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リトマス試験紙
娘が大好きな小学5年生より賢いの?というクイズ番組の録画を一緒に見たのですが、リトマス試験紙の問題が印象的でした。
回答者の方が砂糖の化学式から砂糖水は中性だと導き出したのに、卵白はタンパク質、、というところで止まってしまい、その思考力があればいくつかの方向から推測できるはずなのにもったいない!と興奮してしまいましたw
正解した子は「苦味があるのがアルカリ性だから」という回答で、私も中学受験で「赤→青、酸っぱいのが酸性、青→赤、苦味があるのがアルカリ性」と記憶したことを思い出しました。
小学生はまだ元素記号も化学式も学んではいないことを思い出したとともに、こういう場合に「卵白はアルカリ性だ!覚えとけ!」になるのか、「卵白がなぜアルカリ性になのか考える」のか。
この記事で「フェイク学力」と名がついているものの原因の理由の一つはまさにその差だと感じます。
何十年も前から指摘されていることかもしれませんが、私の中ではこれは受験の弊害の一つであり、そしてそれは「子供の個性」とか「親のせい」と教育界や国がスルーしてしまうことで日本全体に影響が出ている可能性が高いと要素だと思っています。
だからこそ探求学習、といった方向に舵を切ろうとしているのだと思いますが、「探求学習」と「従来型受験」の相性は世界的に未知であり絶賛模索中。
私が塾を見学した際に感じたように、「フェイク学力」の原因は塾の(先生の)アプローチにもあるのではと。(フェイク学力かどうかは中学受験ではなくもっと先にならないとわからない場合もあると思います)。
私の個人的な意見ですが、中学受験で志望校に合格することだけに焦点を当てるなら、どの塾を選んだとて結果に大差はないと考えています。
例えば本質を答えられる博士レベルの専門家に教わるのと、例えば研究に従事したことがない解法重視の中学受験専門の先生に教わるのでは、答えの導き方(考え方、物事へのアプローチ)に差が出るのは(良し悪しでなく)当然かと思いますし
言われたことをきちんとやっているのにこの子はこういう個性だから伸びない、なんて言われたら、子供にしてみればたまったもんじゃないと思います(表現が感情的ですが、それこそなんのための塾?教育なの?と)。
日米両方の教育を受けた私としては、それは日本の教育システムにおける欠陥か現場の力不足であると考えるほうが自然であるように感じます。
一個人の感想かもしれませんが、きちんと取り組めば「考え方」も学ぶことができるのがアメリカの教育でした。(文章がぼんやりすぎてわかりづらいかもしれませんが、またいつか書けたら、、)
「あと伸び」という言葉で片付けられている部分なども定義や前提が軽視されていると感じるので、私は一応自分なりに考えてみるようにしています。
既存のシステムを批判するだけでは何も生まれないし、何かを生み出すより批判を論じる方が圧倒的に簡単だからこそ、その批判を感じている部分やモヤモヤしている部分はおうちで補おう、というのが我が家のおうち教育の原点かもしれません。
100%正しい答えがあるわけではなく事実を見てどう解釈するのかは人それぞれ。noteに書く内容は何か主張があるというより自分のモヤモヤの整理なので(やはり行き当たりばったり感)あまりきれいにまとまらないざっくりとした内容ですが、誰かが何か考えるきっかけになれば幸いです。