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1976 昭和51年【山岳部大全#9】

1月    周恩来没
2月    ロッキード事件発覚
7月    田中角栄逮捕
9月    毛沢東没

    前の年の大量入部でなんとか約束されたかに見えた山岳部の未来はこの年の新1年生が2人という現実の前に早くも先行きに不安感が漂いはじめてきました。 「アピール不足が原因か」 と反省されていますが恐らくその通りで、なまじ部員が多いとその人数に甘えてしまうのか次の年に新1年生の獲得に失敗するという事がこれから何度か見られます。ところでこの年から反省会の内容やトレーニングの経過などを記したノー トが部室に残されており手持ちのデータが豊富になりました。 この年 (76年度)はまだ反省会の内容も硬いものが多いのですが、いずれはいろいろなエピソード等が書き込まれてきます。

    この年のエピソードは、大部分をタカハラ先生の文章に依りますが、雨の合宿の事を避けて通れません。この年の合宿は南ア南部6泊7日でした。 今の部員には想像もつかないでしょうが、新幹線を使わなかったため当時は朝9時に品川を出発してもその日のうちにアルプスのふもとまで行けなくて井川で1泊したのです。 ちなみにこの前回は夜行を使っていますがそっちよりはいいとの判断で6泊7日になったようです。 この合宿には前年結成されたとかげ会のドバシ、ツルカミ、ナカガワ、 スズキ(K)各氏がタカハラ先生と南アルプス全山縦走を目指し、 途中の三伏峠までを部と行動を供にする計画でした。 ところが2日目からの雨がすべての計画を洗い流してしまいました。予定では2日目は茶臼小屋まで行って翌日光岳をピストンする予定だったところをウソッコ沢小屋までしか行けず、さらに 3日目にしてようやく茶臼小屋に着くもそこでストップ。 4日目は嵐のためにテントをたたんで茶臼小屋に避難し1日停滞。 5日目になっても風雨は弱まらないものの聖平へ強行し、6日目にようやく晴れた隙をついて聖岳をピストン。 「残念ながら行けなかった赤石、 荒川岳を望んだのであった。」ということです。もちろんとかげ会の企ても失敗してし まいました。 この年を最後にスズキ先生が転任され送別の意味を兼ねた追行には24名の多きを数えたとのことです。

5/9 「新歓」 御前山
6/19、20 「合訓」 鷹ノ巣山
8/2~8 「合宿」 南ア 聖のみで敗退
1/15、16 「冬山」 大菩薩
4/2、3 「送別」 飛竜、雲取山

<エピソード>
・また少なかった1年生
・雨の合宿
・とかげ会の南ア全山縦走計画の断念
・久しぶりの文化祭
・1年半のブランクの後、部誌4号発刊 9月

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

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