孤独は他人で埋められない
先日、お笑いジャーナリストのたかまつななさんのYouTubeチャンネルを拝見した。
テーマは『家族』。
同じくお笑いタレントの青木さやかさんをゲストに迎え、青木さやかさんと母親の関係、そしてシングルマザーとしての今の自分についてのお話をインタビュー形式で語る、20分ほどの動画だった。
私はずっと、自分の母親を毒親と呼ぶことに抵抗を感じていた。
視野を広げれば、周りには自分よりもっと不幸なネグレクトを受けているような子供たちはたくさんいるし、視野を狭めれば、あんな風に育てられたくなかった、もっと愛を感じたかったと考えてしまう。
いったい毒親とはどこからどこまでを毒親というのか、被害者側の子どもが決めていいのか、第三者が客観的意見から決めるべきなのか、
よくわからなくて、母親との関係で悩んでいることを簡単に人に話せなくなってしまった。
でも少なからず今も、母親から受けた心の傷はうずいていて、
例えば、幸せそうに食事をする父母子どもが揃った家族を見ると、なぜあんな幸せそうにいられるんだろうと不思議に思うし、母のような親になることが怖くて結婚願望も家庭を持つ願望ももてない。
友達に対しても恋人に対しても、
どんなに親しくなってもいつかこの関係は壊れてしまう。いつか終わりのくる関係。そう割り切って付き合うことしかできなくなってしまった。
誰とどんなに仲良くなってもずっと孤独で、でも、いつか埋められると思って、その孤独を埋めるために、人に気に入られたくて、人に嫌われたくなくて、生きるのが苦しかった。
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たかまつななさんと青木さやかさんの動画の中で、私に一番響いた言葉は
『結婚しても孤独は埋まらなかった。埋められるって私も信じてたけど。』
この言葉だった。
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青木さやかさんはいわゆる毒親のような母親にいつも怒られて育てられ、常に孤独を感じていた。数年前までご結婚されていて、現在はシングルマザーであるけれど、結婚と離婚を経て、自分の孤独は他人では埋められないと気づいたという。
母親に褒められたことがない、だから自己肯定感が低かった。
でも、子どもを産んでから、そのせいで”子供をただ愛する”ということができなかった、これじゃダメだ。そう感じてから、生きなおそうって思ったの。
母親の病気が見つかって寿命を宣告されたこともあったし、今までの記憶を全部捨てて、母を嫌いだ、という思いを忘れて、今日は今日、ゼロから関係をスタートさせてみよう、そう思ったらすごく楽になった。
と、青木さやかさんは語っていた。
(私が要約してしまっているので正しくはきちんと動画を見ていただきたいです。)
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私も本当は家族を持ちたい。子供を愛せる自信を持てたら子供も産みたい。
幸せになれるのならばなりたい。
大切な人を失う恐怖におびえるより、大切な人を信じて生きていけるようになりたい。
そのためにはずっと、
最適な人に出会うことだけが条件だと思ってた。
でも違う。周りに求めすぎてた。
きっと今のままの私じゃ、誰とどんな関係を築いても
その関係が壊れるのが怖くてまた自分から身を引いてしまう。
だから、孤独は自分で埋める。
逃げないで母と向き合ってみよう。
そしてこれからは、自分の母親を「毒親」だと認めようと思う。
母がもしこれを読んだら悲しむかもしれない、もっと不幸な人もいるよって思われるかもしれない、でも私は、母を「毒親」と思えない限り、
母とうまくやっていけない自分を責め続けて生きることになると思うから。
だから、楽に生きるために、過去の母親を「毒親」に、
今日の母親を「お母さん」として考えることにした。
わからないけれど、
私と同じように、強い親をもったおかげで自分が死ぬほど弱く見えて、
この気持ちは、幼稚な自分が生み出した親への反抗心なのか、
それとも声にならない自分の心の叫びなのか、
わからない人がほかにもいるのではないかなぁと思う。
私もまだ、分からないことだらけだけど
すべての人が自分の人生を楽に生きていいように思う。
家族は選べないから。
どんな状況の中でも自分を大切にしてほしい。
あなたは何も悪くない。
そう思った。