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ダンゴムシ

 類は友を呼ぶとはよく言うもので。

 21年も生きていると、周りには同じ匂いのする友人ばかりになってくる。

 生真面目でインドアで、ふた捻り半くらい性格が曲がっていて、幸せ者の揚げ足とりに命を燃やす、陰湿でダンゴムシのような人達だ。

友人をダンゴムシ呼ばわりなんてと思うかもしれないが、ダンゴムシも尊厳ある命。
そういった人間中心主義的思考はアニマルライツに反するので悪しからず。

 まぁ気分は良くないだろうけど。
大好きだから許してくれ。

 そんなダンゴムシ達がひとたび集まると、お洒落な喫茶店でも小汚い居酒屋でも深夜の公園でさえもきまって討論がおこる。討論といってもそんな高尚なものでなく、日々の談話の延長線のようなものだ。

  議題は宗教思想や時事、ジェンダーなどアカデミックなものもあれば、好きな夕食のおかずや、理想のデートなど低俗なものもある。

   私はこういった類の討論がたまらなく好きだ。
どんなにいい加減な人間であっても、20年も生きていたらそれぞれの哲学がうまれる。小・中・高・大学で積み重ねた知識と身に染みた経験が自己を形成するのだ。

 討論ではそれぞれ胸に抱える哲学の側面を覗ける。

現に今、目の前では2人の男が氷の溶けきったお酒を片手におっぱいとおしりどっちが好きかを語っている。

 内容に関して、居ないであろう女性読者に配慮して言及はしないが、なかなか面白いものだ。
ロジックで訴えるA氏と感情論で訴えるB氏。
そしてニヤニヤしながら キンキンに冷えたレモンサワーを煽る俺。全てが完璧なのである。

討論では内容に対する批判はするが、絶対に相手を否定することはない。

互いの哲学がぶつかり合い、研磨されることでより自己の理論に強みと深みがうまれるのだ。

ちなみにお前はどっち派かと聞かれた時、
「俺はおっぱいでもおしりでもなく膝裏だ。」
と言ったらぶん殴られた。

 討論というのはある程度相手の主張が理解できないと起きないのである。

きっと戦争が無くならないのもこういうことなのだろう。

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