古事記原文2:日本列島の誕生

於是天神あまつかみ諸命もろもろのみこと以ちて、伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことに詔りて曰はく、
修理つくり固成かためなせこれ多陀用幣流おほやまとくに。」天の沼矛ぬぼこを賜ひて、言依さし賜ふ。

あるとき、天にいる神々が相談し、伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことに命じました。
「この漂っている国をしっかりと作り固めなさい」と。
二人には「天の沼矛」という神聖な矛が授けられました。

かれ、二柱《ふたはしら》のかみあま浮橋うきはしちて、その沼矛ぬぼこおろしてきたまへば、しお許々袁々呂々こをろをりて、げたまふとき、そのほこさきよりれ落《お》ちたるしおかさなりてりししま、これを淤能碁呂島おのごろじまといふ。

そこで、二柱の神々は「天の浮橋」に立ち、授けられた矛を下に向けて海をかき混ぜました。すると、矛の先からしずくのように塩が垂れ、それが積もって「淤能碁呂島《おのごろじま》」という島ができたのです。

いてそのしま天降あまくだりまして、あめ御柱みはしら見立みたて、八尋殿やひろどの見立みたてたまふ。

ここにいも伊邪那美命いざなみのみことひて曰はく、「汝《な》がは、いかにりたる。」答《こた》へて曰はく、「我がは、成り成りてらぬところ一《ひと》つあり。」


二柱の神はその島に降り立ち、天の御柱を建て、大きな御殿を建てました。

そして、伊邪那岐命いざなぎのみことが妹神伊邪那美命いざなみのみことに問いかけます。
「あなたの体はどんなふうにできていますか?」
伊邪那美命いざなみのみことは答えます。「私の体には、できあがらない部分が一つあります。」

ここに伊邪那岐命いざなぎのみことりて曰はく、
は、成り成りてあまところ一《ひと》つあり。ゆえに、この我があまところを、汝《な》がらぬところふさぎて、国土《くに》を生成うみなさむとおもふが、いかに。」
「然《しか》に善《よ》し」と伊邪那美命いざなみのみこと答《こた》へたまふ。


伊邪那岐命いざなぎのみことは言います。
「私の体には、余った部分があります。この余りを、君の足りない部分に合わせて埋めることで、国を生み出したいと思いますが、どうでしょうか。」
伊邪那美命いざなみのみことはうなずいて、「そうしましょう」と答えました。

ここに伊邪那岐命いざなぎのみこと詔《の》りて曰はく、
「然《しか》れば、と、このあめ御柱みはしらめぐり逢ひて、美斗能麻具波比みとのまぐはひをせむ。」
かくのごとくちぎりて、りたまはく、
「汝《な》はみぎよりめぐり逢ひ、我はひだりよりめぐり逢はむ。」


そこで伊邪那岐命いざなぎのみことは言いました。
「では、私たちは天の御柱をそれぞれ反対の方向から回り、出会ったところで結婚の儀式をしましょう。」
そう約束して、それぞれ右と左から回り始めることにしました。

ちぎへてめぐとき伊邪那美命いざなみのみことさきに言ひて曰はく、
あなにやしああ、なんと、愛《うつく》しきを。」
後《のち》に伊邪那岐命いざなぎのみこと曰はく、
あなにやしああ、なんと、愛《うつく》しきを。」
ここに、りたまひて曰はく、
「女《め》の先言さきことは、からず。」


二柱の神々が柱を回って出会ったとき、伊邪那美命いざなみのみことが先にこう言いました。
「ああ、なんと素敵な男性なのでしょう。」
それに続いて伊邪那岐命いざなぎのみことも言います。
「ああ、なんと美しい女性なのでしょう。」

しかし、伊邪那岐命いざなぎのみことはこう言いました。
「女性が先に話すのは良くない兆しだ。」

しかれどもちぎりをなし、みたまふ子、水蛭子ひるこ
この子は葦舟あしぶねに入れて流し去りたまふ。
次《つ》いで淡嶋あわじまを生みたまふ。
これもまた、子の例《たぐひ》に入らず。


それでも二柱は儀式を終え、最初の子供を授かりました。
しかし、その子は「水蛭子《ひるこ》」という形が未熟な子供で、葦の舟に入れられて流されました。
次に「淡嶋《あわじま》」を生みますが、この島も完全な子供として認められませんでした。

ここに、二柱《ふたはしら》の神《かみ》、議《はか》りて曰《の》りたまふ、
「今《いま》、我らの生《う》める子は良《よ》からず。なお、天神あまつかみの御所《みところ》に白《もう》さむ。」
すなはち共《とも》に参《まい》り上りて、天神《あまつかみ》の命《みこと》を請《う》けたまふ。
ここに天神《あまつかみ》の命《みこと》を以《もっ》て、詔《の》りたまはく、
「女《め》の先言《さきこと》に因《よ》りて不良《ふよ》し。なお還《かえ》り降《くだ》りて、改《あらた》め言《こと》へよ。」


二柱《ふたはしら》は話し合い、「私たちの生んだ子供たちは良い結果ではなかった。天の神々に相談しよう」と決めました。
二柱は天に昇り、神々の指示を仰ぎました。すると天の神々はこう告げました。
「女神が先に話したことが原因だ。地上に戻り、儀式を改めて行いなさい。」

