見出し画像

こんぶさんと山種美術館(こんぶさん、一歩踏み出して下さって、ありがとう!)

メールボックスに「ユーザーからお問い合わせが来ています。」の件名を見た時に、私、Noteに何かまずいことでも書いた?!、とビビった。
メールを開いてみたら、(ものすごく端折っていうと)「お会いしましょう!」のお誘いだった。
あまりに嬉しくて、PCの前で、さてなんてお返事しよう、と頭の中が真っ白になった( *´艸`)。

ドキドキの初ご対面の場所は「山種美術館」の「Cafe 椿」。
「東山魁夷かいいと日本の夏」(2024年7月20日(土)~9月23日(
(月))の展示会をそれぞれで見た後、館内の「Cafe 椿」で落ち合うこととなった。

訪れた日は、平日、雨模様の午後。会期終盤とはいえ、平日&雨なら人出は少ないとふんでいたら、結構な人出。流石、東山魁夷&山種美術館。

印象深かった絵のご紹介


「緑潤う」東山魁夷 1976(昭和51)年

この絵だけが、撮影が許された。

「緑潤う」東山魁夷 1976(昭和51)年

絵画を紹介するときは、その絵だけをアップするとその絵の大きさが伝わりにくいので敢えて、人を配して撮影。その絵の大きさによって、絵から受ける印象ってホント違うので。
この「緑潤う」は東山魁夷の連作「京洛四季」の夏。
この絵の右に春である「春静」
左に秋の「秋彩」、冬の「年暮る」
が展示されていた。
この4枚ともが一度に目に入るように、引きで見る。連作というだけあって、それらの連なり、4枚全部から受ける美しさに自分の感性を浸す心地よさを味わう。

「年暮る」東山魁夷 1968(昭和43)年

「年暮る」東山魁夷 1968(昭和43)年
画像はGoogle Arts & Cultureからお借りした
https://artsandculture.google.com/asset/end-of-the-year/1gHczEm4CGjXAg



「海」奥村土牛 1981(昭和56)年

鴨川の海を描いた92歳の時の作品。
奥村は大好きな画家の一人で、彼の絵に対するこの姿勢に惹かれた。

80歳を超えてなお「死ぬまで初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい」、「芸術に完成はあり得ない」、「どこまで大きく未完成で終わるかである」と語り、画業に精進し続けた土牛

山種美術館

後世に名を残す偉業を成し遂げた人ほど、謙虚だ。「どこまで大きく未完で終わるか」だなんて、武田双雲に書いてもらって額装したくらいの名言。


「朝市の女」奥村土牛 1969(昭和44)年

朝市で魚を売る女性の、かすりの藍色から目が離せない。
山種美術館で、この絵好き、と思うと奥村土牛だったり、小倉遊亀だったりする。


「枇杷と少女」奥村土牛 1930(昭和5)年

奥村土牛の絵の中では一番好き。奥村土牛の絵が大好きになったきかっけの絵。

だいぶ以前に買った絵葉書。黄ばみつつある。



「四季奥入瀬 瑠璃」石田武 1985(昭和60)年 個人蔵

作品名に「瑠璃」とあるだけあって、それはそれは美しい瑠璃色と緑色のハーモニーだった。苔の緑色は触ったらその手ざわりが伝わってきそう。色のハーモニーもさることながら、私が目が釘付けになったのは、絵の右下に描かれていた「鳥」。素人が何をいうだが、この鳥がいるかいないかによって、この絵の躍動感と締まり具合が段違いだと思った。
絵葉書があったら絶対買っていた1枚だが、悲しいかな絵葉書がなく。個人蔵だと絵葉書化は厳しいのだろうか。


「早乙女」川合玉堂 1945(昭和20)年

画像はGoogle Arts & Cultureからお借りした
https://artsandculture.google.com/asset/young-ladies-planting-rice/ygF0ehehfslfjw
「この素朴な農場の風景は、戦時中に描かれたとは思えない静けさがあります。」

玉堂が、第二次世界大戦中に青梅に疎開した翌年に描いた一枚。
川合玉堂の美術館「玉堂美術館」@東京都青梅市は、庭園の美しさでも有名。今年中に、付近の散策もかね1泊で訪れたいと思っている。


「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」歌川広重 1857(安政4)年

夕立にみまわれた人々が、大はし(両国橋の下流に架けられた「新大橋」)を走り去ってゆく。その橋の下を一そういかだが越えてゆき、対岸の安宅あたけは雨にけむっている。高い視点から構成された本図を、後年ゴッホが模写している。

文化遺産オンライン

左が歌川広重の絵、
右が、夫がオランダのゴッホ美術館で購入した、ゴッホによる模写「The bridege in the rain(after Hiroshige)」1887年の絵葉書。夫が「たまたま」買ってきた絵葉書。こうして並べて楽しめる日が来るなんて、夫、偉い!

安宅:江戸時代、江戸深川御船蔵前片側町の俗称。正徳(1711~16)の頃、この地に水茶屋ができ遊び場となったが、江戸岡場所の一つで、俗に安宅長屋と呼ばれた。

「蛍」小林古径 1912(明治45)年

画像は文化遺産オンラインからお借りした
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/238308

牛車の中にいる女性の姿をひと目見ようと、蛍を放って気を引く源至みなもとのいたる。この絵は『伊勢物語』第39段をテーマに描かれた。「源氏物語」の第25帖「蛍」でもこのいたずら心が使われている。


「夕顔」森村宜永よしなが 1965~1988(昭和40~63)年頃

「源氏物語」の「タ顔」の帖に取材した作品。「夕顔」と言えばやはりお約束の、扇の上に夕顔の花。


「涼」小倉遊亀 1973(昭和48)年

着物姿の女性の青、傍らにある花器と活けてある花、花器がのせてあるたぶん漆塗りなんだろうがお盆が美しかった。


さて、いよいよこんぶさんとのご対面。
待ち合わせの直前に、服装をテキストメールで連絡しあって、すんなりお互いを認め合った!
「はじめまして~」
Noteに私が書いていることは、美術館巡りと読書とコンサートがほぼほぼ。心情の深いところまで書くことはほとんどないが、それでも自分を表現していることにはかわりない。私が美しいと感じるものや心地よいと感じるものへの私の感性は、こんぶさんの方が家族よりよほど知っていらっしゃる。そのような方と会うのはすごく照れくさかった( *´艸`)。

【Cafe 椿】

和菓子 お茶セット 1,250円(税込)

私が選んだのは、

横山大観「夏の海」をイメージした「潮風」

こんぶさんはYoutubeで「昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio”」もやってらして、聞いたことがあるので話しぶりや声は分かっていた。だから、会話が始まっても、あまり初めまして~の感がなかった。

「虎に翼」が最近面白くない、
「源氏物語」の実写版だったら、誰が光源氏?
「役所広司」の映画、
こんぶさんの生徒さんのお話、
奇しくも出身県が同じだった!、、、
話が尽きない。

RadioやNoteから受ける印象そのものの、穏やかで、そして自分の核がしっかりある方だった。
美術館で会う選択肢の他に、レトロな喫茶店でのランチ、バーでカクテル、などもご提案頂いた。
こんぶさん、全部実現させましょうね!

この日のこんぶさんからの視点はこちら!↓

見出し画像をこんぶさんと合わせてみました。Before & Afterですね(#^.^#)

いいなと思ったら応援しよう!