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供養させていただいている私が実は供養していただいていること。地蔵会のご感想その16


5日は弥勒菩薩のご縁日でした。


弥勒菩薩は未来仏。弥勒菩薩をご供養していると

未来という時間に対して非常に大きな祝福を届けてるのかも

という気持ちが湧いてきます。


ご供養というとなんとなく過去に関して行うような

感覚が強いんですけど、あんまり時系列って関係ないかもね

ということを考えたりしておりましたよ。


通りすがりのお店のおしゃれな佇まいを見るのも楽しい時間です。


地蔵会のご感想いただきました!

ありがとうございます。


「祥鈴庵 圓珠 様

 こんにちは。○○です。

 地蔵会のご供養、ありがとうございました。

 お礼が遅くなり申し訳ございません。

 今回、自分でもおつとめをさせていただけるのが嬉しくて

 こんな風に言っていいのかどうかわかりませんが

 すごく楽しかったです。

 拙いながらもおつとめをさせていただき

 ご先祖様がいらっしゃって、今の自分があり

 その命の流れの中に自分がいること。

 ご供養をさせていただいている私が

 実は供養していただいていること。

 そんなことをしみじみ感じ、ありがたかったです。

 お地蔵様、ご先祖様、圓珠様に感謝でいっぱいです。

 これからも折に触れて、ご先祖様の供養は続けていこうと思っています。

 本当にありがとうございました。」


このご感想を読んで、すごく感動しました。


私としても、行っていただく施主さまにできるだけ

いい状態になっていただきたいし、

ご自身で行う喜びみたいなのも感じていただきたいし、

もちろんご供養されている相手の方、ご先祖さまやいろんな御霊が

安らかな状態になっていただきたいし、

と考えて工夫してお務めさせていただいているのですが

そういう私の意図を超えて、

施主さま方がさらに素晴らしいものを受け取っていらっしゃるのに

いつも驚くのですね。


「供養をさせていただいている私が

 実は供養していただいていること。」

ご供養は、供養しようと思った相手の方だけでなく

ご自身にも法界にも功徳があるというお話は何回かしましたけど。

ご供養というのは実は、お互いに供養し合っているということ。


真言宗では「相互礼拝、相互供養」ということがよく言われます。

なぜ相互に供養し合うのか、というと

私たちの本質が仏と同じものでできているから。


さまざまな過ちや間違いを行ってしまう現在のこのままの

私たちの中にも必ず仏さまと同じ本質があります。


その素晴らしいものに対して

お互いに敬意と尊重の気持ちを持って礼拝し供養する、

というのが真言宗の檀信徒としての心がけですよ

ということを語っているのですね。


私たちの心の中にある素晴らしいところから、

他の誰かの心の中にある素晴らしいところへと

よい意図や思いがつながるということ。


人の間の隔たりも、時間の隔たりも、

この世とあの世の隔たりも超えて

お互いに平和で穏やかで安らいだよい心持ちが

響き合う。


全ての良いものは、こういうところから始まるのではないかな

と思います。


素敵なご感想ありがとうございます!

またどうぞよろしくお願いいたします(^人^)

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