見出し画像

1974 昭和49年【山岳部大全#7】

8月   ニクソン辞任
12月    田中角栄辞任 列島改造の失敗 一桁の支持率

   この年、 イヌカイ先生が転任されヤナギシタ先生がオリエンテーリング同好会に専念されることになったのでスズキ先生が新たに加わるなど、顧問の先生に若干の異動がありました。 この前の年もこの次の年もそうなので、この年の新歓も合流山行の形が取られたと思われます (強引な解釈で申し訳ありません、 ページの都合だと思ってください)。 合流山行はこの時代の新歓でよく使われているようです。これは2つのパーティーが山で一緒になることが名前の由来なのですが、3年生とOBのパーティーが鷹ノ巣の避難小屋に前日から泊まり込んで、翌日の昼ごろに上がってくる1,2年生に昼ご飯を用意して待っている、という形の山行です。まさしく新人を歓迎するのだ、という強い意志が感じられますし、なにより1年生はほとんどカラ身で登れるようです。
    ところがこの年の1年生にはこんな新歓で、しかも楽なコースを歩いたのにばててしまう人が出たり、合訓で動けなくなって、 あと少しで頂上という所から3年生のナカガワさんに背負ってもらったりと、 タカハラ先生も はっきりと 「弱体な1年生」 と書いています。 そしてとうとう合宿に参加した1年生がイシクラさんひとりという有様になり、山岳部もいよいよこれまでか・・・との観測も出たという事です。 しかしご存じのように山岳部はこの先何度か同じような危機に直面しながらも、何とか切り抜けて いくのです。 乞うご期待。 ところで鷹ノ巣避難小屋(95年改築前) の壁のブロックのひとつに我ら国分寺高校山岳部のサインがうっすらと残っ ているのですが、そこに添えられた名前は「クロダ、スズキ」 だったと思います。この5回生のお二人はこの年 「雲取自転車山行」に挑戦しました。 部誌を読んでもらえればそれまでですが、つまり雲取山に自転車で登り、 あとはそのままそれに乗って楽に降りてこようという夢のような計画でした。 「荷物も自転車につけているから背負う必要もない」と冗談とも本気とも取れる言葉が残っていますが、結局自転車を背負って登る羽目になり雨にも降られて苦労したということです。 でも家から雲取山まで自転車で行って、よくこの行程を1泊2日で生きて帰れたものだと思います。

5/19 「新歡」 鷹ノ巣山
5/15、16 「合訓」 本仁田山
8/2〜8 「合宿」 南ア北部 仙丈 甲斐駒 鳳凰三山
1/25、26 「冬山」 鷹ノ巣山
4/3、4 「送別」 三頭山

 <エピソード>
・弱体な1年生
・将来に対する漠然とした不安
・自転車山行

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

※国分寺燕稜会では“仲間”を募集しています。
この公式noteを見て、会の趣旨や目的に賛同し、一緒に活動したい卒部生は以下のメールアドレスまで連絡をお待ちしております。
【国分寺燕稜会問い合わせ先】
enryokai.kac1971@gmail.com

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集