ここに、再《ふたた》び降《くだ》りて、再度《ふたたび》その天《あめ》の御柱《みはしら》を巡《めぐ》り、かつてのようにす。
このとき、伊邪那岐命いざなぎのみこと、先《さき》に言ひて曰はく、
「あなにやし《ああ、なんと》、愛《うつく》しきを。」
後《のち》に、伊邪那美命いざなみのみこと言ひて曰はく、
「あなにやし《ああ、なんと》、愛《うつく》しきを。」かくて、御合《みあ》ひ成《な》りて、子を生《う》みたまふ。
まず、淡道之穂之狭別嶋あわじのほのさわけのしまを生みたまふ。

二柱《ふたはしら》は地上に戻り、再び儀式を行いました。
今度は伊邪那岐命いざなぎのみことが先に、「ああ、なんと美しい女性だ」と言い、その後に伊邪那美命いざなみのみことが、「ああ、なんと素敵な男性だ」と返しました。

この儀式を終えて、最初に淡道之穂之狭別嶋あわじのほのさわけのしまという島を生みました。

次《つ》いで生《う》みたまふ、伊予之二名嶋いよのふたなのしま
この島は、身《み》一つにして面《おも》四つあり。
各々《おのおの》の面に名あり。
ゆえに、伊予国いよのくに愛上えかみ比売《ひめ》といひ、
讃岐国さぬきのくに飯依いひより比古《ひこ》といひ、
粟国あわのくに大宜都おおげつ比売《ひめ》といひ、
土佐国とさのくに建依別たけよりわけといふ。


次に二柱《ふたはしら》は伊予之二名嶋いよのふたなのしまを生みました。
この島は一つの体に四つの面があり、それぞれに名前がつけられました。
伊予国いよのくには「愛上比売《えかみひめ》」、讃岐国さぬきのくには「飯依比古《いひよりひこ》」、
粟国あわのくには「大宜都比売《おおげつひめ》」、そして土佐国とさのくには「建依別《たけよりわけ》」と呼ばれました。

次に生《う》みたまふ、隱伎之三子嶋おきのみこじま
またの名を天之忍許呂別あめのおしころわけといふ。
次に生《う》みたまふ、筑紫嶋つくしのしま
この島もまた、身《み》一つにして面《おも》四つあり。
ゆえに、筑紫国つくしのくに白日別しらひわけといひ、
豊国とよのくに豊日別とよひわけといひ、
肥国ひのくに建日向日豊久士比泥別たけひむかひとよくじひねわけといひ、
熊曾国くまそのくに建日別たけひわけといふ。


その後、隱伎之三子嶋おきのみこじまを生み、「天之忍許呂別《あめのおしころわけ》」とも呼ばれました。
次に筑紫嶋つくしのしまを生みました。この島もまた一つの体に四つの面があり、それぞれに名前がつけられました。
筑紫国つくしのくには「白日別《しらひわけ》」、豊国とよのくには「豊日別《とよひわけ》」、
肥国ひのくには「建日向日豊久士比泥別《たけひむかひとよくじひねわけ》」、
そして熊曾国くまそのくには「建日別《たけひわけ》」と呼ばれました。

次《つ》いで生《う》みたまふ、伊伎嶋いきのしま
またの名を天比登都柱あめひとつばしらといふ。
次に生《う》みたまふ、津嶋つしま
またの名を天之狭手依比売あめのさでよりひめといふ。
次に生《う》みたまふ、佐渡嶋さどのしま
次に生《う》みたまふ、大倭豐秋津嶋おおやまととよあきつしま
またの名を天御虛空豐秋津根別あめみそらとよあきつねわけといふ。
かくのごとく、先《ま》づ八嶋《やしま》を生《う》みたまふ。これを大八嶋国おおやしまのくにといふ。


次に伊伎嶋いきのしまを生み、「天比登都柱《あめひとつばしら》」とも呼ばれました。
続いて津嶋つしまを生み、「天之狭手依比売《あめのさでよりひめ》」とも名付けました。
次に佐渡嶋さどのしまを生み、そして大倭豐秋津嶋おおやまととよあきつしまを生みました。
これには「天御虛空豐秋津根別《あめみそらとよあきつねわけ》」という別名もありました。

こうして最初に生まれた八つの島々は、大八嶋国おおやしまのくにと呼ばれるようになりました。

次に還《かえ》りて坐《ま》し、吉備兒嶋きびのこじまを生《う》みたまふ。
またの名を建日方別たけひかたわけといふ。
次に生《う》みたまふ、小豆嶋あずきしま
またの名を大野手上比売おおのてかみひめといふ。
次に生《う》みたまふ、大嶋おおしま
またの名を大多麻流別おおたまるわけといふ。
次に生《う》みたまふ、女嶋ひめしま
またの名を天一根あめひとつねといふ。


次に二柱《ふたはしら》は、吉備兒嶋きびのこじまを生み、「建日方別《たけひかたわけ》」とも呼びました。
続いて小豆嶋あずきしま大嶋おおしま女嶋ひめしまを生み、それぞれに別名が付けられました。

次に生《う》みたまふ、知訶嶋ちかのしま
またの名を天之忍男あめのおしをといふ。
次に生《う》みたまふ、兩兒嶋ふたごのしま
またの名を天兩屋あめのふたやといふ。
かくして、吉備兒嶋きびのこじまより天兩屋嶋あめのふたやのしまにいたるまで、あわせて六嶋《むつしま》。


その後、二柱《ふたはしら》は知訶嶋ちかのしまを生み、「天之忍男《あめのおしを》」とも呼びました。
次に兩兒嶋ふたごのしまを生み、「天兩屋《あめのふたや》」という別名を付けました。
こうして吉備兒嶋きびのこじまから天兩屋嶋あめのふたやのしままで、六つの島々が生まれました。

いいなと思ったら応援しよう!