見出し画像

四国八十八カ所霊場第37番札所『岩本寺』へ参拝してきた♪


昨年のR6年11月24日。

ラーメン食堂ななこでラーメンを食べに、高知県四万十町へ行ってきたわけですが(^^♪
この日に、四国八十八カ所霊場第37番札所『岩本寺』へも参拝して参りました♪

岩本寺の歴史・由来

清流四万十川が流れ、標高が300m程の高南台地が広がる四万十町に、五尊の本尊を祀る岩本寺は建立されている。歴史は天平の世まで遡る。寺伝によれば、聖武天皇の勅を奉じた行基菩薩が、七難即滅、七福即生を祈念して、現在地より北西約3㎞の付近にある仁井田明神の傍に建立したと伝えられる末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身とされる。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれていた。弘法大師がこの寺を訪ねたのは弘仁年間。大師は一社に祀られていた仁井田明神のご神体を五つの社に別け、それぞれの社に不動明王像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、薬師如来像、地蔵菩薩像を本地仏として安置した。大師は、さらに末寺五ヶ寺を建立された。このことから、福圓満寺等は七ヶ寺と合わせて十二福寺、また仁井田明神は仁井田五社と呼ばれていた。

天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていた。明治になると神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い、寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたのであるが、少しずつ伽藍を整備し現在に至っている。

四国八十八カ所霊場会より

この日はラーメンを食べることが目的だったので、お寺に寄ったのは16時前(´;ω;`)

四国八十八カ所霊場はいつかは全て周りたいなと思っているので、近くを通れば積極的に回っていきたいと思います♪

けれども、四国八十八カ所霊場を周るということを目的に行くとなると、かなり労力がかかりますよね(笑)

冬場は、写真を撮りに行くスポットも限定されたりするので、冬は四国八十八カ所を目的に回っても良いかもしれません(笑)※は冬は出不精になっていけません。

『霊場へ参拝に行く』

『霊場近くのグルメを食べに行く。』

『温泉に入って帰ってくる。』

これぐらいのスケジュールなら、気分転換になって、プチ旅行気分で楽しめるかもしれません♪

けれど、高知から四国八十八カ所周るのは、効率的に回ろうと思えば、土日の1泊2日とかで行きたいですね(笑)
愛媛も、徳島も以外と遠いので(´;ω;`)

霊場参拝すればnoteでシェアしていきますね♪

それでは今回はこの辺で(^^)/

いいなと思ったら応援しよう!

えんぴつ
サポートしてくれるとメチャクチャ喜びます♪されたお金は、写真撮影への交通費やカメラ機材購入、学習のために使わせていただきます!!

この記事が参加している募集