを重ねていくもの。(調べても曲名が出てこなかったのだが、新しく付け足されたものか、、ナンバーとしてカウントされていないのかどっちなんだろう?)。他にも、2幕頭で、宮廷の女性たちが「彼らは西洋文化を押し付けてくるの!本当に野蛮なのはそっちでしょ!」と歌う『♪おかしな西洋の人たち』が心に残りました。なんとこれ、ミュージカル初演ではカットされていたナンバーらしく、今回「復活」した曲だそう。これをブロードウェイやウェストエンドで「西洋人はおかしいわ!」と東洋人が歌えるようになったのも、現代がある程度異文化に寛容な平和な世の中になったからなんですね。
小笑いを届けてくれる存在といえば、誰よりも、渡辺謙さん演じられるシャム王が挙げられます。国を守らなければならないという意志が強く(♪パズルメント)、苦悩しながらも尽力する立派な王であることは確か。しかし、「シャム国での価値観・教えしか知らない」が故に、彼が全く触れたことのない文化背景を持ったアンナと出会った途端、これまでまかり通ってきた事柄が通用しないことを痛感します。アンナと衝突する姿や、空回りする様子が非常にコミカルで愛らしく、どこか憎めない王様に仕上がっていました。
最初は対立し合う2人ですが、文化背景という名のベールの奥にある「為人」を知るうちに、お互いを受け入れるようになるのです。例えばアンナが、「英国人が“シャム国の人は野蛮だ“と噂されている」と告げられるシーン。シャム国王とたくさん衝突する彼女ですが、即座に「彼らは野蛮ではないわ」と否定するシーンは、心の奥底では理解し合っている2人の絆が垣間見え胸が熱くなります。
「対比」といえば、1幕のアンナとチャプタムもポイントです。ビルマからシャム国に「献上」されたタプティムと、息子を連れてシャム国に「仕事」をしにきたアンナ。タプティムはシャム王に奴隷愛人のように扱われますが、シャムにいるビルマ人の彼・ルンタのことを本当は愛している。一方で、アンナは未亡人。夫は亡くなってしまったけど、今も夫を愛し、夫のことを思い出しては愛し合うことの素晴らしさを説きます。自由な愛が認められていルアンナとそうではないタプティム。文化の違いが生み出す愛の自由度の違いとそれによるそれぞれの想いは、連続したシーンとナンバーでわかりやすく対比構造となっているのです。[♪マイロード・アンド・マスター(タプティム) と ♪ハロー・ヤング・ラヴァーズ(アンナ)]特に、タプティムの歌声は必見です。
本作には、2幕で英国公使を接待する際、お芝居を披露する劇中劇のシーンがあります。作品は『アンクルトムの小屋』。黒人奴隷が主人から逃げるお話で、かの南北戦争が勃発するきっかけともなったお話です。13分にも及ぶナンバー(♪アンクルトムの小さな家)に合わせてアンサンブルのダンス(タイ式のバレエ?)とタプティムの語りに合わせてシーンは進んでいきます。
この劇中劇は、まさしくシャム王と奴隷愛人のタプティム、そしてタプティムの恋人であるルンタの関係性を暗示しています。この劇中劇の効果は、ミュージカル『アナスタシア』で劇中劇として描かれるバレエ「白鳥の湖」を彷彿とさせるようでした。
物語のラスト、シャム王は亡くなり皇太子のチュラロンコン皇太子が即位するシーン。チュラロンコン王はこれまでのしきたりだった「王に平伏す」慣習を改めたました。これは間違いなくアンナという教師と出会ったことで、文化的背景も含めて視野が広い教育を受けたこと、そしてそんなアンナに影響を受けて父親が変化した姿を見たことが起因しているでしょう。
【互いを受け入れ、寄り添い、良い方向へ変わっていく】美しい音楽と素晴らしい脚本を通して、そんな希望を見出してくれる作品です。
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