見出し画像

読んでいなくて後悔した劇的な書「シェイクスピアのアナモルフォーズ」

「アナモルフォーズ」という単語はどの程度一般的なものなのでしょう。
日本語では「歪像画」といういささかなじみのない訳語があてられたりするのですが、正面からみるとひずんでいて正しく見えないけれど、横や斜めからみると歪みが修正された絵柄がはっきりみえる絵画やその技術をいいます。15世紀末頃から見られる技法で、わざとゆがませる視覚的な遊びということができるのですが、絵柄は様々で、エロティックな画像を正面から見えないようにしたものや、君主などの肖像がこっそり隠してあったりいろいろな作例が残っています。

そんなアナモルフォーズを使った絵画の代表例の一つにホルバインの「大使たち」という作品があります。

おそらく見たことがある人も多いのではないでしょうか?
二人の大使が立っており、その背後の棚にはいろんなものが置かれていて、その足下にはその絵の雰囲気とは全く異質な妙なゆがんだ図像が描かれているというものです。このゆがんだ図像は斜め上方から見ると、髑髏であることがわかり、その意味は「死を想え(メメント・モリ)」であり、この絵に描かれた二人の大使も若くして世俗の頂点にあたる地位にいるが、その絵を横からみれば、その二人の姿はなくなり髑髏が浮かび上がることで、そんな二人にも死が訪れる、ということを象徴している、というのは、結構知られています。

で、今回紹介する本は英文学者の蒲池美鶴「シェイクスピアのアナモルフォーズ」です。
アナモルフォーズについて専門的に書かれた日本語で読むことのできる本といえば、今までユルギス・バルトルシャイテス「アナモルフォーズ 光学魔術」くらいしかないような状況でした(より広く、だまし絵としての本なら種村季弘氏の本谷川渥氏の本があります。最近出た谷川氏の本は面白い)。そんな中、この本ではアナモルフォーズを絵画だけでなく戯曲という、視覚、聴覚のアナモルフォーズとして捉えて、ルネサンス期のマニエリスムと関連づけて論じるとても貴重な本となっています。

この本の冒頭の一章は、この「大使たち」の絵画の読み解きに費やされていますが、なんと上に述べたような、よく知られた内容以上の見方がこの髑髏と、そのアナモルフォーズにはある、ということを示してくれるのです!
著者はこの絵の見方を新たに2種類提示して、どんな意味が込められているのかを明らかにしていきます。まず一つ目は、髑髏の図柄の斜め上あたりに凸面鏡を置くことでその中に髑髏をきれいに結像させたときに、その髑髏に向かう3本の線を絵画上に見つけだし、その線上に描かれた物に意味があることを示します。 たとえば、線の一つは棚の上の弦の切れたリュートを横切り、モデルの一人の首のあたりを通過して、背後のカーテンの陰にかくれたキリストの十字架像にたどりつきます。弦の切れたリュートは調和の破綻または死を表し、隠れた十字架も死後の救済を示すといった具合なわけです。
さらにもう一つの見方は髑髏の位置に円筒形のガラスをかざすことで髑髏を結像させると、絵画上の天球儀、地球儀、髑髏という三つの球体が一直線にならび、天地人、ひいてはルネサンスの自然魔術、神聖魔術を支える根本原理を示すというものです。そして、新しくできた直線と元のゆがんだ髑髏はきれいな十字を描き、薔薇十字団を示すのではないかというのです。

たった一枚の絵、そしてそこに描かれたゆがんだ髑髏、そしてそれを見るための3種類の方法、そしてそこから読みとられる様々なメッセージ、こんなめくるめく内容がたった20ページ程度の論文として書かれている驚異を感じてしまいます。

この本は2000年のサントリー学芸賞を受賞しているのですが、今まで読んでいなかったのを大後悔してしまいましたよ。まるで魔術のように、この「大使たち」に限らず、ルネッサンス期の戯曲などに隠されたメッセージが解き明かされていくのですから。
冒頭のホルバインの「大使たち」が視覚による多重メッセージを込めたアナモルフォーズだったとするなら、この章以降には、今度は言葉を使った様々な多重メッセージが、ルネッサンス時代の戯曲、後半ではシェイクスピアの戯曲を題材にいろいろ示されていきます。

これも具体的に例を挙げておきましょう。
クリストファー・マーロウが書いた戯曲「フォースタス博士」のある1行が第2章では題材となります。

That Faustus may repent and save his soul.
O lente lente currite noctis equi!
The stars move still, time runs, the clock will strike,
フォースタスが悔い改め、魂が救われるよう。
ああ、ゆるやかに、ゆりやかに駆けよ夜の馬!
それでも星は動き続ける、時は流れ、時計が打つだろう。
(19場141~143行)

この英文の中に挟まれたラテン語の1行です。
著者はこの戯曲が様々な階層の観客が集まる場で演じられることを前提に、

1 このラテン語の引用がオウィディウスの「恋愛詩」からであることがわかる、大学や法学院で学んだ知識階級や、個人教授をつけた貴族など
2 ラテン語の教育を受け、ラテン語らしいことはわかるけれど、何の引用かまではわからない観客
3 観客の大部分を占めたであろう、平土間に1ペニーを支払って演劇を楽しみに見に来る、ラテン語はおろか英語の読み書きもおぼつかないかもしれない人々

この3種類の観客、それぞれにあててマーロウはメッセージを届けているのだといいます。引用元を知っている人々から、それが全く意味不明な異国の言葉にしか聞こえない人々まで、それぞれこのせりふを聞いた時にどのようなイメージが結ばれるのかを詳細に検討していくのです。異国の意味不明の言葉としか思えない人々だからこそ連想するであろう、この場と音から導き出されることといったら!
いやぁ、面白い。。。

この章の後にも、当時の戯曲にみられた仮面劇に隠された複数のメッセージだるとか、戯曲の主役が意図的に間違った発言をすることによってなにを伝えようとしているのか、と、スリリングな話が続き、後半はシェイクスピアのソネットと戯曲が題材となります。

まず、はじめに取り上げられるのはシェイクスピアのソネットです。
ソネットの24番は古来から様々な文学者、評者が意味がわからない、または、イメージがぶっとびすぎていてわかりにくい、といってきたものなのですが、著者はそれをシェイクスピアがある絵画、それもアナモルフォーズを使った絵画を具体的に見たために、そこから連想して作ったものなのだといいます。たしかにすごい説得力であると同時に、どうして今までの学者がそのようにはあまり主張してないの?って感じではあるのですがw
このほかにシェイクスピアの戯曲としては「リチャード2世」「トロイラスとクレシダ」「マクベス」「冬物語」などが題材としてその中で描かれたメッセージと、その裏のメッセージをアナモルフォーズとして明らかにしていきます。
特に「冬物語」のヒロインであるハーマイオニの冒頭での性格描写から、終わりに至って聖女のごとく再度現れるときまでの経過での細やかな象徴とその示す多重のメッセージの分析にも圧倒されます。

マニエリスムについては、澁澤龍彦、種村季弘、松岡正剛、高山宏、若桑みどりといった人々が今までも触れ、紹介してきていますが、それとアナモルフォーズを合わせてここまで見事に分析してみせた本はなかったように思います。絵画だけでなく、文学作品における音、文字としての多重性を見事に解き明かすところは、まさに読み解くってこういうことなんかしら、と感動してしまいます。

とにかく、こんなすごい本を読みすごいしていたなんて!

という気分いっぱいで、この本は紹介させていただきました。
本当にすごい本です。

(了)
本文はここで終わりです。
もし奇特な方がいらっしゃいましたら投げ銭していただけるとうれしいです。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?