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草履を売る少年~「長谷雄草紙」に見る少年と商いの光景


はじめに

縦書き・横スクロールで無限の空間が用意できるウェブサイトならば、本来の絵巻物の見方が可能ではないか。そう考え、「横スクロールで楽しむ絵巻物」というウェブサイトを制作しました。このノートでは、本来の見方で絵巻物を眺め、発見した魅力を書いていきます。

絵巻物に見られる「市」の賑わい

絵巻物を眺めていると、市の賑わいの光景に目が留まります。「直幹申文絵詞」には文章博士・橘直幹(たちばななおもと)家の裏手にある市の風景が賑やかに描かれています。また絵巻ではありませんが「扇面法華経冊子」という扇面画(せんめんが)にも、市の風景が描かれています。

現存する最古の絵巻である「源氏物語絵巻」には、寝殿造内部で生活する貴族の生活だけが描かれていましたが、それ以降、物語とは直接関わりのない庶民の生活が盛んに描かれるようになります。「直幹申文絵詞」の筋書きには、市のことは一言もでてきません。臼を搗く二人組や、商品の取り引きをする行商、琵琶法師や巫女が描かれていますが、本編とは何の関わりもないエキストラなのです。

絵巻物に描きこまれた庶民の風俗は、古くから民俗学者の関心の対象となってきました。渋沢栄一の孫、渋沢敬三氏は、実業家であると同時に民俗学に大きな貢献をしましたが、彼が生涯をかけて実現しようとしたことの一つが、絵巻物に描かれている民俗的事象を事典のように「絵引き」にしようというものでした。

字引と稍似かよつた意味で、絵引が作れぬものかと考えたのも、もう十何年か前からの ことであつた。古代絵巻、例えば信貴山縁起、餓鬼草紙、絵師草紙、石山寺縁起、北野天神絵巻等の複製を見て居る内に、画家が苦心して描いて居る主題目に沿 つて当時の民俗的事象が極めて自然の裡に可成の量と種目を以て遇然記録されて居ることに気が付いた。

「絵引きは作れぬものか」- 渋沢敬三 | 渋沢栄一記念財団

彼の構想は生涯をかけて果たされ、『絵巻物による日本常民生活絵引』全五巻に纏められています。

また、民俗学の巨匠、宮本常一氏も絵巻物に大きな関心を寄せ、『絵巻物に見る日本庶民生活誌』という新書を遺しています。些細な風俗描写から民俗学的考察をふくらませていて、民俗学の視点から絵巻を見る面白さを教えてくれる一冊です。

草履を売る少年 

『鬼のいる光景 ー「長谷雄草紙」に見る中世ー』(楊 暁捷 著 角川叢書)は、「長谷雄草紙」を当時の鑑賞者の視点から読み解くという稀有なテーマを扱った一冊です。重要文化財に指定されている「長谷雄草紙」には、長谷雄と鬼が朱雀門で双六の勝負をするシーン、鬼から贈られた美しい女が溶け出すシーンなど、論考の対象になりそうな場面が数多くあります。そんな「長谷雄草紙」にも、本編とは直接の関わりがない、「草履を売る少年」が登場します。

草履を売る少年(「長谷雄草紙(摸本))

草履を売る少年が登場する「街角」は、長谷雄が男に扮した鬼に連れられて朱雀門に踏み出そうとする先に登場します。詞書にはただこうあります。


牛車にも乗らず、従者どもも連れずに、この男の後について歩き、朱雀門のところまで辿りついた。

第一段 見知らぬ男、長谷雄卿に双六をいどむ
  | 長谷雄草紙(摸本)

長谷雄が踏み出そうとする先には、店を切り盛りする少年がいて、店先には草履が吊り下げられています。この他にも、赤子をおぶった女性や、荷車につながれ子供にいじめられている猿、無帽で上半身が露出した大男や、酒売り(油売り)が描かれています。いずれの登場人物も、詞書には登場せず、さまざまな解釈を呼ぶシーンです。

『長谷雄草紙』第一段(後半)(『鬼のいる光景』より)
『長谷雄草紙』第一段(後半つづき)(『鬼のいる光景』より)

楊氏は、店先に並べられた「草履と魚」に注目して、論を展開します。「草履と魚」のセットは、絵巻物で描かれた市では、よく見られる光景でした。先に触れた「直幹申文絵詞」には、草履と魚がペアで売られていますし、一遍上人絵伝などにも類例が見られます。魚や草履は店先に吊るされ、鑑賞者の目に入りやすいよう、誇張気味に描かれます。

中世において、庶民が草履をはくことは、必ずしも日常的な習慣ではありませんでした。宮本常一氏によると、中世どころか、昭和20年代まで、裸足で生活する庶民が多かったそうです。絵巻物を見ても、「伴大納言絵詞」で応天門の炎上に駆けつける群衆の多くは裸足です。

楊氏は『一遍上人絵伝』巻6の一遍上人が三島社を訪れる絵に、草履の意味が隠されていると指摘します。鳥居前の参道には一軒の「草履専門店」があり、参詣に向かう人々に草履を手渡しています。

草履という売り物は、参詣などの、やや日常から離れたところにいる人々に必要なものだとの説明が成り立つ。したがって草履のある店は、賑やかな市のある店のなかというよりも、旅人が往来する道のなかによく作られたのかもしれない。

『鬼のいる光景 ー「長谷雄草紙」に見る中世ー』 p73
通行人に草履を勧める(『鬼のいる光景』より)

このとき物語の主人公である長谷雄は、鬼の挑戦をうけ朱雀門で双六をするために、日常と非日常のあわいに立っていたのでした。少年が切り盛りする店先に吊るされた草履は、異界への入り口を演出するアイテムとしてふさわしいと判断されたのかもしれません。道中の屋根から伸びる「柱松」は、京の都が夕暮れに差しかかっていることを暗示しています。いっけんほのぼのとした光景に見える「草履を売る少年」が、暮れなずむ京の街角で、幽明へと長谷雄を誘う暗示的な構図に思えてきます。

おわりに

先述したように、絵巻物には本筋とは関わりのないように思える、市や街角、庶民の風俗が多く登場します。それらは、当時の風俗を描いた貴重な資料であると同時に、製作者がある意図を持ち、物語の演出のために選んだと考えることができます。「草履を売る少年」から、民俗的な解釈も図像的な解釈も引き出せるのです。

まだまだ絵巻物には謎が潜んでいます😊

長谷雄草紙(摸本) | 「横スクロールで楽しむ絵巻物」

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