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1973 昭和48年【山岳部大全#6】

1月   ヴェトナム和平協定成立    アメリカ撤退
10月   第4次中東戦争勃発
            オイルショック

 この年もパイオニア精神あふるる1年でした。部長のナカガワさんは生徒会長もやった方で、山岳部の食事をおいしくした人と言われています。まず新歓では合流山行の形式を取り、山のゴミ拾いを兼ねました。次は6月に沢行を行いました。つまり沢登りです。山岳部史上唯一の冒険の結果、山岳部史上初めての事故があったようです。どうも雨のための増水が原因のようですが「某さんがザイルから手を放し、怪我をする」とあるだけでいったい誰なのかは分かりません。沢行については「今なら教育委員会の許可は得られない」と1978年頃にタカハラ先生は書いています。ところで合訓で石を背負うのはこの年から始まりました。よって六ツ石山頂に散乱している丸石はまさしく国分寺高校山岳部の「参るストーン」なのであります。またこの年の大きな特徴は合宿が2回あったことです。ひとつはいつもの南ア合宿、もうひとつは女子部員を中心に企画された女子合宿で奥秩父に行きました。男女の体力差を考えた結果なのでしょう。
 またこの年から「OBという変な存在」が参加するようになった事も今の続く山岳部の原型が形作られたという意味で特筆に値することだと思います。今でこそ当たり前のOBですが、なるほど考えてみると変な存在です。しかしこの年の合宿のしおりの中に「OB おまけボーイ」と書いてあるのを見てうれしくなりました。誰が考えた言葉かは分かりませんがうちの部のOBははじめから「おまけ」だったのです。それ以上のものではないという安心感がどれほど部の人間関係を滑らかにしたことでしょうか。とにかくこの年から現役がバテても荷物を持ってくれる人ができたのであります。食事の面で興味深いのは女子合宿に出された天ぷらについてです。記録にはチーズ天ぷらなどが評判良かったようですが、量を作るのに時間がかかるためみんな一度の食べられないという問題があるようです。ちなみにこの年、第4次中東戦争の影響でオイルショックが起きましたが、山岳部員がレッペの確保のためにスーパーへ殺到したかは記録にありません。

5/13 「新歓」 鷹ノ巣山
6/3 「沢行」 川苔本谷
6/17-18 「合宿訓練」 六ツ石山
8/2-8 「合宿①」 南ア南部 聖 赤石 荒川岳(悪沢を断念)
8/21-24 「合宿②」 奥秩父 金峰山 瑞がき山
9/26-27 「秋山①」 乾徳山
11/25 「秋山②」 本仁田山 川苔山
4/2-3 「卒業生送別山行」 飛竜山 雲取山

<エピソード>
・ゴミ拾いを兼ねた新歓
・初めて沢登りで初めての事故
・ドバシ式はかりを国立駅に置き忘れる
・OBという変な存在
・雨をすって思いテント
・チーズ天ぷら
・食べづらいフランスパン
・初めての送別山行

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

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