![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/140107797/rectangle_large_type_2_965e638696c4e51ed7e1a6025eae8cb9.jpeg?width=1200)
喜びは人工物?
ちょっと間が空きましたが、本日は「喜びっていうのは人工物なのかも知れない」と感じたお話をしてゆきます。
よく表現として「幸せ探し」や「幸せを手にする」なんてものがありますが、最近のえんじろうはこの言い回しは違っていると感じるようになりました。ではどうぞ。
幸せなんて物はない!
僕は不幸な人生を歩んでいて、幸せなんてものを見たことがないという話で貼りません!言いたいことは「はい、これ幸せです」という感じでパッケージされてそこらに置いておけるものではないという意味です。
何かの事象に遭遇し、その時にあなた自身が「感じる」ものが幸せなわけです。つまり受け手によってはそれは不幸な出来事なのかも知れないのです。受け手がその価値観で判断して初めて「生まれる」のが幸せだと思うんですね。だから落ちてもいないし、歩いていて直接幸せにぶつかるようなこともないのです。
判りやすい幸せとは?
![](https://assets.st-note.com/img/1715292279011-XMODWDOLDC.jpg?width=1200)
こちらは浜松駅メイワンにありますとんかつの「和幸」というお店のとんかつ定食です。
人の欲求に直結している食事は、割と多くの方に共通の幸せかと思います。でもこれだって、お金の価値基準が僕と違う人にとっては「これで幸せなんて可愛そう」となるかも知れません。とんかつが嫌いな人、断食中の人にとっては、むしろ「こんな写真見せられたせいで不幸になったじゃないか!」と怒られるかも知れません。
きっかけはきっかけ
結局何を食べたかはきっかけに過ぎず、食べたいなと思った時に食べたいなと思ったものを食べられたということが幸せなんだと思いました。つまり実際に提供された食べ物は「幸せそのもの」ではなく「感じるきっかけ」なわけです。ならば「お腹が空いたなあ」も、この幸せにとってはきっかけの1つというわけですね。
幸せの総量
この「願って叶う瞬間」は、便利になった現代だからこそ本当にたくさん存在していると、あなたは思いますか?江戸時代ではどうでしょうか?狩猟をしていたような時代ではどうだったのでしょうか?
僕は今と同じ程度に感じていたのではないかと思っています。
幸せは数字で数えられるものではないと思います。絶対値ではなく相対値。そして音波のような波なのではないかとも思うんです。
幸せ方向に+1動くためには-1のきっかけが必要。+30ならば-30が必要。お腹が空いたなあが-1のきっかけで、だからこそとんかつ定食が+1の幸せに思えた。うーん数値の意識は必要ないのかも知れないけれど。
幸せ創作
![](https://assets.st-note.com/img/1715293372351-9LdUOfNQkY.jpg?width=1200)
そしてようやく本題です(今までのはなんだったんだ?)
先日レッスンに出かけて帰ってきた時、通り道にヤマトの車が留められていて、当たらないように気をつけなきゃと思いながら、ちょっとだけ「まったくもう」という気持ちで歩きました。
部屋に戻って自分のポストを見ると、そこには「不在票」が入っていました。
ちょっと前の配達でも自分が予定を変更してしまったせいで再配達になったケースが有りました。配達員さんに迷惑かけてしまうし、自分も何度も調整しなければならない煩わしさがあるので、不在票を手に急いであの車のいた場所に駆け戻ってゆきました。
産まれる笑顔
近所の家を回っていたのでしょうか?結構車の近くで待ち続ける僕。宅急便を「出待ち」したことは人生始めてで、ちょっとドキドキしつつも早くもワクワクする気持ちがありました。ワクワクが勝っていたのは、配達員さんが手間が減る行為をしているのだから、嫌な気分にはならないはずと思っていたからでしょう。
ようやく戻ってきた配達員さんは、僕が駐車に対して文句でもいうと思ったのか、やや構えるような空気を感じましたが、不在票を見せて「この荷物ってありますか?」と尋ねると、声に笑顔が出てきました。
無事荷物も受け取ることができ、配達員さんもニコニコしながら次のお仕事に去ってゆきました。
今ここに、不在票もいらないただ無事に配達された時以上の幸せが誕生したのです。ただそのために普通に配達された時以上の手間やリスクもなかったわけじゃありませんから、浮かれるとそこを忘れがちですよね。
うん、やっぱり音楽と同じで波の世界なんだと思います。
幸量計
幸せと不幸は背中合わせの対になっている。それはもうオセロのコマと同じで、両面なければそれである時言えないくらいの関係。これは陰陽の関係とも同じですね。
そしてえんじろうは思うんです。幸せや不幸の振れ幅は小さいものが数多くある方が素敵だなと。自分の器で受け止められる範囲に収まる振れ幅が続くこと。それが小さく継続的に幸せを感じ続けられる秘訣かも知れないって。
![](https://assets.st-note.com/img/1715294923024-sALOpBpU3w.jpg?width=1200)
もしも自分の感性いっぱいまで幸せ量を測ることができる測り「幸量計」というものがあったとしたらどうでしょうか?
幸せすぎて怖いとか、今は不幸のどん底だから、もう上昇以外考えられないという感覚は、どちらも自分の器では測りきれない飽和状態なんだと思います。
身近な、そして自分がちゃんと吸収できる範囲で揺れていたいものですね。
#enjiro #えんじろう
#幸せ #不幸 #波 #感性 #誕生