バースデー謝罪文
1年の前半最終日
ありふれた31日、だいたいこの日はぐずついた天気になりますね。
私の父ちゃんの、誕生日なんです。
皆様が思う父親ってどんなイメージですか?
皆様のお父様はどんな人ですか?
私の父ちゃんは
どっからそんな語彙力出てくんの?って位
口が悪くて
ひねくれていて
いたずらが好きで
そして本当に本当に
不器用な人です。
そして本当に
母親を愛していたんだなと、今ならそう思います。
「お父さんなんて呼ばれる程立派にするつもりは無い。せいぜいとーちゃんくらいざんす。」
残念ながらうちは
私が中学に上がる頃に母が半ば蒸発する形で
離婚してしまいました。
先程の言葉は、私達が母親ではなく、父ちゃんと暮らすと決めた時、言われた言葉です。
ある日突然、学校から帰ったら
家がめちゃくちゃで、ガラスが割れていて
癇癪持ちの祖父が私に怒鳴り散らかしたんです。
「お前の母親はお前たちを捨てたろくでもないアバズレだ!!」
いえ、決して祖父は言い過ぎなんかじゃありません。実際そうでしたから。
父ちゃんは何も言わなかったし
自分から話し合ったり
連絡を取ろうともしませんでした。
不器用だったんだな、寂しかったんだな。
今なら、分かりますが。
当時は全く理解できなくて。
父ちゃんみたいに感情がなければ良かった。
なんて思っていました。
人との接し方が分からなかったんだと思います。
甘え方が分からなかったんだと思います。
父ちゃんは一人っ子で
祖父は仕事の鬼ですし若い頃はほとんど家におらず保険業に農業、出稼ぎと生きるためではなく、仕事する為に生きているような人だったそうです。
何より人の悪態こそ良く喋りますが
褒めてもらった試しがありません。
祖母は今でこそ知られるようになりましたが
発達障害を持っていました。
父ちゃんはよく思い出したようにこう吐き捨てていました。
「事業参観だろうが運動会だろうが、来てもらった試しがない。休日に父親と遊んだり出かけたりなんてそんな話、友達の見栄だとばかり思ってた。誕生日すら普段と変わらん、酷い親だった。」
きっと寂しかった、父ちゃんなりに甘えたくても、きっと我慢するように言われ続けるうちに、期待しなくなったんだと思います。
母の事だってそう。
もう母の気持ちが向いてないこと
何をしたって帰って来ないのがわかるから
戻ってこいじゃなくて。
娘達はどっちが引き取るかの話が先に出たんだと。
どう接していいか分からなかった。
自分が1人に慣れてしまったが故に
みんなも同じように大丈夫だと思った。
誰も教えてくれなかったから
全部自分で自己完結する、自分だけが信じることの出来る唯一だったと。
毎夜毎夜パチンコに行くのは、父ちゃんを生かすための唯一のはけ口だったんだと。
誰も向き合おうとしなかった
やり取りをしようとしなかった
そんなん、寂し過ぎる。
私が父ちゃんだったらきっと彼の歳まで生きることは到底できなかったと思います。
他人は信用しないし鬱陶しいだけ
自分だけ良ければいい
各々勝手にやればいい
その考えが父ちゃんを生かしたんだと思います。
あがき続けた先に見つけた生き方だったのかもしれないと
でも今思い出せば彼なりにちゃんと愛情はあったように思うんです。
父ちゃん、離婚して数年後ガンが見つかりました。治そうともしなかった。無理やり病院に押し込んで手術しましたが。
付き添いで全摘出された父ちゃんの膀胱を見ました。
離婚しようがどうでもいい。そんな風に装って溜め込んだ悲しみが溢れているように見えました。
「内臓ごと取らなきゃ、そうでもしなきゃ吐き出せなかったんだ。」
そう感じた覚えがあります。
気が向いた時は、自分のついでだと私にアイスとかジュースとか、そういうのを買って与えてくれました。
ふとした時に電話が鳴って、でると
「今マック来てるけど、なんかいるざんすか?」
と私達の分を買ってきてくれることもありました。
すっかりグレて、成績も下からTO5の私の高校受験の時は、自身の得意な数学のドリルを買って
私に解かせ、わからないところは鉛筆で説明を入れたりしてくれました。
あの時は涙が止まりませんでした。
たった数日、たった数ページでしたが、私を娘だと思ってくれたと。本当に嬉しかった。
どんどん母親に似ていく娘、ほとんど母親が過干渉だったが故に面倒もそんなに見てない娘。
父ちゃんからしたら、見るのも嫌だったはずなのに。
父ちゃん曰く、私は父ちゃんと血が繋がっていないそうです。
父ちゃんが妹と食事に行った際、妹に漏らしたことがあったそうです。
私自身自覚もありました。
結果、私は母と同じように父ちゃんを、家族を捨ててしまいました。
幸せになりたい、愛されたいと思ってしまいました。
父ちゃんの痛みを分かるはずなのに、寄り添うことが出来ませんでした。
誰だって自分の娘にそばにいて欲しいはずですから。
私はもう実家にはいませんが
きっと事ある毎にサンドバッグにされていると思います。
一族の汚点とその娘
アイツらが家をめちゃくちゃにした
あんなやつらろくでもない
酷い嫁とそっくりな出来損ないの娘
申し訳なくて、ご先祖さまにも顔向けできないし、手も合わせられません。
ごめんなさい、汚点を作ってしまって。
こんな汚点に感謝されたって、きっと嬉しくないじゃないですか、2度と敷居だってまたいで欲しくないはずです。
血を受け継ぐどころか、絶えさせてしまう。
今更分かったような顔をしてごめんなさいと言っても、ただ私が気持ちよくなりたいだけだとしか思えない。
例え娘じゃなくても、私には父ちゃん。
ごめんなさい。こんな娘でごめんなさい。
家を出て幸せになってごめんなさい、家族を犠牲にしてごめんなさい。
家を守れなくてごめんなさい。
ただただ、不愉快にさせてごめんなさい。
ロクに働くことも出来なくて甘えてごめんなさい。
穀潰しで、ごめんなさい。
母親とそっくりでごめんなさい。
子孫作れなくてごめんなさい。
希望にそえなくてごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。
父ちゃんと呼んで
ごめんなさい。
誕生日祝ってごめんなさい。
いつか分かり合えたらとか甘いこと夢見てごめんなさい。
元気でいて欲しいとか綺麗事語ってごめんなさい。
生まれてきて、ごめんなさい。
今も苦しめてごめんなさい。
弱くてごめんなさい。
立派になれなくてごめんなさい。
もっとやりようがあったはずなのになぁ。
私、生きてて、ごめんなさい。
もしあの時、私にもっと力があれば
今とは違う未来だったのでしょうか?
私は家族に家族と認めて貰えたのでしょうか?
何にせよ、私は生きるしかありません。
せめて、これから出会う人、良くしてくださる皆様には
笑顔をプレゼントできたらいいなって、昔はやり直せないから。
悔やんでも先に進むだけですから。
私は色んなものを引きずってぶり返して
私なりにあがいて、これからも生きています。
父ちゃん、ごめんなさい。
ありがとう。
げんきでいてほしいです。
ごめんなさい。
私で、ごめんなさい。
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