【エッセイ】どんど焼きの思い出
「どんど焼き」は毎年、小正月(こしょうがつ)の1月15日前後に、河原や田んぼなどで、竹や木の棒でやぐらを組み、そこで正月飾りのお焚き上げをする行事です。
みなさんがお住まいの地域では
「どんど焼き」をする習慣はありますか?
わたしの実家がある静岡県伊豆ではありまして
小学生の時、毎年参加していました。
地域によって色々かと思いますが、わたしの地区では、1月15日に近い日曜日の早朝、大人と子供が集まって、河原で行っていました。
どんど焼きのためのやぐらはこの日のために大人が数日前から準備してくれていました。
(結構背の高い立派なやぐらだったので、今思うと組んでた大人たち、すごい!)
子供たちは大人と一緒に地区のお家をまわって、お飾り集めをしました。
「縁起物を焼いた煙で体を清める」
「今まで守ってくださったお札やお守りに感謝する」
「お正月に来てくださった年神様が空へ帰っていくのをお見送りする」
「"五穀豊穣"や"無病息災"を祈る」
などの意味があるという、この習わし。
わたしのところでは、"書き初め"を燃やして高く上がると習字が上手になるなんていう、お話もありました。
今でこそ、こういった行事の由来などが気になって調べたりするわたしですが、当時はただ「そういうものだから」と大人に言われるがままに、寒い中、眠たい目をこすりながら、しぶしぶ行っていました。
そんなわたしの楽しみといえば、どんど焼きに持っていくお団子の準備と、どんど焼きが終わった後、みんなで河原で食べるカップラーメンでした。
みなさん、お気づきでしょうか?
わたしは子供の頃から生粋の食いしん坊だったんですね(笑)
お団子は毎年、自宅で母と一緒に作っていました。
材料はだんご粉、お湯、そして食紅。
わたしは食紅を混ぜて、真っ白だったお団子の生地が色とりどりに変わっていく、あの様子を見るのが大好きでした。
淡い色が好きなので、本当は食紅をもっと少量にしたいのに、難しくていつも濃い色のお団子ができあがっていました。(食紅って本当に少量でよく色がつくんです。)
お団子をつける木の棒を用意するのは、いつも器用な父の仕事。庭で太さがちょうど良く、枝の多い木を選んで、危なくないようにちゃんと処理をしてくれていました。DIYが得意な父、ありがたや!
出来上がったカラフルで小さなお団子たちが、木の実みたいに木になっているような姿も可愛くて好きでした。
当日、それを河原まで持って行って、焚き火で焼いて食べます。
かわいい色のお団子たちを焦がしすぎないように焼くのは至難の業。
アルミホイルをお団子に巻いて、大事に焼いている人もいたと記憶しています。
実家では普段、カップラーメンを食べるということがありませんでした。
なので、わが家では本当に、このどんど焼きの日だけがカップラーメンを食べる唯一の機会と言っても過言ではありません!
冬の寒い早朝、河原で焚き火にあたり
白い息を吐きながら食べるカップラーメンは
小学生のわたしにとって、この上ない贅沢なごちそうだったのでした。