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自分の人生の「責任を引き受ける」とは

2022年8月から Engagement Run! に参加している、草野球が大好きな、駆け出し人材戦略メンバーです。
今回は、「【エンゲージメントナレーター初級】エンゲージメントと主体性の関係(毎月)」のクラスで感じたことを共有します。

【エンゲージメントナレーター初級】エンゲージメントと主体性の関係(毎月)
※リンク先はAcademyメンバーのみが参照できます

「責任」という言葉に引っ張られない

有名なビジネス書『7つの習慣』では、主体性について以下のように説明しています。

主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのでない。人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。

スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』より

ここでの「責任を引き受ける」とは、自分の選択について、周囲の環境や出来事にコントロールを奪われることなく、自分の内発的動機に従って選び、その結果も受け止める、というような意味だと理解していますが、組織開発を推進する上でこの話をするとき、「責任」という言葉が強く捉えられ、誤解を生む場面がしばしばあります

個人的な意見ですが、誤解が生じる要因の一つには、部室長や管理職の方が「マネジメント力(眼前の目標を達成する)」と「リーダーシップ(まだ見ぬ未来を描く)」の両方を発揮することを求められているなかで、特に、前者の発揮を日々の業務で強く求められていることから、組織を預かる者として「マネジメント」における「責任」に過剰反応し、防御態勢に入ってしまうということがあるのではないかと思っています。

補足ですが、組織運営においては攻めも守りも必要であり、ここでの「防御」はネガティブな意味ではありません。

「自己責任論」とは違う

また、自己責任論と混同してしまう方も多いかと思います。
「あなたの選択したことなのだから、成功しようが、失敗しようが、結果はあなたの責任です」という論調は、この「責任を引き受ける」の意味とは異なると考えます。

何が異なるかと言うと、責任を引き受けるというのは「自分の人生における選択の姿勢」を問うものであり、「他者の結果責任」を問うものではない、ということです。

「あなたは周囲の環境に振り回されることなく、自分の意思で選択をした。あなたはその結果を受け止めているとは思うが、もし今の状況が難しく困難であるならば、私や隣人は、あなたをサポートします。」
・・・というのが私が理解している「責任を引き受ける」ときの状況です。

この自己責任論との混同も、先ほどの「マネジメント」に対する強いプレッシャーから来る防御反応が要因の一つではないかと思っています。

自然と「責任を引き受ける」ことができる環境づくりを

真に、主体性を発揮して選択したのであれば、その結果が期待に届かなくても、反省はすれども後悔はしないものだと考えています。

一方で、自分の内発的動機を貫けるかどうかは、周囲の環境が大きく影響します。
組織のメンバー誰もが、周囲の環境や出来事に屈せず、自分の選択ができるかと言ったら、そうではないこともあるでしょう。

各々が自分軸を磨くことと同時に、誰もが、自然と自分の選択において人生の責任を引き受けることができ、前向きに次の選択をすることができるような環境づくりも大切です。
自己責任論に陥らず、自分の選択には意志を感じ、他者の選択は尊重できるような組織を育んでいきたいと思います。


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