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日記メモ:やがて到来する時代


インターネットはコピーの時代
AIはそれらをサンプリングする時代


これら2つを並べて考えると
明らかにネット文脈、つまりメディアの流れの中に
必然的に生まれてきたことがわかる。

インターネットの特性は通信じゃない、
あらゆる場所で様々なものが複製される点にある。
zoom会議も映像が自分とあなたのパソコンで複製されてコピーされているのだ。これは通信ではなくコピーの作用も持っているはずだ。つまり、現実を複製するデータ化するということにおいて。

データの音楽、文章、映像。再生する媒体の違いはあれど体験は同じ。それらの振り戻してのオールド再生メディアの流行、レコード、カセットテープ、ZINE、フィルムカメラ、古いデジカメ映像に何か神秘性を見出すのはデータ化しづらいから。しづらいだけで可能なのがポイントだ。記録メディアの普及と氾濫するデータの製造、記録という側面も持つ。記録自体もコピーである。スマホのこと。

こうして人々はインターネットに現実(オールド媒体含む)を複製し、データとして貯めていくことになる。おそらく無意識に。その方が便利であるという理由で。

それは何も娯楽だけではなく、個人の情報や人間の特性も。そして、それらをビッグデータと呼ぶ。

そして、思考するように見せるプログラム、つまりAIはその膨大なデータ化された現実をサンプリングして、新たなようなものを生み出すマシンだ。つまりHIPHOPである。それは人間の創作過程とほとんど同じ。だから調べ物じゃなくAIが向いているのは創作なのだ。

そんな新しいようで古いビートにリリックを乗せて、新しいものにラッピングして売り出していく。そういったモノになっていく。

だからAIの恐さはそこにはない。
ジャンルとしてのAIに過ぎないから。

問題はやがて到来する時代において。全ての創作物が
それがAIであるか人間であるかわからない猜疑心にあると思う。隣人が人間か人間では無い何かか疑う必要があるということ、そのコストを支払うことになることだ。そして、そのコストを放棄することは人間としての尊厳に繋がっている。だからAIは恐い。

サンプリングの時代の後、創作はどうなっていくのだろう。答えは多分ある、次はサンプリングのサンプリングの時代になっていくはずだ。人間の音楽はすでにそうであると思う。

元々の文脈の喪失と新しい価値の付与。
世代の移り変わりと忘却にヒントがある気がする。
だけど、複製された現実のコピーは忘却を拒む。
サイクルは失われて、流れが淀み止まる。
それでも人は創作をする。作らずにはいられない。
暇だから、現実には必ず飽きるから。
アリの巣の観察者になりたいから。


終わり

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